その6 FPS
弟の部屋にあるノートPCを持ってきて、それを開く。
ヤツのパスワードは以前、ちらりと覗き見たことがあった。阿呆がよくやることでお馴染みのパスワードの一つ。『
訳のわからん美少女アイコンで散らかったデスクトップ上のショートカットを全てゴミ箱に放り込んでやって、USBメモリを差し込む。
その後、三十秒ほど待つ、が。
「……? 何も起こらんぞ」
言うと、アリスは『あー、そうだった忘れとったわ』と手を打った。
『とりあえずおぬし、スキルを取らんと始まらんぞ』
「スキル?」
疑問符を頭に浮かべると、
――取得するスキルを選んで下さい。
――1、《死人操作Ⅰ》
――2、《格闘技術(初級)》
――3、《飢餓耐性(弱)》
――4、《自然治癒(弱)》
とのこと。
「ああ……RPGみたいに、スキルを順番に取っていく形式なのか」
『そーいうこと♪』
アリスは、お気に入りのテレビゲームを自慢するように胸を張る。
『とにもかくにも、最初は《死人操作Ⅰ》を取れ。さもないとおぬしの場合、詰む』
「……わかった」
なんだか良いように乗せられている気がするが、言われたとおりにする。
――では、スキル効果を反映します。
アリスの声がしたが、特に何か、身体に変化が起こるようなこともない。
だが、その代わりとばかりに、弟のPCが動き出した。
何らかのデータを読み込んでいるらしい画面が表示されて、……なんとなく、「これでもう、引き下がれなくなった」という実感を抱く。
『よぉし! ばっちり動いてるな♪』
ぱちんと、嬉しそうにアリスが指を鳴らすと、画面上にGoogleマップから転載してきたと思しき、我が家付近の地図が表示された。
そしてその地図上には、――「うわあ……」となるくらいの赤い点が、蠅のようにうじゃうじゃと蠢いている。
「この、赤点は……?」
聞きながらも、なんとなくその正体は想像できた。
『この付近にいる”ゾンビ”の現在位置を現しとる』
「だろうね」
『それでな? これを、マウスでこう、カチッと……』
言われる前に僕は、赤い点のうちの一つ……近所にある公園の真ん中で孤立している点を左クリックする。
するとどうだろう。
PC画面上に赤い点が拡大されるアニメーションが挿入されたかと思うと、次の瞬間、公園の遊具をぼんやりと見つめる、何者かの視点へと切り替わった。
『んもー。アリスさま直々のプレイング・チュートリアルじゃぞ。ちゃんと聞けよ』
「説明書は読まず、とりあえず遊ぶタイプなんだ」
僕はそのまま、マウスを上下左右に動かしてみる。
するとその方向に、くい、くい、と、視点が動いた。
多分そうだろうなと思って左指を”WASD”の位置に置くと、想定した通り、僕が操作している何者かは前後左右へと移動する。
『ちなみに、”ゾンビ”の体調次第で、その性能も変わってくるから。……どうもこいつ、耳が壊れてるみたいだな。音がまったく出ない』
言われてみれば。
とはいえこの場合、聞こえてくるのは”ゾンビ”のうなり声だけだろうけども。
「個体差があるということか。……赤点をクリックする前に、事前にその”ゾンビ”の情報を知ることはできないのかい?」
『そこはまあ、運次第ってことで。もちろん、他の個体で様子を見て、良さげなのをスナイプすることはできるじゃろーけど』
「……ふむ」
『ESCキーを押せば、さっきの画面に戻る。別の個体を操作したくなったら、そうすればよい』
なるほど。実になじみ深い操作方法だ。
『ちなみに《死人操作Ⅰ》を強化すると、いろいろな機能がアンロックされるようになるから、お楽しみにの』
……お楽しみ、か。一応こっちは、命がけなのだが。
とはいえ、これほど手が込んだ能力を用意してくれるとは思わなかったのも事実。
僕は、眼鏡の位置をくいっと直して、
「確かにこれは、……
素直に感謝の言葉を述べると、何故だかアリスのやつ、急にほっぺたを赤らめた。
『……神、とか言うなよ。儂、”魔女”なんじゃけど』
「憐れで無力な人間如きの視点じゃあ、どちらも似たようなものさ」
『あら、そう?』
と、今度はお尻をもじもじさせる。
「つまり君は、……僕に
『そう!』
その瞬間だけは、アリスも無邪気そうな笑みを浮かべ、
『そしてこの瞬間! おぬしはもはや、この家から出る権利を失った。……忠告させてもらうぞ。今後、一歩でも外に足を踏み出してみろ。頭がばくはつして死ぬから。ボンッてなる』
「……ああ、そうかね」
それに関してはさすがに、覚悟を済ませている。
「ちなみに出かけるのは、家の庭とかでもダメかい」
『ダメ。あくまでおぬしは、この家の中でのみ行動するのだ。残りの一生をな』
「………………」
そういう言い方をされると、さすがにちょっと落ち込むが。
しかし、アリスは上機嫌だった。
『それでも、この世界でおぬしが生きていくにはぴったりの能力。……そうじゃろ?
「……ああ」
素直に頷く。
ところでこの娘、――何故、僕の正体を知っているのだろう。
あるいはひょっとすると、かつてのファンの一人、とかか?
それとも単純に、彼女が持つ超常の力の一巻だろうか。
……いや。
それは考えても仕方あるまい。
何にせよ僕は、彼女の”ゲーム”、――あるいは、”ショー”とでも言うべきものに乗っかる決断をした。
で、あるならば、全ての可能性を示して、踊らねばならないだろう。
それが、資格を得たものの義務なのだから。
▼
と、その時だった。
開けっぱなしの扉から、ずだだだだ、階段を昇る足音がして。
「あ、兄貴ッ!」
亮平が、真っ青な顔色で飛び込んできたのは。
「……なんだ。騒々しい」
ふと見ると、隣にいたはずのアリスはいない。
邪魔が入った、というよりは、ここから先は自分自身で考えろ、ということか。
「聞いてくれッ! おれ、おれ、史上最悪最低の夢、見たんだけど!」
「ああ。そうか」
僕は一瞬だけ眉間を揉んで、
「とりあえず、我が弟よ。扉を閉めろ。そして服を着なさい」
「えっ服……? きゃあっ! いやっ!」
何が不愉快って、弟のサービスシーンほど吐き気を催すものはないだろう。
「気色の悪い声を出すなよ。奴らが集まってくる」
「……やつら?」
「”ゾンビ”に決まってるだろ」
「えっ」
はてさて。
これまでに起こった不可思議なあれこれ、――この男にどう伝えたものか。
深く嘆息し、
「夢だけど、夢じゃなかった、ということだ」
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