第4話 悲しみの結婚





 俺と蓮は結婚した。

 それからの生活は、決して甘いものではなかった。

 幼なじみとして、いやその時より接触が無くなったのかもしれない。

 凛に誤解されたくないからと、ほとんど接触をして来なかったのだ。


 でも、全く夫婦らしいことをしなかったわけでもない。

 人のいる前では、仲良し夫婦を演じた。親を安心させるために、そういった行為も何回かした。


 初夜は思い出したくない。

 義務という感じが伝わってきて、気持ちが全くこもってなかった。

 顔も見たくないとばかりに、終始後ろからで、それなら声を聞かせない方がいいだろうと枕を噛んだ。


 最後の方だっただろうか。

 蓮が吐息混じりに零した言葉に、耳を疑った。


「はっ……りんっ……」


 叫ばなかった俺を褒めてもらいたい。

 俺ははじめだ。凛じゃない。

 しかし、凛を考えないと俺を抱けないのかと思い、必死に我慢した。


 愛し合う行為のはずなのに、ずっと苦しかった。辛かった。

 勝手にあふれてくる涙は、行為のせいだとごまかした。


 そして目を覚ました時、さらに心が傷つくことになった。

 ベッドには俺しかいなくて、シーツに指を添わせると冷たい。

 随分と前から、もしかしたら最初からいなかったのかもしれない。


 俺なんかとは、一緒に寝られないってことか。凛を裏切ったと、後悔しているのか。


 今ここにはいない蓮は、どこかで泣いているのだろう。いや、怒っている可能性もある。どちらにせよ、行為に幸せなんて感じていないのは明らかだ。


 体を重ねても、心は満たされなかった。

 むしろ心が砕けた。


「ふっ……うっ……っひ……」


 一人しかいないから、誰の目も気にすることなく泣いた。

 涙と一緒に、気持ちも流すことが出来ればいいのに。無理とは分かっていても、そう思った。



 いつかは、俺のことを好きになってくれる日が来る。

 そんなありえない考えは、その時に捨てた。

 こうなることは分かっていたはずなのに、どこかでは希望を持っていた自分が愚かだったのだ。


 それでも、蓮を好きという気持ちは消えなかった。心がこれ以上壊れないためには、気持ちを消すべきだったのに。

 ずっと、大きく膨れ上がったまま、俺の中に残っていた。



 ◇◇◇



 しかし、その伝えるつもりのなかった恋心さえも、存在を許されなかった。


「……凛が帰ってくる?」


 突然の知らせだった。

 驚きすぎて、思わず持っていたカップを落としてしまう。


 慌てて使用人が片付けるが、気にかける余裕もなかった。


「どうして?」


 結婚後、家からほとんど出なかったせいで、世間の情報を得られなくなっていた。

 凛が帰ってくるということは、何か大きな出来事があったはずなのに、今まで知らなかった。


「若葉権蔵が亡くなった」


「なくなった」


 そうか。

 確かに結婚相手が亡くなれば、もう凛があの家にいる理由は無くなる。


 ずっと、蓮は凛を取り戻そうと動いていた。

 しかし若葉権蔵の壁は高く、不甲斐なさに荒れた時期もあった。

 それなのに、こんなあっさりと決着がつくのか。


 淡々と報告する蓮だったが、その表情は嬉しさを隠しきれていなかった。


「すぐには無理だが、葬式が終わって落ち着けば、若葉家から解放される」


 話を聞きながら、ふと自分の手を見た。

 家のことばかりしていたせいで、前より運動が出来なくなり、細くなった手首。

 それが今までの時間の長さを物語っているが、蓮には何も伝わらなかったらしい。


「……そう、か。おめでとう」


 凛が帰ってくるなら、もう俺はここにいられない。


「……離婚の準備をしなきゃな」


 蓮に言われたくなくて、自分からその話題を出した。

 いつかは、こんな日が来ると覚悟していた。

 しかし、こんなにも早く、あっけなく終わりを迎えるとは。これまでの俺の人生はなんだったのだろうか。


「そのことなんだが……」


 何故かそこで、蓮が言葉を濁す。


「一つ頼みたいことがある」


「頼みたいこと?」


 今までで一番、嫌な予感がした。

 続く言葉を聞けば、俺の何もかもを壊される、そんな予感。

 しかし、話を聞くしかなかった。


「……実は、凛が妊娠しているんだ。若葉との子供だ」


 忌々しげに言うが、ありえない話ではない。高齢と言っても若葉権蔵は現役で、色々と仕切っていた。それぐらいの元気はあっただろう。そこまで驚く話では無い。

 しかし、今この話題を出すということは、俺に関係してくるのか。


「その子を、俺の子として迎えたい」


 呼吸が一瞬、止まった。

 それが何を意味するのか、俺に伝えた理由は何か、こういう時に限って頭が早く回転する。


「俺との間に産まれた子として、か?」


「ああ。凛と単純に再婚したとしても、俺の親が子供を認めるとは思えない。血が繋がっていないわけだからな。でも、それは可哀想だろ?」


 つまり、俺は可哀想じゃないわけだ。


「いいよな? はじめ?」


 俺に断られると思っていないような聞き方。

 自分が、どんなに残酷なことを言っているのか自覚していない。

 結婚相手とではなく、幼なじみとしてしか見ていないからだ。


「ああ。構わない」


 今、完璧な笑顔を作れているはず。

 ずっと練習してきたのだから、絶対に見抜けない。

 さらに心が壊れる音が、どこかから聞こえた。しかし、それは俺にしか聞こえない音だった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る