第34話 馬丁(シモン)



「おーい、シモン。なんだ、まだ仕事してたのか。」


「あぁ、藁を交換したら終わるよ。」


「何もこんな日に真面目に働かなくてもいいだろうに。

 広場では宴が盛り上がってんだぞ。お前も行こうぜ。」


「いや、俺はまだやることがあるからいいよ。」


「何言ってんだよ、こんな宴はめったにないんだぞ。

 レティシア姫の結婚祝いなんだ。

 もう領地の酒を全部集めたみたいな宴、俺も初めて見たよ。」


「…レティシア姫?」


「あぁ?そうか、お前ここの出身じゃなかったな。

 レティシア姫は辺境伯様の末妹のリディア様の一人娘なんだよ。

 リディア様は綺麗だったが強くておっかなかったなぁ。

 レティシア様はリディア様に似ているけど、なんていうか儚げで姫様みたいなんだ。

 っていっても、レティシア様もめちゃめちゃ強いんだけど。

 やっぱり辺境伯の一族は他とは違うよなぁ。


 じゃあ、俺も行ってくる。お前も後から来いよ!」


しゃべるだけしゃべると満足したのか、同じ馬丁仲間のデリンは走っていった。

もう別邸に残っている者はいないだろう。

馬の息遣いと俺が古くなった藁をもちあげて捨てる音だけが響いている。


…レティシアはリディアに似ているのか。

もう最後に会ったのがいつなのかもよく覚えていない。

儚げだとか綺麗だとか、そんなことを思って見たことは無かった。


再婚したルリーアも会えば文句ばかりで、聞き流すことが多かった。

下の娘たちともまともに会話したことがあっただろうか。


馬の世話だけをしていれば幸せだなんて思っていた時もあった。

リディアにすべてを任せて、俺は馬のことだけを考える毎日だった。


急にリディアが亡くなって、はじめて領地に行ってみたものの、

何も知らない俺を領地の代表たちは受け入れなかった。

俺も領地の代表たちの胡散臭さに信用することができず、

少し非合法に近いやり方をする代表たちを認めることはできずに辞めさせてしまった。


ほんの少しの賄賂、ほんの少しの禁止輸入品、

それを見逃すくらいは当たり前のことだったんだろうと今なら思う。

正しいことだけしか受け入れられなかった。

間違っていることも利用して、領地の豊かさを守るなんて発想は俺には無かった。

リディアがそうやって伯爵領を豊かな場所に変えていったことも知らずに、すべてを元に戻してしまった。

そこからはもう貧乏な領地のまま、何一つ変えることはできなかった。



あの時にもう一度戻ったとしても、俺にはうまくやれそうにない。

ただ、俺が再婚せずにいたらレティシアも、ルリーアも、

アリスとセシルも苦労することなくいられたんじゃないかと思ってしまう。


レティシアは今は幸せなんだろうが、ずっと苦しめていたのを知らずにいた。


ルリーアは俺と別れた後、実家に帰したはずだったが、つい先日亡くなったことを知った。

教会で過ごす間に自分が不幸になったのは隣国から嫁いできた王妃様のせいだと思い込み、

短剣を持って王宮へと忍び込もうとしたところを捕まったらしい。

食事を満足に取っていなかったのかガリガリにやせ細っていて、

牢に入れられた後は肺炎をこじらせてそのまま亡くなったと聞いた。


アリスは高齢の元男爵の後妻に嫁いだが、成人する前に元男爵は亡くなって、

正式に籍を入れていなかったアリスは家から出されてしまった。

今は違う男爵家でメイドとして働いていると聞いたが、実際は愛人として引き取られたようだ。


セシルは商人の愛人になったが、愛人同士の争いに敗れ、

家から追い出された後は行方知らずになっている。

二人のことは心配ではあるが、

馬丁として働いている俺が引き取ると言っても来ないのはわかっている。

ここでの仕事で給料は受け取っていない。

食事と住まいを与えられているだけで満足している。

給料はすべて、伯爵時代の借金の返済にあてている。

死ぬまでに払いきれるとは思っていないが、少しでも払うのが償いになると信じている。



「俺には…家族なんていない。それでいいんだ。」


思わずつぶやいてしまったら、馬が鼻をこすりつけてきた。

俺が家族だとでも言ってくれたのかと思ったが、それで満足だとは思えなかった。

いつからか馬の世話だけでは幸せだと思えなくなっていた。

胸にぽっかり穴があいているようで、でもその穴がなんなのかはわからなかった。


それでも、ここで与えられた仕事をするのが俺にできる唯一のことだった。

許されるのなら、レティシアが俺を、

あの家族だったものたちを忘れて幸せになることを願いたい。


見上げたら満天の星がにじんでいく。

頬を伝う涙をぬぐうこともなく、ただ藁を交換していた。


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