その97 現状維持
『――……と、いうわけだ』
「ん。了解」
兄からの連絡を聞き終えて、先光亮平はほっと一息つく。
状況は、おおよそ理解できた。
要するにいま、――自分に出来ることは、何もない。
というよりも兄は、自分がこの一件に関わること、まったく望んでいないようだ。
『おまえのしごとは、「げんじょういじ」だ。……たのんだぞ』
それきり、狩場豪姫は沈黙する。
部屋の中で一人、はぁ、と、ため息をついて。
――なぁんか、……厭な感じだな。
正直、そう思った。
安全地帯に居続けることは、良い。
だが最近、こんな風に思うようになっていた。
――男として生まれたからには何か、価値あることをしたい。
と。
出過ぎた考えだと言うことはわかっている。
世に存在する男を”強者”と”弱者”に分けるなら、自分は間違いなく後者側の人間だ。じめじめした岩の下で安住し、そのままひっそりとその生涯を終えるタイプの凡人だ。
でも……だからこそ、こうも思う。
いまのこの、ゾンビ時代なら、あるいは……と。
兄は、元の世界を望んでいる。
だが自分は、今のこの世界の方が、よっぽどチャンスに恵まれているのではないか、とも思うのだ。
何せ、――いま自分は、三人もの女に囲まれている。
それもみんな、モデル級の美女揃い。
まともな世界のままならば、洟も引っかけなかったであろう。
――できることならなにか、手柄が欲しい。
彼女たちを侍らせるに足る、手柄を。
そう思いつつ、目の前にいる”ゾンビ”、……狩場豪姫の顔を眺める。
「おれができること、……何か、ないかな? ゴーキちゃん」
『うぅぅぅぅぅぅ。うぇああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……』
「……そうかい」
深く、嘆息する。
――強くなりたい。
その、一部分だけで良い。
自分にも、”プレイヤー”の力が欲しい。
そうすればきっと、兄のように確信を持って行動できるのに。
▼
事件が起こったのはそれから、ホームセンターの駐車場に出て、間もなくのことであった。
「おっす、おつかれ!」
「どうも。お疲れ様っす」
早苗が、元気いっぱいに挨拶する。
空を見上げると、日が沈みつつある時間だった。
周囲からは微かに、”ゾンビ”どものうなり声が聞こえているが、亮平にとってその音はもはや、烏の鳴き声と同じ、――単なるBGMに過ぎない。
「お兄さん、なんて?」
「新たにすべきことは、特に。しばらくは待機だそうです」
「そっか」
仲間たちの表情に、変化はない。
きっと彼女たちは、この状況に満足しているのだろう。
無理もない、この世界には今、死が蔓延している。
そんな中、可愛いペットに囲まれながらのほほんと暮らしているのは、自分たちだけかもしれない。
――大切なのは、現状維持、か。
それで十分。
「役に立ちたい」などと、……思ってはいけない。
「ねえねえ、
「? なんです、早苗さん」
「そのぉ……できれば、でいいんだけどさ……。ゴーキちゃんにたのんで、外の”ゾンビ”をやっつけてもらえないかな」
「えっ。またですか?」
「うん。……かさねが、怖がるんだよ」
頭を掻く。
とてもではないがいま、そんなことを頼んでいられる状況ではなかった。
「でも連中、いくら退治しても、すぐまたやってきますよ。都内の”ゾンビ”が、どんどんこっち側に移動してるみたいなんです」
「それは、わかってるんだけどね」
「もういっそ、慣れちゃった方が早いんじゃないですか?」
「それが、できない人もいるんだよねえ。……今朝からずっと、変な声がするって」
「変な声?」
「なんか、普通のゾンビより低い声なんだってさ」
「低い、声……ですか」
「うん。酔っ払いがゲロゲロしてるみたいなかんじなんだって」
二人、土嚢で作り上げた”壁”を見る。
みんなで協力して作り上げたその”壁”は、亮平たちの自信作だ。もはや、ゾンビの力で破壊できるようなものではない。
「うーん。……おれには別に、何も聞こえませんけど」
「それは、あたしもそう。けどあの娘、昔から耳が良かったからさ」
「ふーむ」
内心、亮平はこう思っている。
――かさねさんの、気にしすぎだ。
彼女、何かに怯えてばかりいる。
その悪癖が、ワガママを言わせているんだろう、と。
とはいえ、仲間の指摘を無碍にするわけにもいかなかった。
その手の行為を、兄はいつも、こう言うのだ。「死亡フラグ」と。
「わかりました。なら、おれが……」
なんとか、対策を考えます、……そう続く言葉と、ほぼ同時であった。
ぽた、と、二の腕のあたりが濡れたことに気づいたのは。
「――ん?」
雨、か?
そう思った、次の瞬間だった。
焼けるような痛みとともに左腕から、猛烈な白い煙が発生する。
「な…………っ!?」
目を疑う。
慌てて自分の腕を擦ると、擦った手のひらまで痛み始めた。
「う、うそだろ……ちょっとまて、ちょっとまて……!」
嫌な予感がして、壁の方角を見上げる。
『ごおおおおおおお……げぇええええええええええええええええ……ッ!』
それは、いままで聞いたことがない類の”ゾンビ”のうなり声だった。
どうも、壁の向こうに居る
「なに? なんなの!?」「どうしたッ!?」
異変を察知したかさねと美春が駆けつける。
咄嗟に亮平は、こう叫んでいた。
「屋根のあるところへ! 動物たちも、できるかぎり!」
その言葉と、同時であった。
亮平たちが必死に作り上げた土嚢の一部が、どろりと溶け始めたのは。
「馬鹿な……ッ!」
いかんとも形容しがたい光景であった。
高さでいうと3メートル弱ある”壁”が、正体不明の液体により、みるみるうちに溶けていくのである。
「なんなんだ……ッ!? や、やめろォ!」
とりあえず、そう叫んでみる。
だが、やめろといわれてやめるつもりなら、そもそもこのような真似をする訳がなかった。
痛む両腕を押さえつつ、亮平はとりあえず、液体がかからない距離に回り込んで壁を登り、外の様子を観察する。
そして……ギョッとするものを見た。
総勢、六匹ほどのゾンビ。
男、男、女、女、女。少し後ろに、小柄な男。
前列の五匹が強酸性の反吐を吐き、後列の男が、それを指示しているように見える。
――新種、か?
そう、思いを巡らせて、背筋に冷たいものが流れる。
もし、新種の”ゾンビ”が現れたのであれば……とてもではないが、亮平の手に負える敵ではない。
――兄貴……。
一瞬、そう思考を巡らせる。
だが、兄はいま、忙しい。
なるべくなら、こちらで対処したい、という気持ちもある。
そこで亮平は、すぐそばの道を通りがかる、二人の少女の姿を発見したのだ。
彼女たちの正体に関しては、すでに情報を受け取っている。
ミソラに、ユキミ。
他ならぬ、兄と敵対する女子高生チームの一員だ。
――……どうする……どうする……ッ?
躊躇は、一瞬だった。
いまから部屋に戻って兄に声をかけたとしても、間に合わない。仲間が傷つく可能性がある。
ならば対応は、臨機応変であるべきだ。
「た……助けてくれぇえええええええええええええええええええええ!」
あらん限りの声で、叫ぶ。
――現状維持。
与えられた責務。
その価値を低く見積もっていた自分を、内心で叱咤しつつ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます