その100 化け物

『ってことが、あったぜ』

「………………」


 『そうか。わかった』……と。

 なんとかそれだけ、キーボードに入力して。


『一応言っとくと、壊された壁はばっちり修復しておいた。これ以上の”ゾンビ”の侵入は、ない。けど……』


 次に”飢人”が現れた時、……助かる見込みは、少ない。

 情報を聞き終えて、僕は内心、冷や汗をかいている。

 弟の両腕にはいま、先だっての襲撃によると思われる、生々しい傷痕が残っていた。


 僕は亮平に、


・無線機は常に持ち歩くこと。

・最低でも一人、ホームセンターの屋上に見張りを立てること。

・危険な状況になったら、ホームセンターの地下に立て籠もること。


 この三点を命じた後、連絡を打ち切った。


「……”飢人”。そうか」


 プレイヤーがゾンビになると、変異体ミュータントとなる。

 はっきりいって、想定外だった。

 今思えば、見通しが甘かったと言うほかにない。


 ”ゾンビ”は、生前の人間の能力を引き継いでいる。

 であれば、プレイヤーの力を引き継いでもおかしくはない。


――こりゃあもう、気軽に死ぬこともできなくなったな。


 もっというと、”ゾンビ毒”を利用した戦法も、自重しなくてはなるまい。

 ゾンビたちを使う最大の強みは、どのように強力な相手でも、一噛みできれば倒せる点にある……そう思っていた。

 しかしその結果、もっと極悪な生物を誕生させてしまうとなると、話は別だ。


「ふーーーーーーーーーーーむ…………」


 長く、苦しげなため息を吐き、熱い珈琲を飲む。

 舌上を黒い液体が通り過ぎ、「最適解を導き出せ」と、僕を叱咤する。


 特に意味もなくノートを取り出し……あーでもないこーでもないと、次の展開を予測して。


――敵の規模が正確にわからん以上、どう動くべきか検討もつかんな。


 いっそ、ホームセンターの拠点を捨ててしまうべきかとも思う。

 だがそれは、苦難の末、ようやく獲得した城に自ら火を点けるようなものだ。最悪の愚策であるかもしれなかった。


「最適解……最適解……ふーむ……」


 考えても考えても、ドツボに嵌まるばかり。


――古来より戦場とは、75%の不確実性の霧に覆われていると聞く。


 全てを手のひらの上で動かそうというのは、土台無理な話なのかもしれない。

 その後、……無意味に巧いドラえもんの落書きが出来上がったあたりで、


「……アリスに……会いたいな……」


 と、率直な感想を漏らした。

 ”魔女”、アリス。

 この世界で起こった何もかもの元凶……かどうかはわからないが、少なくともそれと無関係ではないであろう存在。


 彼女という『答え』が、僕にとってどうしても必要だった。


 と、その時である。


『――呼んだ?』


 ごく普通に、あの白髪の娘が、隣に立っていた。

 それが、あまりにも突拍子のない出現だったものだから、思わず悲鳴を上げそうになる。


「きみ……きみ……きみ……」


 どうして、こんなところに?

 言葉に詰まっていると、アリスは僕の鼻先にPS4のコントローラーを差し出して、こう言った。


『おぬし前、パッド対応しないかとか、言ってたろ』

「ああ……そういえば……」


 一瞬、納得しかけて。


「しかし、こうも言ったはずだ。訊ねてくる時は、いったん予告してくれ、と」

『予告なら、したぞ。ちゃんと部屋に入る前、ノックした』

「マジか」

『まじまじ』


 全然気づかなかった。

 ということは僕は、彼女が普通にドアから入ってきて、室内をフラフラしているにも関わらず、ずっと気づかずにいたということか。


『おぬし、あれか。集中すると周りが見えなくなるタイプか?』

「そうかも……しれない」


 眉間を揉む。

 なんだか、自分が死ぬ時はこういう、間抜けな死に方をする気がしたためだ。


『ま、ええわ。それよりもおぬし、面白い漫画とか知らん?』

「まんが……?」

『うん。いろいろとまあ、やることもやったし。しばらく暇での』

「そうかね」


 僕は嘆息して、本棚へ向かう。


「短く完結してる方がいいか?」

『そりゃまあ、当然じゃろ。――続刊する可能性とか、ほとんどゼロじゃし』


 苦い顔で、九井諒子先生の短編漫画を引き抜く。


「まったく。誰のせいだよ」


 アリスは、それに答えない。

 例の、『ネタバレ禁止』とかいうやつだろう。


 だから僕は、少しだけアプローチを変えて、


「ところできみ、”飢人”の存在は少々、――バランス崩壊してないか?」


 と、ゲームクリエイターの性根を刺激するような方針で攻めてみた。


『なぬ』


 思った通り、白髪の少女の眼光がキラリと輝く。


『”飢人”、――という言葉には聞き覚えがないが……なんじゃそれ』

「ゾンビ化したプレイヤーのことだよ」

『ああ、……あれのことか』

「そんなのがあっちこっちにいるのなら、人類なんてあっという間に絶滅してしまうんじゃないか?」


 ゲーム制作の世界において、”一方的なバランス”は好まれない。

 プレイヤーが強すぎる場合にせよ、敵キャラが強すぎる場合にせよ、そうした作品を人は”クソゲー”と呼ぶ。

 彼女が”ゲーム制作者”的な発想をするのであれば、この意見を放置しておくことはできまい。


 その後のアリスのセリフは、ずいぶんと早口だった。


『いやいや。そんなことはないぞ。飢人はそもそも、”プレイヤー”にとってはかなり攻略しやすい相手としてデザインされておる。連中の能力は必ず、”プレイヤー”が持つスキルの一つが変異した設定になっとるからな。これまでの経験をしっかり記憶しておけば、自ずと敵の弱点を把握できるようになってるわけ』

「ふむ」

『だいたい、命というものは、生と死の狭間でこそ美しく輝くものじゃ。多少難易度高い方が、絶対面白い。じゃろ』

「実を言うと……」


 僕は少し苦笑して、本棚の一部を占有しているフロム・ソフトウェア製のゲームを眺める。


「――その意見には、わりと賛成だね」

『な?』


 そして少女は、満足したようににっこり笑って、僕のポテトチップス(”魔力切れ”を起こした時のための非常食)をぱりぱりと食べ始めた。


「僕自身、自分の命を玩具にするタイプの人間だから」

『あ、それ、わかるぅー。破滅願望あるよな、おぬし』

「ははははは」


 魔女と意見が合って、笑う。狂人同士がする共鳴反応だった。

 ぼくはそこで、ベッドの上に寝転がっている彼女の足元に座り込む。


――でもう、十分な収穫だが。もう少し頑張ってみるか。


 彼女の足を引っつかみ、土踏まずの辺りをぐにぐに揉んでやりながら、


「ところでもう一つ、言いたいことがある」


 慎重に、言葉を選ぶ。


 長々と語ってはいけない。

 指示的なコメントをしてはいけない。

 『ネタバレ』に関するコメントをしてはいけない。

 一次創作者の気に障るようなコメントをしてはいけない。


 ゲーム・ストリーミング視聴における四戒だ。

 これらの条件を満たした上で、――僕にとって、利益となり得る発言。


『なんじゃい』

「きみ、ゲームとかやる方?」

『はあ?』


 少女は、少しだけ眉をひそめて、


『……いや、まあ。ふつうくらい』

「そうかね。――もし良かったら今度、一緒にゲームしないか」

『なんで儂が、おぬしと』

「気が向いた時で良い」


 深く深く嘆息して、少女の足指をつまむ。

 赤ん坊のように柔らかい指先だった。


「きみが与えてくれた、このスキルだけどな。ときどき、完全に自動で作業を進める時間があるだろ。暇なんだよ」

『……ふぅむ』


 「暇」。

 これは彼女にとって、放置しておけない問題のはずだった。


「だからさ。身体を動かさない時の、遊び相手が欲しい」

『そんなの、適当にその辺のくだらん人間でも攫ってきて、相手をさせりゃあいいじゃろ』

「いいや。君みたいにヘンテコなやつの方が、きっと遊び甲斐がある」

『ヘンテコとは……ずいぶんな言い分じゃの』

「そうじゃないとでも思ってるのか?」


 すると少女は、『うふふふふ』と笑みを浮かべて、


『まあ、普通じゃない、自覚はある』

「じゃ、いいじゃないか」

『しかし……儂……やるべきことが……』

「『しばらく暇』なんだろ」


 アリスはしばし、僕の顔をじっと見つめる。

 僕が、このような提案をしたのには理由があった。


――この娘、友達いないっぽい。


 という、直感が働いたためだ。

 その性質、……うまくすれば、利用できる、かも。


『…………………――』


 ぱっと観た感じ、アリスの表情に変化はない。

 むしろ、機嫌を損ねたかと思いたくなるような顔つきをしている。


 実際、『なんで儂が、おぬしみたいな下等生物と』的なことを言われた気もする。

 しかし数分後、部屋を出る頃には、


『悪口とか、あんまり言わないつもりなら、……考えとく』


 この発言を引き出すことに成功したのである。


――この化け物、思ったよりチョロいな。


 なんて、不遜なことを思いつつ。

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