その106 手損
むろん、そこで攻め手を止めるつもりはなかった。
ご飯たっぷり生姜焼き弁当をかっくらいながら、次の個体を選ぶ。
しかしそこで、想定外の事象が起こった。
一瞬前まで密集していた赤い光点の数が、三分の一ほどにまで減少していたのである。
「……む」
そうきたか。
スズランが何をしたかは、想像に難くない。
鮭おにぎりを呑み込んで、ミルクティーをがぶ飲み。
僕はいったん、安全地帯の豪姫に視点を移した。
画面に表示されたのは……遠目に、昏い炎をまき散らす飢人の姿である。
すでに御輿は地に落ちており、女は中腰に近い格好で、あたりをぎょろぎょろと見ていた。その立ち姿から、
――あの女、足を痛めているらしい。
そう推測した僕は、内心、チャンスだと思う。
――ここで勝負を決められる、かもしれない。
とはいえ、やるなら急がなければ。
すでに、魔力切れが近い。もともと食が細いせいもあるのだろうが、供給が追いついていないのだ。
アレコレと考えを巡らせ、
キーボードを操作しつつ、
ひたすらモノを食い続ける、というのは……、思ったよりかなり難しい。
史上最悪のゾンビ映画を目の当たりにしながら食事するというのも、地味にメンタルが傷む。
――いっそ、豪姫に特攻させるか……?
少し、迷った。
彼女の素早さなら、スズランと刺し違えることくらいはできるかもしれない。
――あるいは、別の一手。
何か、適当な個体を支配下に置いて、そいつで攻撃する作戦だ。
だがこの方法は、博打である。
先だって体験した通り、ゾンビ選びは運が絡む。
どれほど見た目の良い個体であっても、運動性能が高いとは限らない。
歯がみする。
自分にとって何が大切かは、わかっているつもりだった。
それでもまだ、迷いがある。
マウスを握る手が、じっとりと汗ばんだ。
――おい、うちゅーじん! あんた、こんどの日曜、暇じゃない?
――男友達の誕プレ、選びたくってさ。
――あんたの意見を聞きたいわけ。付き合ってよ。
――……なぁに、灰里。妬いてんの?
――ははははは! んなわけないか!
生前の、豪姫の言葉がフラッシュバックする。
混乱していた。
走馬灯の如く、なんてことのない会話ばかりが、脳裏に蘇る。
「くそっ」
迷っていたのは、二、三秒ほどだった。
最適解が何かは、わかっていた。こんな風に迷うつもりもなかった。
そのつもりだった、のに。
結局、僕は……僕は……。
――ねえねえ、うちゅーじん。
――あんたみたいなのって、人を好きになること……あるの?
――ふーん。……それってすこし、哀しい生き方だね。
――あたし?
――あたしも……そだね。
――誰も、好きにはならないと思う。
――あたしみたいなのに好かれたら、きっとその人、不幸になるもの。
視界内にいる、もっとも損傷部位の少ない個体を選択・支配下に置く。
そして、即座に理解した。足が遅すぎる個体、……
「……魔法はどうだ」
ステータス画面を開く。
使える魔法は、よりにもよって《時空魔法Ⅰ》。戦闘では役に立たないヤツだ。
「――………………ッ」
もはや、取り返しが付かない。
この個体が破壊された瞬間、魔力が枯渇することはわかっていた。
こうなってはもはや、
――やる。まっすぐ行って、ぶん殴る。
これしかない。
『ぐるぁ、ぐるぁ、ぐるぁ! ぐがあああああああああああああああッ!』
『ぐぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!』
こちらの様子に気づいた数匹のゾンビが、真っ直ぐこちらに飛びかかってきた。
その攻撃を巧みに躱し、周囲を見回す。
残念、《幸運》ロール失敗。当たりに落下物はない。
となると選択肢はもはや、直接攻撃の他になかった。
それが、絶望的な特攻になることは、重々承知している。
詰みの決まった将棋を、予定調和的に打ち続けるような気分だった。
『――ッ!』
だがこの行動にも、小さな利点はある。
スズランの心に、はっきりと『恐怖』の二文字を刻みつけることができたのだ。
『く……くるなっ』
女は、怯えた表情でこちらを睨み付け、例の火系魔法を放つ。
とはいえ今度の攻撃は、狙いが甘かった。
放たれた魔法は、その軌道を大きく逸らして敵のゾンビ軍団を焼く。
「僕が倒したゾンビより、あいつが殺したゾンビの方がよっぽど多いな」
呟いて、敵へと肉薄。
これならもう一撃くらい、殴れるかもしれない。
そう期待するが……決着は、意外なほどあっさりと終わった。
『この……ッ!』
女の放った、手刀が一閃。
それだけで、ぽーんと視界が跳ねる。
その後はまるで、球技用ボールにカメラでも装着したような視点だった。
ゾンビの頭部は、ごろごろと地面を転がって、天を仰ぎ見る。
「飢人は、チョップ一発で首を刎ねるのか」
恐ろしいやつだ……と、思うと同時に、《死人操作》アプリがフリーズ。例の空腹に襲われる。
すぐさま、手元にあったホットドッグに噛みついて、魔力の回復に取りかかった。
はぐはぐ。
もぐもぐ。
ごくごく。
むしゃむしゃ。
二十歳の男、PC前、深刻な表情で食い物を口の中に入れる……。
そんな、奇妙な時間が、五分ほど過ぎて。
アプリの再起動を確認し、詰め込んだ菓子をごくんと呑み込む。
まず調べたのは、豪姫のこと。
彼女は、傷一つなかった。
「…………………ほっ」
ひとまず、安心する。安全な場所で待機させておいて良かった。
さらに、改めて状況を確認。
先ほどまで彼女がいた位置には、黒焦げのゾンビが倒れているばかり。
スズランの姿はもう、どこにもいなくなっていた。
これで一応、……追い返すことには、成功した、が。
――殺せたはずなのに、殺せなかった。
渋い表情で、人気の消えた道路を睨む。
「きっとまた、やってくるな……彼女」
この手損が何か、大きな悲劇に繋がらなければいいのだが。
「…………………」
ああ、いかんいかん。気持ちがネガティブな方向に偏っている。
こういうのを「死亡フラグ」と言うんだと、弟にいつも、キツく言っているのに。
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