その174 刺客
「うん……しょっと。――ほら、リクさん! 手を貸しなさいな!」
「あ、ああ……」
ごく普通のハシゴを昇るのすら一苦労する私に、リクさんは「マジかよ」という表情をしています。
……だってそうでございましょ。
私、ほとんど丸一年と半年くらい、引きこもり生活をエンジョイしてたんですもの。
そりゃ、体力も落ちるっての。
よっこいしょとバリケードを乗り越え、ほっと一息。
呼吸を整えるのに、数分を要します。
「っていうかお前……本当に”プレイヤー”なのか?」
リクさんの顔には、もうすでに『後悔』の二文字。
コイツ、囮にすらならないかも……って感じです。
「おきになさらず。私、非戦闘時はこんなもんなのです」
「へえ……。いわゆる、”落胤”枠ってことか?」
「らくいん? なんですそれ」
「”魔女の落胤”。――”アリス”のお気に入りってことだ。大抵、普通の”プレイヤー”とは違った、特別な能力を持ってる」
なにそれ。知らない。
地味に、ゲームには登場しない用語も存在するんですのねー。
考えてみれば、この世界の
「まあ、そんなとこです」
細かく説明する訳にもいかないので、適当に嘘を吐きます。
「ちなみに、一つ聞いても良いですか?」
「なんだ?」
「この辺りの情勢って、どういう感じ?」
「この辺り……東京駅周辺のことか?」
「はい」
「地元だろ」
「そうなんですけど、活動を開始したの、割と最近なんです」
「そうか」
リクさんは、嘆息気味に解説してくれます。
「東京都内はいま、戦国時代みたいになってる。だから、たった一言で事情を説明するのは難しい」
「ほう」
「ただ……この辺りはいま、二つのでっかい派閥が隣り合っている状態だ。……片や、”楼主”。……片や、東京駅を牛耳ってる”プレイヤー”チーム。”ランダム・エフェクト”って連中だ」
「ほうほう」
「ちなみに俺は、”ランダム・エフェクト”の末端。上に命じられて、ソフト・クリームを”楼主”の縄張りで売ってたってわけ」
「へえ」
「だが、ことが明るみになって……。昼間の動きが封じられてな。それで俺、アズサの元で、しばらく休んでいたんだ」
「へえ。――でも、『魔性乃家』に潜り込むなんて。”楼主”さんのお膝元ですよ? 度胸があるんですのね」
「”楼主”は、従業員のプライバシーを重んじるやつでな。むしろあそこが、一番安全だったんだ」
へー。
「ってことはひょっとして、もう危険な領域は脱した……ってことですか?」
「――いや」
リクさんは、少し顔をうつむかせて、陰鬱そうに言います。
「たぶん、もうすでに監視がついてるよ。俺たちは……ここまで泳がされてるんだ」
「あらら」
それはちょっぴり、困りましたわねえ。
「……どっかのタイミングで、敵が現れるのは確定……って感じ?」
「そうだ」
そっか。一悶着ある感じか。
「一応、言っておく。もし荒事になっても、戦う必要はないからな」
「え? そうなんですの?」
「ああ。いくら三流でも、俺だって”プレイヤー”だ。本気になれば、逃げることくらいはできる。……東京駅の構内まで行けば、仲間が助けてくれるはず」
「なるほど」
私、追っ手を一人でも減らせれば御の字、くらいのポジションなんだ。
頑丈さに自信がある、超人ならではの発想ですわね。
彼らって、銃で撃たれても死にませんから。
▼
などと、のんきにおしゃべりしていると。
「……こんにちは」
頭の上から、声。
見上げると、ジャージを着た女の子が一人、もう機能していない街灯の上に立っていました。
「こんにちはっ」
挨拶は大事です。私は元気いっぱいに応えます。
「………………ッ!」
とはいえ、連れ合いの方はそうでなく。
暗闇でも分かるくらい血相を変えて、脇差に手を当てました。
「あなたのお名前は?」
「………………。多田、理津子」
はあ。理津子さん。
……『JKP』のキャラかな?
どーだろ。モブレベルのキャラ名までは覚えてないから……。
けれど、リクさんの方はそうでないご様子。
「雅ヶ丘の校章……。聞いたことあるぞ……! サンクチュアリの”不死隊”か」
「あら。なにか知ってるんですか、リクさん」
「ああ……! 西武池袋線と、舞浜周辺を縄張りにしてる連中だ。――その辺りのガキは、死んでも蘇生することができるらしい」
ほう。
《
覚悟はしてたけど、ちょっぴり面倒ですね……。
理津子さんは、じっと私たちを眺めた後、
「………………お前――リク、ってやつだな。”ソフトクリーム”の売人の……」
「だったら、どうした?」
「…………話が、ある。ちょっと、私たちに付き合ってほしい」
「……………………」
リクさん、思いっきり顔をしかめます。
「”楼主”の、依頼か?」
「…………応える必要は、ない」
そして理津子さん、十数秒ほどたっぷり間を作ってから、
「…………傷つけたりも、しない」
という、とても嘘っぽい言葉を付け加えます。
その時、でした。
リクさんが……とーってもわかりやすく、私をちらちらと見てきたのは。
(うん。わかる。いますぐ逃げ出したいってことですわね)
けどそれ、相手にもバレバレな気がするんですけどー。
その証拠に理津子さん、鋼鉄の剣を鞘から抜いて、哀しげな表情で臨戦態勢。
「……言っておくけれど。私たち、容赦しないよ。私たちには……《治癒魔法》が、ある。だから、……足を切り落として連れていったって……構わないの」
そこで彼女、遠い目で周囲を見渡して。
「それに、――私には、仲間もいる。絶対に逃げられない」
「そうかい……」
不敵に笑う、リクさん。
けれどその額は、びっしょりと脂汗で濡れています。わー。ばっちい。
「ねえ、リクさん。――別に、捕まっちゃってもいいんじゃないですか? そんなにその……ランダムなんちゃらって連中が怖いんですか?」
「怖い、なんてもんじゃねえ。……”ランダム・エフェクト”の連中は、裏切り者を赦さないんだ。たぶん捕まったら、公開処刑だよ」
わあ、野蛮だなぁ。
ってか私、そんなにヤベー連中の隣で、のほほんと暮らしてたんだ。
そこで私、覚悟を決めます。
(どーせ荒事になるってわかってるなら……、先手必勝)
けれどその場は、ちょっとした膠着状態。
しゃーない。私が動くか。
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