その215 どこにでも

「っ…………!?」

「な。に。こ。れ。…………!」


 若い女が二人、周囲を見回しながら目を見開いている。

 暖かな気候。潮の匂いが、鼻につく。

 休暇を楽しむにはピッタリのロケーション、だが……。


――得体が知れない。意味が分からない。


 いまは、圧倒的に恐怖が上回っている。

 事態を理解したのは、それから数瞬後、



――“どこにでも行けるドアノブ”。


 ヒトの意思が物理的作用を及ぼす力を、超能力と言う…………。



 敵が使ったアイテムの情報を知ってから。


――戻らないと。


 そう思って振り向くが、時すでに遅し。

 例の仮面女が、“ドアノブ”をポケットにしまっているところだった。


「おほほほほ。まんまと罠に引っかかりましたわね~」


 それで、いま起こった事象をなんとなく察する。

 敵はこちらの脱出路に、あらかじめ“どこにでも行けるドアノブ”を仕掛けていたのだ。

 そうとも知らず、杏奈たちは扉の向こうへ逃げ込んでしまった。

 そこが、敵のテリトリーに繋がっているとも知らずに……。


――殺すしかない。


 咄嗟に、そう思う。

 殺して、“ドアノブ”を奪い取る。その他にやり方はない。

 こういう時、素直に降参する、などという発想は、杏奈たちにはなかった。


 これは、“プレイヤー”となった瞬間にかけられた、呪いと言ってよい。

 “ランダム・エフェクト”のものたちはみな、経験値とレベル上げに飢えているし、彼女たちにとって、生殺与奪の権利を与えるということはすなわち、死を認めるのと同意義であった。


「早矢香」「杏奈」


 二人、名を呼び合って覚悟を固める。

 すでに早矢香の周囲には、ドブネズミが集合していた。“ドアノブ”で移動した時点で、彼女の兵隊ネズミは九割方、向こう側へ置いてけぼりになってしまっている。今の相棒はもう、実力の三分の一も出せないだろう。


 こうなってしまっては、早矢香も奥の手を披露しないわけにはいかなかった。

 いま、彼女の全身に、大量のネズミが集まっている。

 灰色の生物が、身体を余すことなく覆い隠し……まるで、西洋の甲冑のような形となる。


 《肉の鎧》。

 彼女が創り出した、オリジナルのスキルだ。

 早矢香はこのスキルを編み出すのに、都内のはぐれ者を百人ほど殺傷している。


「そこの“獣使い”さん、気持ち悪い技ばっかり使いますのね……」


 そう言いながら、抜き身の太刀を構える最歩。

 彼女は、大きく深呼吸したのち、


「まあ、実戦の練習もかねてということで。たっぷりやりあいま……」


 皆まで言わせるつもりはなかった。

 こうなった場合、早矢香と杏奈のフォーメーションは逆転する。

 早矢香が敵の攻撃を受け、杏奈が可能な限り斬撃を叩き込む。

 もはや、低確率の“即死”攻撃だけに頼るつもりはない。

 有りと有らゆる能力を行使する、“魔力切れ”覚悟の戦法だ。


「りゃあッ!」


 どこか弱々しい声を上げながら、早矢香が飛びかかる。

 《肉の鎧》モードになった早矢香の戦術は……かなり大味だ。

 これは彼女が、《格闘技術》などによる強化をほとんど行っていないためである。

 だが、それで十分であるとも言えた。

 彼女の肉体は今、大量の鼠たちによって保護されており、早矢香はそれら、一匹一匹の動きを制御することができる。

 これはつまり、千本の手を自在に操るに等しかった。


「――よっ!」


 最歩が、さっと太刀を振るう。

 銀色の刃が早矢香を両断……したかに見えた。

 だがそれは、完全なフェイントである。いま斬られたのは、《肉の鎧》の部分……鼠たちだけ。攻撃の一瞬、早矢香は素早くかがみ込んでいたのだ。


「うおっ、身代わりの術!?」


 同時に、両手を二度、ぴゅんぴゅんと振るう。

 そのたび、早矢香の首元に二枚、しびれ毒が塗られた手裏剣が突き刺さった。


「あいたっ」


 とはいえ、手疵を負わせるには至らず。

 とあるツテで買い付けた特注の手裏剣は、ゴム製の玩具のように皮膚を弾いただけ。

 やはりこの女、普通の人間より防御力が高いらしい。

 仮面をしているため、目に当てるのも難しい。杏奈は素早く作戦を変える。やはりここは、手数を稼いで、即死狙い……。


 その、次の瞬間だった。


「――御免、あそばせ」


 敵が、“さしたる用もなかりせば”の能力を発動したのだ。

 するとどうだろう。最歩の姿が、――まるで、空中に溶けるように消えたのである。


「…………ッ。早矢香、気をつけて」

「わかってる」


 念のため、四方八方に手裏剣を投擲。

 しかし敵に当たったような気配はなかった。

 どうやら完全に、この世界から消えてしまっているようだ。


 二人、しばらく周囲に気配を向ける。

 その時間が、四、五分ほど続いて。


――これは……。


 そこで杏奈たちは、敵の能力の、真の恐ろしさを知った。

 こちらは、向こう側に一切の手出しができない。

 にもかかわらず、まったく油断することもできない。


「………………ッ」


 杏奈は歯がみして、ぷるぷると小刻みに震える両腕を押さえた。


――勝てない。強すぎる。


 ただ、敵の攻撃を待ち構えているだけ、なのに。

 すでに彼女は、心が折れかけている。


 敵はすでに、万全の準備を整えてここにいる。

 対応者である自分たちではもはや、勝ち目はない。


――助けて……。


 こういう時思いを馳せるのは……皮肉にも、ハンバーガー大好き太郎の顔であった。

 あいつなら。

 あのイカレた女なら、“魔女の落胤”に勝てるかもしれない。


 ……と。

 意識が緩んだ、次の瞬間だ。


「………………よいしょっ」


 なんの前触れもなく、突如として目の前に、夢星最歩が登場。

 シロウトっぽい上段からの振り下ろしで、杏奈の左腕を両断した。

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