その217 実在証明
戦いが……終わったらしい。
喜田孝之助にとっては、ほとんど他人事のようだった戦いが。
彼は今、――巻き添えに近い格好で、無人島に連れられている。
いま彼は、直径二十メートルほどしかない島の反対側……小さく隆起している岩の裏で、じっと息を殺していた。
それが、ほとんど無意味な行動であることはわかっていた。それでも彼は、杏奈たちの目の届かないところにいる。
虐待を受けている犬と同じだ。
逃げ場はないとわかってる。
それでもなお、人目を避けずにはいられない。
――あの……仮面女は、死んでしまったのか……。
すこし、残念だという気持ちはある。
杏奈たちが勝てば、きっと自分は助からない。
だがあの女の人格次第では、助かる見込みはゼロじゃなかった。
――すまん……よし子…………。
愛しい
もう二度とあの、すべすべした頬に触れられないなんて。
悲嘆にくれかけた、その時だった。
『おい。おっさん』
すぐ耳もとから声がして、悲鳴を上げかける。
だがその口は、素早く塞がれた。
目の前に居るのは――奇妙な少女だ。
少なくとも、ごく普通の人間ではない。
矢印型の尻尾に、蝙蝠の羽。
ちょこんと可愛らしい角が二つ。
男とも女ともわからない、中性的だが、整った顔立ち。
孝之助は、目の間にいる生き物の名前を知っている。
こいつは、ファンタジー系の物語の中に出てくるキャラクターの一人……。
――悪魔。
ほとんど素っ裸に見えるその娘は、気の強そうなつり目で孝之助を覗き込みながら、こう言った。
『あたしは、ゴーキ。オメーは?』
「……………………。喜田、孝之助」
『よし、孝之助。……オメー、……生きて、元の場所に戻りたいか?』
無言で、首を縦に振る。
『よし、決まりだ。あたしがオメーに、インストラクションをくれてやろう』
「………………?」
『オメーの勝ち筋を、教示してやるっつってんの』
「かち……すじ……? 俺の?」
『そうだ』
そこで少女は、悪魔的に口元を歪めた。
『ゲームのルールは、こう。オメーはこれから、“どこにでも行けるドアノブ”を獲得して、あたしと一緒に東京へ戻る』
そしてゴーキは、尻尾の先を杏奈と早矢香に向けて、
『あそこの二人は、もちろん置き去りにする。それができれば、あたしたちの勝ち。できなければ負け』
「…………そんなの」
無理に決まってる。
確かに二人は、手負いの状態だ。
だがそれでも、人間とプレイヤーの間には、子供と大人くらいの力の差がある。
『できっこない、か? ……はははっ。諦めるのはまだ早いぜ』
「は?」
『だってオメーも、“
「………………?」
眉を、しかめる。
この化物は、何を言っているんだろう。
そう思えたからだ。
『ふふふふ。あたしはね。ウソを見抜く力があるのさ』
「…………うそ…………?」
『アクマ本人に、“悪魔の証明書”なんざ、通じねーわけ』
「それ…………どういう…………」
『ちょっぴり、背中を向けてごらん』
「…………」
言われたとおり、身体を横にする。
すると少女は、孝之助の服の中にさっと手を突っ込み、何かを引き剥がした。
それは……どことなく見覚えのある、羊皮紙の束で。
孝之助は、直感的にそれが、“悪魔の証明書”であることに気づく。
『んー…………ふむふむ。ほう。なるほど』
「なんだ。……何が書いてある?」
『読む?』
そこに書かれていたのは、以下のような内容であった。
▼
『命題:“脳のある鷹は爪を隠す”の実在証明』
●キャラクター設定
・喜田孝之助
“終末”を生き抜いたプレイヤーの一人。
超人としての人生に絶望した結果、平凡な生活を夢見ていた。
現在、プレイヤーとしての記憶は完全に失っている。
“悪魔の証明書”の守護者。
・夜久銀助
孝之助の良き理解者。
人間に戻りたいと願う友人のため、一肌脱ぐ。
“悪魔の証明書”の影響を無視できるものの一人。
・終わらせるもの
“サンクチュアリ”に住む最強のプレイヤー。
“悪魔の証明書”の影響を無視できるものの一人。
・
“悪魔の証明書”の元々の持ち主。
その扱いの難しさから、現在は“終わらせるもの”に証明書を預けている――
▼
最初の数行を読んだ時点で早くも、孝之助の唇は震えていた。
「これは……ッ」
『驚いた?』
「あ……ああ……」
だが、不思議な納得感がある。
――俺が、プレイヤー。
そう考えた途端に、いくつかの出来事に納得できる気がしたのだ。
『それじゃ、この紙――捨てるぜ』
「えっ」
そして悪魔は、掴み取った羊皮紙をびりびりに破り捨ててしまう。
するとどうだろう。
まるで、夢から覚めたみたいに……孝之助の全身に、力が漲ってきたのは。
特に……強い違和感が、顔の片側から。
手を当てる。失ったと思っていた耳が、完全に元通りに戻っていた。
そこでゴーキの目が、蒼い輝きを放つ。
なんだか、身体がむずむずする。《スキル鑑定》をかけられているのだ。
『《自然治癒》が効いてるな。――もう、さっきのダメージは回復してると観てよさそうだ』
「………………………………」
『っつってもオメー、あんまり強くはないな、レベルは……37。中の下くらいの“格闘家”ってとこか』
「………………………………」
『ぶっちゃけ、あたしが戦った方が確実なんだが……相手が“暗殺者”だとな。万が一ってこともあるから』
「………………………………」
『それにオメーだって、生きて帰りたいだろ? Win-Winってことで。手を貸し合おうぜ』
まだ、はっきりとは実感できていない。
だが…………だが。
こと、ここに至って、こう思う。
自分なら。
今の自分なら……帰れるかもしれない。
また、あの娘を抱きしめることができるかもしれない……と。
『さあ、立てよおっさん。――言っておくが、悪魔直々に手ほどきを受けられる“プレイヤー”なんて、滅多にいないんだよ? 運が良いと思いな』
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