第6話 蓮と離れ
俺が出て行ってから、一ヶ月が経った。
まだ、向こうから何の連絡も来ていない。
もしかしたら、俺がいなくなったのを気づいていない可能性がある。
それぐらい俺に対して興味が無い。今までも、ほとんど顔を合わさずに過ごしてきた。
しばらく気づかなかったりして。
蓮と離れて、悲しみにくれるかと思ったが、予想よりも穏やかな日々を過ごしている。
一人だったら、たぶんこうはならなかった。
俺は、そっとお腹をさする。
ここに子供がいるなんて、未だに信じられない。しかし何度も医者に診てもらって、絶対に妊娠していると断言された。
この子が無事に産まれてくるために、ストレスを感じるのは良くない。
「……駄目な親でごめんな」
こうやって謝るのも、もう何度目だろう。
俺の子供じゃなければ、きっともっと幸せな生活が待っていたはずなのに。
蓮と離婚したら、絶対に存在を伝えられなくなる。俺の子としての公表も出来ないかもしれない。
たぶん、父の養子として迎えるだろう。
きっとそっちの方が幸せだ。
「はじめ様、そろそろお散歩の時間です」
「ああ、そうか。ありがとう」
元気な子供を産むために、適度な運動を欠かせない。
家の中に閉じこもってばかりでは、母子ともに健康に悪いと医者に注意されてしまった。
そういうわけで、一日決まった時間に家の庭を三十分散歩している。
今まで全く家から出ない生活をしていたから、たったそれだけの運動でも最初の方は疲れた。こんなにも体がなまっているのかと、自分のことながらに驚いた。
いい気分転換になり、体を動かす行為の楽しさを思い出した。
無事に産まれたら、また筋トレでも始めてみようかと思っているぐらいだ。
蓮と離れてからの方が、心身ともに健康的になっているなんて、なんておかしな話だろう。しかし、それが現実なのだ。
お互いに、結婚したのが間違いだった。それに尽きる。
「今頃、何をしているんだろうな」
考えてみるが、仕事をしているか凛の件について動いているかの、どちらかしか出てこなかった。一緒に住んでいたのに、全く蓮について知らない。
俺は自嘲気味に笑うと、動きやすい服に着替えて部屋を出た。
◇◇◇
「いい天気だ」
季節は春。
晴れていると日差しが夏の気配を感じさせるが、それでも過ごしやすい。
日焼け止めと日傘という装備で、外に出ていた。そこまでする必要はないと俺は思うのだが、周りが絶対に必要だと訴えてきたのだ。さすがに必死に言われて、はねつけるほどのこだわりはない。
本当はもっと完全にしたかったらしいが、最終的には、今の形で落ち着いた。
日傘をさしてくれる係の使用人と共に、俺は庭園を散歩する。
「チューリップ綺麗に咲いたな。昔はここまでの種類はなかったのに」
俺が結婚する前よりも、庭園は華やかになった。そしてそれは決して下品ではなく、見ていて癒されるぐらいに素晴らしい。
「はい。様々な種類を植えるようになりました。噴水周りは寂しかったので、こうすれば目を楽しませられると考えまして」
「いつも思うけど、本当に素晴らしい仕事をするな。自分の家なのに、これまで見てきた中で一番この庭が綺麗だと断言出来る」
「もったいないお言葉です。ただ、当たり前の仕事をしているだけなので」
「いや、
庭の手入れは全て、日傘をさしてくれている華崎が行っている。
俺が結婚して、少ししてから働き始めたのだが、その仕事ぶりは前々から知っていた。家に帰るたびに、庭が素晴らしくなっていて驚かされた。
本人は、あまりそれを自慢しない。謙虚な性格だ。
いつも作業着と頭にタオルを巻き、外で仕事をしているから黒く日焼けしていて、力仕事のおかげで羨ましいぐらいにガタイがいい。
無表情で強面なので、一見近寄りがたく思われるが、実は寡黙なだけだ。今だって、俺に日差しが当たらないように、細かく日傘の位置を調整している。
「そこまでやわじゃないから、あまり気にしなくてもいいんだ。疲れるだろう?」
「いえ。はじめ様の身に何かございましたら、死んでも死にきれません」
俺の妊娠が分かってから、家の者達はみんな、やりすぎなぐらいに丁重に扱ってくるようになった。
気を遣ってくれるのはありがたいけど、さすがにやりすぎだと思う時もある。
初めての妊娠、しかもこの家の跡取りになるかもしれない。
そう考えれば、やりすぎということもないのか。
「ありがとう。ここに来るだけで、嫌なこととか忘れられる。どんな花が見られるのかが楽しみになっているんだ」
一輪のチューリップに、そっと触れる。
精一杯咲き誇っているそれは、俺の心を軽くしてくれた。
蓮の件でそこまで落ち込まなかったのは、この庭園も大きな役割を持っている。
「全てはじめ様のものです。これから見たい花など、リクエストをいただければご用意致します」
出戻りの俺に対しても、ここまで良くしてくれる。
「そうだな。安定期に入ったら、一緒に手伝わせてくれるなら」
「もちろんです」
それは、今からとても楽しみだ。
どんな花を植えようか。
こういうことをたくさん増やしていけば、蓮を考える暇も無くなるだろう。
そう信じている。
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