その108 ぬるま湯の覚悟
ぬるま湯の中に居て。
「うーーーーーーーーーん」
神園優希は、ボンヤリあぐらをかいている。
この、終末の世の中にいて、風呂。
そのありがたみを噛みしめているのだ。
とはいえ、その脳裏を堂々巡りしている思考はただ、
――とにかく、センパイの信頼を取り戻すことだな。
その一念である。
そうするためなら、多少の犠牲も厭わない、と。
なにせ自分はいちど、彼の期待を裏切ってしまっている。
それに関して、言い訳したいことはたくさんある。が……少なくともいまは、その時ではない。
真なる想いは、言葉でなく、行動で示す。それが優希のスタンスだ。
だからこそ彼女は、とある計画を頭に思い浮かべていた。
自分の容姿、しゃべり方、その立ち振る舞いは、不思議と人を惹きつける……それはなんとなくわかっている。
故に優希は、
――彼女たちと、恋をする。
……というと少々、大袈裟な表現だが。
異性愛者であっても、それに近い関係性を築くことは可能だ。
――よし、やろう。センパイのために。
ざばっと風呂を上がり、しばし、浴室に備え付けられた姿見に身体を映す。
人に好かれるには、……自分の形を正確に理解しておくことが大切だ。
普段は見えない位置を入念にチェックし、傷一つないことを確認しておく。
「うん。今日もぴかぴか。無垢そのものだな」
終末の世に居て、綺麗なままで居られるのは、天宮綴里のお陰だ。彼がいなければ優希は、百度は殺されていただろう。
「………………あいつにはもっと、感謝しないと」
物思いに耽っていると、からりと風呂場の扉が開いた。
振り返って見ると、ミソラとユキミだ。
ミソラは、姿見の前で仁王立ちになっている自分を見るやいなや、
「あっ! ご、ごめんなさ……!」
まるで、見てはいけないものを目の当たりにしたかのような声を上げ……引き戸を閉めようとする。
それを咎めたのは、すぐ隣にいたユキミだ。
「何を、逃げることがあるのです。同性ですよ」
「それは、そうだけどさ……わかんないかなぁ。優希さんってほら、……綺麗すぎて……眩しくて」
「何をおっしゃる。ではミソラは、私の身体はそれほど綺麗ではない、とおっしゃりたいのですか?」
「え、いや、そんなことはない……ぜんぜんないけどさ!」
言いたいことは、わかる。
優希のシルエットは、どこか男性を思わせるところがある。彼女が狼狽したのは、その辺が理由だろう。
「そうだよ。ユキミちゃんの方が、出るとこでてて、すごく美人だ」
「それは、どうも」
ユキミは、すまし顔で礼を言う。
「こっちはむしろ、隅々まで観て欲しいくらいだぜ。俺の身体に、恥ずべき部分はどこにもないからね」
「わ・わ・わ・わ……!」
狼狽するミソラを見ていると、彼女がスーパー・ガールであることを忘れてしまいそうだ。
「優希さん。ミソラをからかわないでください」
唇を尖らせたユキミが、仲間の手をそっと引く。
その仕草はまるで、本物の姉妹のようだ。
――出会ってそれほど日も経っていないらしいのに……波長があうのかな。
そう思いつつ、優希は再び、湯に浸かった。
もうそろそろ出ようと思っていたが……二人が現れたのなら、話は変わってくる。しばらく様子を見ているのもいいだろう。
「それにしても、――今日は悪かったな。ワガママを言ってしまって」
「いえいえ! 良いんです。綴里くんいま、航空公園のコミュニティにいるんですよね」
「ああ」
「それなら、直接会いに行くべき。でしょ」
一瞬、視線を床に落とす。
嘘は苦手だ。……悪意がないに吐く場合は、特に。
「まあ、生きていればね。そこで再会するって、そう約束したから」
「きっと大丈夫! 綴里さん、素早しっこそうだし、生きてますよ!」
「なら、いいけど」
話しつつ、二人が泡まみれになっていくところを、じっと観察する。
スーパー・ガールであっても、身体の洗い方は普通だ。
優希は、話題を逸らす気持ちで、疑問を投げかける。
「ところで二人は、恋人とかいるの?」
それは、何気ない日常会話のつもりだった。
実際、ユキミはそう受け取ったらしく、
「生殖行為には興味がありません」
髪を洗いながら、素っ気なく答えた。
少し反応がおかしかったのは、ミソラの方。
彼女、数十秒はたっぷり沈黙したのち、
「……………………なんで、そんなこと聞くの?」
と、深刻そうに訊ねる。
――む。地雷だったか?
優希は少し眉をひそめて、
「いや。ただ、なんとなくだけれど」
正直に応えた。
「きみたちみたいな可愛い女の子は、どういう男の妻君になるのかと思ってね。その日がいつになるかわからないけど、きっと結婚式は、呪うべき日になると思う」
「呪うべき日、ですか?」
「うん」
「それは、何故?」
「俺みたいなやつにとって、きみたちみたいなのは、写真の中のごちそうなのさ」
「…………?」
ミソラは一瞬、その真意を測りかねたようだが、
「……ふうむ」
ユキミの方には、ピンとくるものがあったようだった。あるいは元々、気づいていたのかもしれない。
彼女はその、お人形のような顔をこちらに向けて、
「私たち、お風呂に入るタイミングを分けた方がいいかもしれませんね」
冷たい、とも受け取れる言葉だった。「お前は仲間ではない」と。
「任せるよ。ルールはきみたちが決めるべきことだ」
「??????」
ミソラだけが状況を理解していない感じで、二人の顔色を交互にうかがう。
優希は、ここいらが退散のタイミングだと判断し、
「それじゃ俺は、早めに寝るよ」
さばりと湯船を出た。
「明日の予定は、6時に航空公園でいいかい」
「……そう思ったのですが、早い方が良いでしょう。5時にします」
「そっか。まだちょっと、暗い時間だな」
「その方が、あなたを護るのに都合が良い。そうでしょう?」
「そうだね」
それとなく答えて、風呂場を後にする。
――ユキミちゃんは何か、警戒しているようだな。
直感的に、そう思いつつ。
だが最早、引き下がるわけにはいかない。
彼、……先光灰里の信頼を取り戻すためなら、命を賭ける覚悟がある。
もし。
もしも、彼の足を引っ張るくらい、なら。
――きっと自分は、死を選ぶ。
そういうふうに、思えたから。
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