その211 半年前

 半年ほど前だったか。


「なあ、孝之助。……遂に見つけたぞ」


 『異世界転生』にて。

 個室内、声を潜めるようにして、そう言われたことを覚えている。


「この前、■■■■■■■って言ってたよな?」

「え? ……ああ、まあ……」

「その望み……叶えられるかもしれない」

「どういうことだ?」

「とある、アイテムの話を聞きつけたんだよ」

「アイテム――実績報酬か?」

「そうだ。……普通の実績報酬じゃあない。“魔女の落胤”の人間が遺した者……アリスのお墨付きって話だ」

「へえ」

「これを使えば、■■■■■■かもしれない」

「…………ほう」


 少し、身を乗り出す。


「それ、なんて名前のアイテムだ?」

「“悪魔の証明書”っていう」


 悪魔の証明?

 どこかで聞いたことあるような……。


「消極的事実の困難性を現す言葉だよ。こいつを使えば、それに関係した物、あるいは人物の認識ミームを改変することができるらしい」

「…………でも、それ」


 かなり、危険なアイテムじゃないのか?

 ちょっと考えただけでも、いくらでも悪用できそうだが。


 孝之助の言葉に、銀助は気軽に笑った。


「一枚くらい使っても、きっと大丈夫さ。たぶん」

「いやいやいや。ダメだろ」

「でも別に、悪用する訳じゃないし。俺は単に、困っている友達を助けたい。それだけなんだからさ」


 友人……夜久銀助にはこういう、不用意なところがある。

 『友達の頼み』に関わることとなると、特にそうだ。

 それが彼の、良いところでもあり……悪癖であるとも言えた。


「しかし、それでお前が、責任をとるハメになったら」

「その時は、その時さ」

「――“終わらせるもの”に、罰を与えられないか?」

「大丈夫だよ。あの娘そーいうところ、緩いところあるし」

「ホントかよ……」


 とてもではないが、信じられない。


 孝之助は一度、彼女を観たことがあって……今でも、そうした自分を罰したいと思ってるほどなのだ。


――化物。


 正直その時、そう思った。


 学校指定の赤ジャージに、ぼさぼさ頭。腫れぼったい眼鏡。なんだか眠そうな目つきの奥に眠る、――深い、絶望の気配。


 “彼女”は何かに、深く絶望している。


 祝福も、栄光も。

 この“終末”の世の中にいて、おおよそ人が願う、有りと有らゆるものを手にしておきながら……“終わらせるもの”は明らかに、何かに不満を持っている。

 少なくとも喜田孝之助は、そう感じた。


――“プレイヤー”としての人生を極めてもなお、ああいう顔をするのなら。


 きっとその道には、幸福など存在していないのだろう……と。


 銀助は、“無限生成されたフライドポテト”をくにくに噛みながら、気軽にこう続けた。


「それに、この話にはちゃんと、こっち側のメリットもあるんだぜ」

「え?」

「俺は、お前を信じてる。――お前に“証明書”を預ければ……そこはきっと、『世界で一番安全な場所』になると思うんだ」

「…………」

「これは、取引だ。俺は、お前の望みを叶えてやれる。……だがその代わりに、“悪魔の証明書”の守護者になってほしい」

「…………………………」


 孝之助は、しばし押し黙る。


「俺の、望み……■■■■■こと……」

「そうだ。………………もちろん、他にやり方がない訳じゃない。けどそれは……」

「そうだな――■■■■■■」

「そう。■■■■を利用すると、■■■の時に■■できない」


 そうして彼は………………結局。

 その話に、乗っかることにしたのだ。



「………………………………」


 孝之助は……地面の上で膝をついた格好で、目の前に居る“プレイヤー”の会話を聞いている。


「でも、どーするのよ。目に見えないアイテムを奪い取るなんて……」

『困ったわね』


 そして、杏奈はこちらを振り向いて。


「あんた。――あんたは、“証明書”の取り出し方、知らないの?」

「すまん。知らない」


 事実だ。

 実際、孝之助自身、その辺の記憶がすっぽり抜け落ちている。


 夜久銀助は恐らく、「孝之助の助けになると思って」“悪魔の証明書”を使った。

 それに関連して、彼の記憶に欠落が生まれているのだろう。


 ただ間違いなく“それ”を、孝之助は持っている。

 恐らく今も。肌身離さず。

 その事実に、誰も気づくことができないだけだ。


 自分でも妙な現象だと思うが、それが真実である。


「…………ちっ。使えないやつ」


 十歳近く年下の女にそう吐き捨てられて、孝之助は少し、哀しくなった。


「ってことはさ。……つまり……」

『んー。そうね。仕方ない。…………こいつを直接。連れ帰るしかない』

「うげー! めんどくせえ。殺して奪い取るんじゃだめ?」

『ダメ』


 だん、だんと地団駄を踏んで、杏奈は歯がみする。

 その時だった。

 通りの向こうの方……視線の先、百メートルほどの位置に、人影が見えたのは。


――あれは……。


 明らかに、こちらに向かって走っている。

 遠目には、その正体はわからない……が、恐らくは“ゾンビ使い”だろう。

 “口裂け女”が殺された時点で、別の個体を大急ぎでこちらへ向かわせているのだ。


『まずい。時間がない』

「……ちっ」


 杏奈は、引ったくるような動作で、孝之助の身体を抱きかかえた。

 ……格好悪い。いい歳して、お姫様抱っこだ。


「いいか、おっさん。暴れるなよ……。あと、変なところ触ったら殺す」


 そんなのこの体勢じゃ、無茶だろ。


――それにそもそも、触りたくもない。


 孝之助がそう思っていると……もの凄い勢いで、杏奈が走り始めた。

 その速度は明らかに、人智を超えている。


 一度、“サンクチュアリ”で観たことがある。《縮地》を使ったのだ。


「あと、舌も噛むな。まだ、死なれると困るんだから」


 彼が祈っていたのはただ、――よし子の無事だけ。

 あとのことは正直もう、どうでも良かった。

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