その219 白星
しっかりと大地を踏みしめ、やや前傾姿勢を取る。
敵の攻撃を受けても、一切怯むことなく反撃へ転ずるためだ。
目の前には、片腕を失った“暗殺者”と、魔力切れを起こした“獣使い”。
早矢香の方はともかく、杏奈はまだ、依然として脅威だ。
レベル差だって、倍近く開いているだろう。孝之助はしばらく、レベル上げを行ってこなかったためだ。
――だから。
一切、油断するつもりはない。敵を倒す。叩きのめす。
自分が、生き残るために。
愛する彼女に、再び会うために。
「…………早矢香」「杏奈」
敵が二人、互いの名を呼び合う。
杏奈が、相棒を庇うように前に出て、ナイフを抜いた。
「………………………………………」
「………………………………………」
透き通るような青空。
周囲に満ちる、潮の香り。
四方を水平線で囲まれた、地図上のどこに存在するかもわからない、不思議な空間。
休暇で訪れるにはぴったりのその場所で、孝之助は大きく息を吸い込んだ。
――長くは、かからない。
勝負が決まるなら、一分以内。
真剣勝負とはそういうものだと、直感的に理解している。
「………………………………………!」
まず、最初に動いたのは、杏奈。……続いて、早矢香だった。
《縮地》を利用して、一気に眼前まで接近。
その動きに合わせるように、早矢香が……、思い切り、水辺に顔を突っ込む。
――?
一瞬、驚く。だが、すぐさま彼女が何をしようとしているかを察した。
海水を飲んで、少しでも魔力を回復しようとしているのだ。
正直、どうなるかはわからない。
海水の塩分濃度は、3,9%。これは人体の塩分濃度のおよそ四倍以上だ。常人が飲めば、脱水症状を起こすことは間違いないが……栄養価をそのまま魔力へと変換するプレイヤーの場合は、どうだろう。
――いかん。
危険な兆候だ。
ごくごくと海水を飲んでいる早矢香を目端に捉えながら――敵の本気を悟る。
こちらが敵を侮らなかったのと同様に、敵もまた、こちらを侮っていない。
「よそ見すんな――ッ」
ひゅん、と、杏奈のナイフが孝之助に右頬を切りつける。これまで彼女から受けた有りと有らゆる攻撃と違い、痛みはほとんどなかった。
ただ――敵は“暗殺者”。全ての攻撃に、必殺の可能性が存在する。
「…………ッ」
内心、ひやひやしたものを感じながら、孝之助は、両腕を振るう。
「――ッ!」
だが、孝之助の両腕は、“プレイヤー”となったいまも機敏とは言えなかった。
杏奈は攻撃をやすやすと回避して、どす、どす、どすと、連続突き攻撃を繰り出す。
「…………む」
爪楊枝で刺された程度の痛みしかない。構わず両腕を振り回す。
するとどうだろう。
杏奈はその場で、くるんとバック宙して回避。着地と同時に地面を蹴り、孝之助の左胸にナイフを突き刺したのだ。
…………だが。
渾身の力を込めたはずのその一撃ですら、孝之助の皮膚を破ることはできなかった。
――先天的なもんだな。
かつて、親友が言っていた言葉を思い出す。
――お前の皮膚は、生まれつき分厚いんだろう。だから《皮膚強化》の効果も、普通以上なんだ。しょーじき、羨ましいぜ。
そうだ。
だんだん思い出してきた。
自分の身体は、頑丈なことだけが取り柄で……。
それで。自分は。
「う、お、お、お、お、お、お、お、お、お、お、お、お……!」
杏奈の身体を、得物のナイフごと抱きしめる。刃先が胸に突き刺さった感触があったが、これっぽっちも気にならない。
自分の肉体は、刺された程度ではびくともしないのだ。
「な…………や…………やめ…………ッ!」
杏奈の、悲鳴。
鍛錬不足の軟弱な腰に、上半身の体重を押しつけて……そして、地に足を着けさせる。
孝之助の得意とする技の一つ。
技をかけられた相手が、首の折れた鯖のような姿になることから名付けられたこの技を……鯖折りという。
――本来なら、すでに決まり手だが……。
むろん実戦においては、これで終わるわけがない。
孝之助は、その両腕を万力のように締め上げながら、杏奈の身体を、徐々に粉砕していく。
「ぐ…………が…………が、あ…………ッ」
みし、みし、と、目の前の肉体が悲鳴を上げているのがわかった。
そのまま孝之助は、女の身体を、人形のようにぐにゃぐにゃにしてやるつもりだ。
「杏奈。……《縮地》しろっ」
だが残念ながら、想定した通りにはならなかった。
相棒の助言通り、杏奈の身体が、するりと消失したのである。
「この……ッ!」
すぐさま、後頭部に数度、ちくり。
宙空へ瞬間移動……すかさず、ナイフ攻撃……といったところか。
――細かいことはどうでもいい。やることは、一つだけだ。
孝之助は、痛みの走った位置へ向かって、反射的に右手を振るう。
ばちん。
鍛え抜かれた突っ張りは、不完全な体勢でナイフを振るった杏奈の身体に突き刺さり、その身体をたたき落とす。
「げ…………ほっ!」
攻撃後、遅れて振り向くと、そこには砂浜に倒れ伏した杏奈の姿があった。
「…………ううっ」
杏奈は、素早く体勢を立て直し、砂が張り付いた顔面を払う。
「…………うう、ううううっ!」
彼女の動きに、徐々に精彩が失われていく。
無理もない。ただでさえ彼女、重傷だ。
血が、流れすぎている。
――終わらせよう。
孝之助は、再び彼女に取り付こうとする。
だが相手も間抜けではない。
杏奈は、《縮地》を連続して使用し、接近する孝之助から、少しでも距離を取ろうとする。
しかし、その作戦をやるには、場所が悪かった。
狭く、足場の悪いこの場所では、十分に機動力を活かしきれないのだろう。
「……………………!」
戦いの終わりは、それから十数秒ほどの攻防の末、ようやく訪れた。
孝之助の両腕が、再び杏奈の胴に巻かれる瞬間が来たのである。
「――――――ッ!」
今度は、《縮地》させるつもりはなかった。
もうその時点で孝之助は、完全に記憶を取り戻している。
――自分には、相撲取りを目指していた時期がある。
だが、彼には才能がなかった。
喜田孝之助は、相撲取りとしてはあまりにも小兵だったためだ。
相撲の世界では、体重100キロに達することができるかどうかに、才能の可否があるとされる。残念ながら彼には、その素養がなかった。
故に彼は、夢を諦めるしかなくて。
だからかもしれない。
“プレイヤー”に成った時の万能感が、人よりも少なかったのは。
才覚。
努力。
情熱。
有りと有らゆる要因に恵まれた末に、手に入るべきもの。
神の力で、気まぐれに与えられるべきものではない。
――次の一撃は……俺の必殺。
孝之助の得意技。
小兵力士が最も使うと言われる決まり手だ。
と、その時である。
「《エメンタール…………!」
敵が、技名を叫んでいるのが聞こえた。
先ほど、夢星最歩を殺したのと同じ技だ。
どうやら、彼女の魔力回復は、ぎりぎり間に合っていたらしい。
――させるか。
孝之助はそのまま、《投げ》を繰り出す。
するとどうだろう。
全身が黄金色の輝きに包まれ……目の前の女の重量が、ほとんど消失した。
否、消失したように感じられるほど、自分の力が増したのだ。
そして孝之助は、“暗殺者”の身体を……“獣使い”目掛けて……。
足を差手の方に大きく開きながら――
「…………どす、こい!」
ぶん投げる。
「――――――――――ひっ」
目の前の女が、小石のように吹き飛んだ。
そしてそのまま……相棒の顔面目掛けて、ぶち当たる。
ばつんッ! と。
人と人がぶつかるにしては、随分と派手な音が聞こえた。
その後は、沈黙。
聞こえるのはただ、波音だけ。
「………………ハァ…………ハァ…………ハァ…………」
決まり手は、下手投げ。
喜田孝之助の白星だった。
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