その212 登場
“暗殺者”の能力は、「逃げる」ことにも特化している。
内心、“ゾンビ使い”には追いついてもらいたかったのだが……結局、彼女たちの隠れ家に到着したころには、先ほど見かけた人影は、完全に見えなくなってしまっていた。
「…………よし。一丁あがりっと」
お姫様抱っこの孝之助、そこでいったん降ろされて。
追っ手を撒いた二人が到着したのは、“魔性乃家”の向かいに存在するマンションだった。
どうやらこいつら、目と鼻の先にいて、“楼主”の動向を観察していたらしい。
ネオン看板で照らされた不夜城を目の前にして、室内は七色に輝いている。
「はい。おかえり」
リビングには寝袋が二つ並んでおり、アイマスクを額にかけた色気のない女があぐらをかきながら出迎えた。
「どうもこんにちは。私。おうどんに天かすたっぷり早矢香。よろしく」
「ああ…………」
なんとなく会釈を返すと――自分の足下から、何かが駆け巡ってくる。
その正体に気づいて、ぞっと背筋を凍らせた。
ドブネズミである。
「わ、わあああああ!」
驚いてそれを払いのけようとするが、その動作を全て先読みし、ネズミはちょろちょろと孝之助の全身を走り回った。
「なんだこれ、うわああ!」
しまいには、その場にひっくり返ってでもネズミから逃れようとする。
無理もない。
この不衛生なネズミども、孝之助の尻の穴にまで探りを入れてきたのだ。
「………………んー。ふむ」
もちろん早矢香は、捜索の手を休めない。
結局、孝之助は、“獣使い”の女が満足するまで、たっぷり全身を弄ばれるハメになる。
「ううう…………」
こういう類の屈辱を受けるとは思っていなかった孝之助は、全身の鳥肌を撫でながら、部屋の隅で縮こまった。
「……で、どうだった?」
「微妙。ネズミたちなら。見つけられるかと思ったけど」
「ふうん」
杏奈は、一瞬だけ孝之助を見下ろして、
「一応、提案だけどさ。殺せばなんとかなるってことない?」
「わからない。どうだろ」
孝之助は押し黙り、女二人の様子を見守る。
実を言うと彼はただ一点、嘘を吐いていた。
彼は、“悪魔の証明書”の効果について、よく知らない。どうやらそれは、自分の“望み”と関係あるらしい……という程度のことしかわからない。
で、あるが故、「俺を殺せば“証明書”は手に入らない」という情報に関しては、真偽不明なのだ。
ひょっとすると次の瞬間、彼女たちの気まぐれで殺されてもおかしくない。
とはいえこいつら、末端も末端のプレイヤーのようだ。
恐らくだが、大した情報は知るまい。
趣味と独断で殺しをやっていいはずはなかった。
「やっぱり。“ランダム・エフェクト”に持ち帰った方がいいと思う」
「……太郎に知らせるの?」
「そうね」
「くそっ。結局また、あいつの手柄になるのか」
「こっち側のアピール次第でしょうね」
そこで早矢香は、つかつかと孝之助の元に歩み寄る。
「おい。そこのブス男」
「…………………………」
ここ一ヶ月、優しい言葉だけをかけられて生きてきた孝之助は、その言葉に一瞬、心が凍り付く。その不満そうな表情を察したのか、すぐさま鋭い平手打ちが飛んできた。
「………………ぐっ」
焼き肉食い放題の女と同じだ。
こいつら、平手打ちが大好きだな。
「いまからまた。お前を。移動させる。だがその前に。ちょっとした。拷問を。行う」
「…………は?」
「もう。お前の。恋人は。助けた。だから。今のうち。いうべき。ことが。あれば。話せ」
「なに、を」
再び、平手打ち。
「あとで。苦しんで。死ぬか。いま。安らかに。死ぬか」
滅茶苦茶だ。
こういうのって、嘘でも「正直に白状したら生かしてやる」というものじゃないのか。
「はっきり言っておく。……俺は、マジで、“証明書”のことは、知らない」
覚悟の言葉に、早矢香は不気味に笑った。
「杏奈は。手を出すなよ。あんた。殺しちゃうかも。だから」
「…………ちぇッ」
そうして、拷問が始まった。
▼
そこから先は、ボコボコだった。
殴られ、蹴られ、皮膚を削られて。
致命傷一歩手前のダメージを受け、意識が飛びそうになっても、それで終わりにはならない。早矢香は《治癒魔法》の使い手であったためだ。
アイマスク女の拷問はどこか、巧くいかない人生に対する憂さ晴らしのようでもあり……もっというと、……なんというか、性的ですらあった。
まるで、孝之助を殴れば殴るほど、彼女の性感帯に電流が走るようだ。
だからだろうか。
女はまるで、“ゾンビ”が肉を貪るように、孝之助をいじめ抜く。
――普通じゃない。
激しく傷つけられながら、孝之助はどこか、客観的にそう思っていた。
この女はうすうす、自分が何も知らないことに気づいてる。
だがそれでも、1パーセント以下の可能性のために、孝之助を殴っている。
恐らくそうするのは……きっと、彼女の欲望と無関係ではない。
――“プレイヤー”って連中はみんな、こんなふうなのだ。
茫洋とする頭で、そう思う。
そうだ。そうなのだ。
連中は、他者への攻撃に正当性を見いだしてしまっている。
“レベル上げ”という名前の、正当性を。
高レベルのプレイヤーはみな、殺しが癖になってしまっている。
そこに、快楽を見いだしてしまうくらいに。
それが、いやだった。
どうしても、こわかった。
そうだ。
だんだん、思い出してきた気がする。
俺は、“プレイヤー”が嫌いだった。
――だから……………………だから、俺は………………銀助に。
意識が、途切れかける。
「は。………………は。……………………はっ。……ははははははっ」
「おい、――早矢香。あんた、やり過ぎてない?」
「もうちょっと。もうちょっとで」
「…………あんたひょっとして、こいつでイこうとしてない? ――うげーっ。止めてよ、もお。趣味悪いって」
遠く、女二人の声が聞こえる。
「ってか……やばっ。こいつひょっとして、マジで死にかけてるんじゃ……」
「えっ」
「馬鹿ッ。『殺すな』っていったの、自分じゃん」
視界が、霞んでいる。
口の中が、血液でひたひたになっているのがわかる。
胴から上がボロぞうきんのようになっているのがわかる。
――もう、何もかもどうでもいい。
そう思った。
そう思っていたが…………一つ。
奇妙なものが、見えていた。
慌てる早矢香と杏奈の背中から、じっとこちらを見ているもの。
髑髏の仮面に、ダイバーが着込むウェットスーツめいた服装の、奇妙な女だ。
一瞬、孝之助はそいつを、死神か何かと見まがう。
だが、違った。
そいつは、ゆっくりとこちらに歩み寄って、……そして。
「伏線なしの登場、恐縮の至り」
ご丁寧にも、ぺこりと挨拶して見せたのである。
「
「――――――えッ?」
「本日は、お二人を殺しに参りました。どうぞよしなに」
“魔王”様の登場だ。
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