第21話 失敗を重ねて


カタンと音がして、師匠がキッチンに入ってきたのに気が付いた。


「おはようございます。」


「あぁ、おはよう。久しぶりに戻ってるな。」


「…え?戻ってますか?」


「ああ。食事の後で戻そうか。」


「……お願いします。」


久しぶりに油断していた。

ここに来て一週間ほどは寝ると変化が戻ってしまっていた。

それを朝食の後で師匠に解術してもらっていたのだが、解術のためとはいえ、

あんな風に師匠に口づけられるのは恥ずかしかった。


師匠が言うには、気持ちが落ち込んだり、

我慢してしまっていると自分を守るために変化してしまうのだと。

だから、できる限り嫌なことがあったら報告するようにと。


それからはできる限り思っていること、

感じていることを師匠に伝えるようにしてきた。

師匠も私が無理に笑っていたりすると気が付くようで、

そんなときはとことん話につきあってくれていた。


毎日だったのが二日おきになり、四日おきになり、一週間おきになった。

前回変化したのが九日前だったから、

もう大丈夫なんじゃないかって油断していたのかもしれない。


朝食を終えて、お茶の準備をし終えてから、師匠のひざの上に乗る。

これだけでも恥ずかしいのに、

師匠に頬に手を添えられて顔をあげられる瞬間が一番恥ずかしい。


師匠の顔が近づいてくるのを待つ間、

私がそれを望んでしまっていると知られてしまうのではないかと、

目を合わせたら気が付かれてしまうのではないかと心配になる。


熱い唇を合わせ、魔力と共に師匠の舌が入り込んでくる瞬間、

どうしようもなく幸せになる。


故意に変化しているつもりは無いが、

もし私が無意識で師匠を欲しているから変化しているとしたら、

こんな浅ましい私を師匠は嫌いになるだろうか。



「…っ……はぅ。」


「…解けたな。」


「毎回…お手数かけてすみません。」


息も絶え絶えになりながら謝ると、きゅうっと抱き寄せられた。

師匠の規則正しい心臓の音と一緒に、低くて深い師匠の声が降ってくる。

その声は落ち着いていて、とても優しく聞こえてくる。


「昨日は何があった?心当たりは?」


「……多分、夕食のパンを焦がしてしまったのが原因かもしれません。」


「焦げてたか?まぁ、いつもより香ばしかったかもしれないが、

 気にならなかったし美味かったぞ?

 それを気にして落ち込んだのか?」


「……ここにきて、私ができるのは食事の用意くらいです。

 それも満足にできないのかと思って…。」


この魔術師の塔は、塔自体に魔術がかかっているようで、いつでも埃一つない。

ベッドも朝起きて離れた瞬間に、元通りに綺麗になる。

洗濯も浄化の魔術一つで綺麗になってしまうため、師匠のお世話をする必要が無い。


食事もおそらく魔術でどうにかなるとは思うが、

これは師匠は作ったほうが美味しいというこだわりがあるようで、

交代で作ることになっている。昨日の夕食は私の番だった。


「そんなの、ここに来てまだひと月半だろう。

 すぐに料理できるだけでも合格なんだぞ?」


「え?」


「俺がこの塔に来た時は、目玉焼きすら作れなかった。

 ここの前の管理人は俺の伯父だ。

 伯父の弟子として、学園にも入らずにこの塔に入れられた。

 当時15歳だった。料理なんて何もできなかったよ。」


「師匠の師匠も管理人だったんですね。」


「あぁ、うちは代々、一番魔力量の多いものが管理人を継ぐ。

 二番目に多いものが侯爵家の当主になることが決まっている。

 だから俺が管理人の弟子になり、兄が当主候補になった。


 塔に入るまでは家庭教師にしごかれ、ここでは伯父にしごかれ、

 そうして少しずつできるようになっていったんだ。

 俺はよく失敗したよ。それでも伯父は笑って食べてくれていた。

 お前はたいして失敗もしないから、逆に心配だな。」


「失敗しないから心配ですか?」


「料理に魔術を使わないのは、そのほうが美味い気がすることもあるが、

 シアの修行の一つとして魔術の基本をつかむためだ。


 材料を用意し、さまざまな工程を自分の手で行い、

 誰かのためにそれを作り上げる、それはもう魔術の基本だ。

 料理は切り刻んだり、加熱したり、失敗したらもう戻らないことも多い。

 だからこそ、失敗しないように考え、丁寧にすることを学んでいく。


 伯父はそう言っていた。魔術は失敗したら取り返しがつかないことが多い。

 料理は失敗してもまずいだけで、やり直せばいいだけだと。

 そうして失敗していくことで、失敗できないものに慎重になればいい。」


「失敗して、そうならないように学べということですか?」


「そういうことなんだが、あまり難しく考えなくていい。

 俺はシアが失敗しても怒ったりしない。

 食材がダメになっても、もう一度作ればいい。

 何だったら、次は俺と二人で作り直せばいいと思う。


 俺はシアが役に立つからそばに置きたいんじゃない。

 そばにいて欲しいと思ったから、ここに連れてきたんだ。」


抱きしめる力が少し強くなって、師匠の胸に頬を押し付ける形になる。

少しだけ師匠の心臓の音が速くなった気がして、心の中がざわつき始める。

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