その97 現状維持

『――……と、いうわけだ』

「ん。了解」


 兄からの連絡を聞き終えて、先光亮平はほっと一息つく。


 状況は、おおよそ理解できた。

 要するにいま、――自分に出来ることは、何もない。

 というよりも兄は、自分がこの一件に関わること、まったく望んでいないようだ。


『おまえのしごとは、「げんじょういじ」だ。……たのんだぞ』


 それきり、狩場豪姫は沈黙する。

 部屋の中で一人、はぁ、と、ため息をついて。


――なぁんか、……厭な感じだな。


 正直、そう思った。

 安全地帯に居続けることは、良い。

 だが最近、こんな風に思うようになっていた。


――男として生まれたからには何か、価値あることをしたい。


 と。

 出過ぎた考えだと言うことはわかっている。

 世に存在する男を”強者”と”弱者”に分けるなら、自分は間違いなく後者側の人間だ。じめじめした岩の下で安住し、そのままひっそりとその生涯を終えるタイプの凡人だ。


 でも……だからこそ、こうも思う。

 いまのこの、ゾンビ時代なら、あるいは……と。


 兄は、元の世界を望んでいる。

 だが自分は、今のこの世界の方が、よっぽどチャンスに恵まれているのではないか、とも思うのだ。


 何せ、――いま自分は、三人もの女に囲まれている。

 それもみんな、モデル級の美女揃い。

 まともな世界のままならば、洟も引っかけなかったであろう。


――できることならなにか、手柄が欲しい。


 彼女たちを侍らせるに足る、手柄を。

 そう思いつつ、目の前にいる”ゾンビ”、……狩場豪姫の顔を眺める。


「おれができること、……何か、ないかな? ゴーキちゃん」

『うぅぅぅぅぅぅ。うぇああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……』

「……そうかい」


 深く、嘆息する。


――強くなりたい。


 その、一部分だけで良い。

 自分にも、”プレイヤー”の力が欲しい。


 そうすればきっと、兄のように確信を持って行動できるのに。



 事件が起こったのはそれから、ホームセンターの駐車場に出て、間もなくのことであった。


「おっす、おつかれ!」

「どうも。お疲れ様っす」


 早苗が、元気いっぱいに挨拶する。

 空を見上げると、日が沈みつつある時間だった。

 周囲からは微かに、”ゾンビ”どものうなり声が聞こえているが、亮平にとってその音はもはや、烏の鳴き声と同じ、――単なるBGMに過ぎない。


「お兄さん、なんて?」

「新たにすべきことは、特に。しばらくは待機だそうです」

「そっか」


 仲間たちの表情に、変化はない。

 きっと彼女たちは、この状況に満足しているのだろう。

 無理もない、この世界には今、死が蔓延している。

 そんな中、可愛いペットに囲まれながらのほほんと暮らしているのは、自分たちだけかもしれない。


――大切なのは、現状維持、か。


 それで十分。

 「役に立ちたい」などと、……思ってはいけない。


「ねえねえ、救世主メシアくん」

「? なんです、早苗さん」

「そのぉ……できれば、でいいんだけどさ……。ゴーキちゃんにたのんで、外の”ゾンビ”をやっつけてもらえないかな」

「えっ。またですか?」

「うん。……かさねが、怖がるんだよ」


 頭を掻く。

 とてもではないがいま、そんなことを頼んでいられる状況ではなかった。


「でも連中、いくら退治しても、すぐまたやってきますよ。都内の”ゾンビ”が、どんどんこっち側に移動してるみたいなんです」

「それは、わかってるんだけどね」

「もういっそ、慣れちゃった方が早いんじゃないですか?」

「それが、できない人もいるんだよねえ。……今朝からずっと、変な声がするって」

「変な声?」

「なんか、普通のゾンビより低い声なんだってさ」

「低い、声……ですか」

「うん。酔っ払いがゲロゲロしてるみたいなかんじなんだって」


 二人、土嚢で作り上げた”壁”を見る。

 みんなで協力して作り上げたその”壁”は、亮平たちの自信作だ。もはや、ゾンビの力で破壊できるようなものではない。


「うーん。……おれには別に、何も聞こえませんけど」

「それは、あたしもそう。けどあの娘、昔から耳が良かったからさ」

「ふーむ」


 内心、亮平はこう思っている。


――かさねさんの、気にしすぎだ。


 彼女、何かに怯えてばかりいる。

 その悪癖が、ワガママを言わせているんだろう、と。

 とはいえ、仲間の指摘を無碍にするわけにもいかなかった。

 その手の行為を、兄はいつも、こう言うのだ。「死亡フラグ」と。


「わかりました。なら、おれが……」


 なんとか、対策を考えます、……そう続く言葉と、ほぼ同時であった。

 ぽた、と、二の腕のあたりが濡れたことに気づいたのは。


「――ん?」


 雨、か?


 そう思った、次の瞬間だった。

 焼けるような痛みとともに左腕から、猛烈な白い煙が発生する。


「な…………っ!?」


 目を疑う。

 慌てて自分の腕を擦ると、擦った手のひらまで痛み始めた。


「う、うそだろ……ちょっとまて、ちょっとまて……!」


 嫌な予感がして、壁の方角を見上げる。


『ごおおおおおおお……げぇええええええええええええええええ……ッ!』


 それは、いままで聞いたことがない類の”ゾンビ”のうなり声だった。

 どうも、壁の向こうに居るが、有害な液体を吐き出しているらしい。


「なに? なんなの!?」「どうしたッ!?」


 異変を察知したかさねと美春が駆けつける。

 咄嗟に亮平は、こう叫んでいた。


「屋根のあるところへ! 動物たちも、できるかぎり!」


 その言葉と、同時であった。

 亮平たちが必死に作り上げた土嚢の一部が、どろりと溶け始めたのは。


「馬鹿な……ッ!」


 いかんとも形容しがたい光景であった。

 高さでいうと3メートル弱ある”壁”が、正体不明の液体により、みるみるうちに溶けていくのである。


「なんなんだ……ッ!? や、やめろォ!」


 とりあえず、そう叫んでみる。

 だが、やめろといわれてやめるつもりなら、そもそもこのような真似をする訳がなかった。

 痛む両腕を押さえつつ、亮平はとりあえず、液体がかからない距離に回り込んで壁を登り、外の様子を観察する。


 そして……ギョッとするものを見た。


 総勢、六匹ほどのゾンビ。

 男、男、女、女、女。少し後ろに、小柄な男。


 前列の五匹が強酸性の反吐を吐き、後列の男が、それを指示しているように見える。


――新種、か?


 そう、思いを巡らせて、背筋に冷たいものが流れる。

 もし、新種の”ゾンビ”が現れたのであれば……とてもではないが、亮平の手に負える敵ではない。


――兄貴……。


 一瞬、そう思考を巡らせる。

 だが、兄はいま、忙しい。

 なるべくなら、こちらで対処したい、という気持ちもある。


 そこで亮平は、すぐそばの道を通りがかる、二人の少女の姿を発見したのだ。


 彼女たちの正体に関しては、すでに情報を受け取っている。


 ミソラに、ユキミ。

 他ならぬ、兄と敵対する女子高生チームの一員だ。


――……どうする……どうする……ッ?


 躊躇は、一瞬だった。

 いまから部屋に戻って兄に声をかけたとしても、間に合わない。仲間が傷つく可能性がある。

 ならば対応は、臨機応変であるべきだ。


「た……助けてくれぇえええええええええええええええええええええ!」


 あらん限りの声で、叫ぶ。


――現状維持。


 与えられた責務。

 その価値を低く見積もっていた自分を、内心で叱咤しつつ。


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