その220 ワガママ

 戦い、終わって。


「……………………」


 孝之助は、周囲をぐるりと見回す。

 先ほど見かけた、ゴーキとやら。その姿が見当たらなかったためだ。


――裏切られたか?


 一瞬そう疑ったが、悪魔はすぐに現れる。……それも、何もない空間から。

 どうやらこいつ、姿を隠す力もあるらしい。


『おつかれー』

「………………」


 嬉しそうに笑う彼女の手には、約束通り“ドアノブ”が握られている。


『ナイスファイトだったよ。あたしちょっぴり、わくわくしちゃった』

「………………そりゃどうも」


 視線を逸らして、呟く。


「それで……これからどうするんだ?」

『どうって?』

「あんたの仲間は、死んじまっただろ」

『え?』

「ほら、あの……夢星最歩とかいう……」

『ああ、それ?』


 ゴーキは、苦笑交じりに言う。


『それは、だいじょぶ。あいつ、“白昼夢の面”ってアイテムを装着しててな。一度死んでも、復活できるんよ。今ごろ、都内のどっかでぼんやりしてると思う』

「…………そ、そうか」


 どおりであの娘、どこか遊ぶみたいに戦っていた訳だ。

 恐らくだが、今回の戦い……彼女にとってある種の、“稽古”に近いものだったんじゃないだろうか。


――だとすると、二人にとっては災難だったな。


 孝之助は、すぐそばで気を失っている杏奈・早矢香を横目に、嘆息する。

 二人はたぶん、都合の良い練習台に使われたんだろう。


『――ところで』

「ん」

『あの二人、殺さないのか?』

「…………なぜだ」

『だってほら。そうした方が、あんたのためになると思うぜ? ――あいつらレベルの“プレイヤー”を殺せれば、一気にあんたも、トップランカーの仲間入りができる』

「…………………………」


 孝之助は、眉をしかめる。

 確かに、それはそうかもしれない。


 “終末”後のこの世界においては、強さこそ全てだ。

 自衛のためにも、そうした方が良いだろう。


 ……だが。


 深く深く、嘆息して。


「いや、止めておく」

『えっ。なんで?』

「力士は、プロの格闘家だ。プロの格闘家は、決して人を殺さない」


 すとん、と。

 自分の胸に何かが落ち着く感覚を覚えながら、そういう。


 そうだ。

 だからこそ自分は、“プレイヤー”である自分を否定したのだ……。


「帰ろう」


 するとゴーキは、妙なものを見るような目つきをして……。


『ま、いいや』


 と、“ドアノブ”を捻った。

 扉のその先は……、先ほど、孝之助たちがいたマンションの一室である。


 色とりどりのネオンライトが、室内を七色に照らし出していた。

 無事、元の場所に戻ってきて、ほっと嘆息。


 怪我は、ない。

 なんならスキルの力で、今朝起きた時点よりも健康体だ。


 その分、心労がどっと胸に押し寄せていた。

 あと、腹も減っている。魔力を消耗したためだろう。


――良かった。これで……。


 そう思っていると、


『ところで、あんた』


 ゴーキが、何やら神妙な表情で、唇を寄せる。


「――なんだ?」


 一瞬、キスされるのかと思って、ぎょっとする孝之助。

 だが、どうも違うようだ。

 何やら、人に聞かれたくない話があるらしい。


『サンクチュアリの“プレイヤー”と、知り合いか?』

「ええ? ……まあ」


 でも、なんでそれを?


『なら、話が早い。一つ、伝言を頼まれてくれるか』

「――?」


 そうして、ゴーキは――――。



 それから、十数分後。

 孝之助が、“ヨタカ”に戻ったところ……。


「ああ……あんた!」


 店の常連客が、飛び上がるように腰を上げた。

 たしか、さなヱとかいうメイドロボ推しの男だ。


「きみ、“プレイヤー”に襲われたんだって? 大丈夫だったかい?」

「あ……ああ……」

「よし子さん、ずいぶん心配していたよ。はやく安心させてやりな」

「よし子は……彼女は、無事ですか」

「無事……では、ないな」


 男は、鼻の頭を掻いて、言いにくそうに、


「きみだって知ってるだろ? ここで働く彼女たちは、現代の科学技術で作られた存在じゃない。我々人類には、彼女がなんで動いているかも分からないんだ。修復のしようもない」

「そう……ですか」

「一応、外見的な損傷を治すくらいはできるようだけれど……腕、一本まるごととなると……今後一生、不都合するだろうね」


 その一言で、孝之助はたまらない気持ちになる。


 と、同時に、こうも思った。

 仮に彼女が、何一つ自力でできない身体になったとしても……自分は彼女を、永遠に愛し続けるだろう、と。


「……彼女は?」

「なんか、どことなく人形っぽい雰囲気の女の子と一緒にいるよ」


 “ゾンビ使い”だ。間違いない。


 眉をしかめて、店の奥に視線をやって。

 そこで彼は、ぴたりと足を止めた。


 そうだ。


――よし子は……俺の情報を“ゾンビ使い”に流していた。


 ずきりと、胸が痛む。

 それはつまり――彼女にとって自分が、「その価値のある男」だからで。


 ならば、今の自分はどうだろう。


 向こうだって、馬鹿じゃない。

 自分が“プレイヤー”であることは、すぐに気づかれるだろう。

 となると、“悪魔の証明書”のことは、自分から話すべきか。


 夜久銀助が死んだ今、すでに状況は変わっている。

 どうやら“ゾンビ使い”は信頼できる男のようだし、“証明書”を渡しても構わない……そう思っている。


 だが……。


 それをしてしまったら。


 自分と、よし子の繋がりは、完全に消えてしまうのではないか。


――それは。


 それだけは……嫌だ。

 そう思えた。

 女っ気のない男の、醜いワガママだと思われても構わない。


 ただ、それだけ彼女を、大切に思っている。

 例えそれが、一方通行の愛だったとしても。


「………………どうしたの?」


 突如として硬直した孝之助を、常連客は不思議そうな目で見る。


「はやく、行ってあげないと。今だって彼女は、すごく苦しんでるんだよ」

「しかし」


 その一言で、このお客はすぐ、事情を察したらしい。

 それも、無理はない。

 自分たちは所詮、女を金で買う男たちで。

 その関係には――常に、ある種の負い目があって。


「きみ………………」


 そういう連中でなければ、共有できない感情がある。


――自分たちの関係は、どこまでも空虚なものでしかないのではないか。


 と。

 そういう。


 彼は、苦笑交じりに孝之助の肩に手を当てた。


「さなヱさん、言ってたよ」

「……………………」

「詳しくはしらないけど……きみ、友達のために死のうとしたんだろう? そういうことが、できる男なんだろう?」

「……………………それは」


 夜久銀助の顔が、頭に浮かぶ。

 それは、そうだ。

 自分があの、“焼き肉食べ放題穂乃華”の拷問に耐えられたのは……友人との約束があったから。

 そのためなら、死んでも言いと思ったから。


「さなヱさん、こうも言ってた。……休憩時間中のよし子ちゃん、君のことばかり話してるってさ。……君は、すごく運の良い男だと思う。――勇気をだしなよ」

「…………………………っ」


 なぜだろう。

 この……タバコ臭いおじさんの気遣いが、不思議と胸に突き刺さる。


「…………あざっす」


 会釈して。

 その、次の瞬間だった。


『…………………………コウチャン! (T_T)』


 こちらから、会いに行くまでもなく。

 左腕を失った彼女が、よたよたとこちらに歩いていることに気づく。


 そして孝之助は……そっと彼女を抱きしめた。

 まるで、壊れ物を扱うように。

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