その109 午前四時

「…………ちゅるる………ずずずずずっ……ちゅるるるる……ぬちゃあ……」


 背脂ギトギト系のインスタント油そばに、マヨネーズとニンニク・チューブをぎゅーっと絞った、豚の餌的な何かを啜る。


「うまい。うまい。うますぎる。ぼくはうまいものを食っている」


 そう、自分に言い聞かせつつ。

 なんだか自然と、涙がこぼれそうな気持ちだ。


 ”プレイヤー”になる前の自分なら、きっと胃の中がでんぐり返っていたであろうその食い物を、渋い表情で口へと運ぶ。


 お次に胃の中に流し込んだのは、あらかじめぐしゃぐしゃに砕いたプリンと、ブラックコーヒーを混ぜたものである。

 こいつを太いストローで呑み込むのだ。


「…………ずず……ず……ちゅー…………ずるる…………」


 具体的な味は、推して知るべし。

 創作失敗系コンビニスイーツの感じだ。


「これが、おいしいんだなぁ……ホントに。……すごいおいしい」


 驚くなかれ。

 これら背徳的な食い物を貪っている今の時刻は、深夜四時前。


 すでにツバキを、航空公園のコミュニティ内、人気のない裏路地に待機させている。

 無論、危険な賭けである。

 どうもカナデさんは、何らかのスキルの力でこちらの位置を把握できているようだが、その効果範囲までは不明だ。

 下手をするとやぶ蛇になるかもしれないが、リスクを恐れていては得られる情報も得られなくなってしまう。


――今回の目標は、カナデさんのスキルの謎を解くこと。


 そこに限定しておく。

 それ以上のことは、追わない。攻撃も仕掛けない。

 無論、機会に恵まれればその限りではないが、向こうとてそれほど間抜けではなかろう。


「……よし」


 準備万端。

 予定時刻までたっぷりあるので、綴里の様子を伺っておく。

 いま彼は、”テント組”と呼ばれる人々に交じって生活しているらしい。


 ”テント組”というのは要するに、この近隣のマンションに住んでいない人たち……よそから来た住民である。

 情報によると、すでに”マンション組”と”テント組”の間では富民と貧民めいた関係性が生まれつつあるというから、集団心理は面白い。


 この分だと、人間のリテラシーが戦国の世に回帰するのは、時間の問題かもしれないな。


「もしもし綴里。いるか? 今日も可愛いか」

『はい、お疲れ様です、センパイ。今日もとびっきり可愛いですよ』


 阿吽のやり取りに二人、へらへらと笑い合う。


 神が彼の身体を創るとき、


――よーし。めちゃんこ可愛い人間を作ったぞ。

――ここでちんこをひとつまみ……w


 などと言ったかどうかは定かではないが、いずれにせよ「神の気まぐれ」という言葉がぴったり当てはまる、女性的な見た目の我が友は、これまた女の子としか思えない柔らかな声で、


『とりあえずいま、こっちに動きはないですね。”三姉妹”を名乗る彼女たちも、まだ来ていません』

「まあ、朝早いしな。そっちの状況は」

『特に変わりありませんよ』


 綴里には、彼なりの目線で近隣グループの様子を伺ってもらっている。

 航空公園のコミュニティは、今のところもっとも近場にある人間のグループだ。

 僕が自宅を動けない以上、長い付き合いになることは想像に難くない。

 故に、ここの人たちの生活も守ることも、僕の人生には必要なことだった。


『強いて言うなら、”テント組”の人たちが、公園の方に移住しないかって話があるくらい、でしょうか。ちょうど、キャンピングカーの展示会をやっていたらしくって、住むところには困らないようです』

「キャンピングカー。それはたしかに、いいな」

『ただ、山ほどゾンビがいるので、その点をどうするかが課題ですが』

「ふむ」


 一瞬、《死人操作》アプリを起動して、公園内にいるゾンビを確認する。

 そこは、ちょっとみただけでも「うわっ」ってなるくらいの光点が蠢いていた。


「……ここを解放するには、”プレイヤー”の力が必要だな」

『はい。だから、その……スーパーガールの力を借りれないかって、昨夜相談してたみたいです』


 スーパーガール。

 要するに、ミソラさんたちのことだろう。


「当たり前かもしれんが……向こうは名前、売れてきてるなぁ」

『そりゃ、まあ。ミソラさんはとくに、目立ちますからねぇ』


 目立つ。

 この要素、地味に”プレイヤー”としては有利である。


 人に頼られるということは、向こうから困っている人がやってくるということ。

 向こうから困っている人がやってくるということは、自然とレベルが上がっていく、ということである。

 どう考えても、あっちこっち彷徨って要救助者を探すより効率がよい。


――いかんな。この調子だと、どんどんレベルが引き離されてしまうかもしれない。


 渋い顔をして、考え込む。

 その解決策は一応、頭に浮かんでいた。

 綴里の口から、彼女たちの悪評を流してもらう、という手だ。


 『三國志』とか読んでると、わりとありがちな策だが……。


――止めておこう。そういうことは。


 理屈ではなく、心の部分で、そう思う。

 彼女たちみたいな少女が、無辜の民から石を投げられるようなできごとは、起こって欲しくない。

 これは、僕自身の信念の問題だった。


『どうしました、センパイ。なんか黙り込んじゃってますけど』

「いや、なんでもない」

『それで……私はこのあと、どうしますか? 人混みに紛れて、油断したカナデさんを攻撃する……とか?』

「もちろん、それで話が済むなら、その一手で終わらせたい。だが恐らく、そこまで彼女たちは馬鹿じゃない。今回のところは、様子見でいいだろう。優希と合流するかどうかも、話の流れに任せていい」

『それは、何とかして止めておきます。私はここに残った方がいい。いまのうち、ここのグループの知り合いを増やしておきます』

「そうか」


 ここの人脈の重要性について、しっかり打ち合わせした訳じゃない。

 だが彼なりに、この場所でやるべきことには気づいているようだ。賢い後輩である。


「では、引き続き頼んだ」

『はい』

「高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に、頼むよ」

『はいはい』

「――もし何か、危険なことがあったら……」

『はいはいはい。わかってます。……んもー。センパイったら、お母さんじゃないんだから』


 そんな一言を最後に、ぷつりと無線が切れる。


――お母さんじゃない、か。


 仮にそうだとしてもこっちは、みんなの兄貴、くらいの気持ちでいるのだがね。

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