一章 『ゾンビを操るもの』

その1 白髪の童女

 本日の朝食。


①食パンの縁に沿って、マヨネーズをしぼる。

②真ん中に卵をぽんっと乗せて、ベーコンを散らす。

③塩を少々、粗挽き胡椒を振って、細かくちぎったとろけるチーズを一枚分。

④オーブンで焦げ目がつくまで焼く。


 僕が常々、思っていることがある。


――オーブントースターというのは、ものぐさな自炊の最大の友だ。


 と。

 この道具を使うだけで、かくも人生が豊かになることを多くの人は知らない。

 菓子パン一つとっても、オーブン一つで奇跡の変身を遂げる。


 極めるのは、たった一つの武器で良いのだ。


 僕はこの、安物のオーブントースター一台の活用により、すでに48種類もの料理の開発に成功している。

 今朝作った作品は、そのうちの一つ。

 ”カルボナーラ風トースト”だ。


「~~~~~~~♪ ~~~~~~~~~~~~~♪」


 鼻歌交じりに、出来上がったそれに顔を近づける。


――卵に焦げ付きは……なし。

――ベーコンはかりかり。

――チーズはとろとろ。


 改心のできばえだ。

 僕はすがすがしい気分になって、すでに淹れていたコーヒーと一緒に、トーストを食卓へ運ぶ。


 するとそこには、見知らぬ童女が一人。


『うーん。どーしたもんかなあ』


 彼女、まるでそこにいるのが当たり前のような顔をして、食卓についていた。


『生かすべきか、死なすべきか。それが問題だ』


 奇妙な娘、だと思う。

 透き通るような真っ白い頭髪に、乳白色の肌、そして、死装束を思わせる、純白の白衣。


――黄泉の国の住人かな?


 率直に、そう思う。

 それは決して、突飛な連想ではなかった。




 一週間ほど前。

 地獄の釜の蓋が開いてからというもの、世界はゾンビで溢れかえっている。




 世の中が、ロメロの映画みたいに変貌してしまったのだ。

 神の使いの一人や二人、――その辺をぶらついていたとしてもおかしくはない。


「やあ。おはよう」


 突如として現れた闖入者を見て、僕は取り乱さなかった。

 仮に彼女が、黄泉の世界の住人でなかったとしても、……きっと、どこぞの迷い子だろう、という気持ちでいる。


『うむ。おはよう』


 少女が鷹揚に頷くと同時に、くぅぅぅぅぅぅぅ、という腹の音が鳴り響く。

 その視線の先には、――僕は作った、”カルボナーラ風トースト”があった。


「お腹、空いてるの?」

『うん』

「食べるかい」

『いいのか?』

「うん」

『助かる』


 そして彼女は、もしゃもしゃと遠慮なく僕の朝食を貪り始めた。

 最後の食糧を失った僕は、まだ温かいコーヒーに砂糖をたっぷり入れて、スプーンでかき混ぜる。

 カップの中でくるくると回転する黒色を、ぼんやり眺めながら……、


――どうやって僕の家に入ってこられたの?

――君は何者?

――君の目的は?

――その……白色への拘りは、何?


 頭に浮かんだ、様々な想いを弄ぶ。

 聞きたいコトは山ほどあったが、先に口を開いたのは、彼女の方だ。


『しかし本当に、――困ったのぉ』

「何に?」

『そりゃもう、おぬしの立ち位置に、よ』

「ほう」

『おぬしってほら。喧嘩とか、弱いじゃろ』

「ああ……まあ」


 僕は、自分の細腕を見る。

 かつて愚弟に「まるで女のよう」だと揶揄されたこともあるその腕は、たった一度の懸垂もできない。


『その腕じゃ、最初の”敵性生命体”も倒せないだろーし……フウム』

「敵性……?」


 少し首を捻って、


「ひょっとして君、――外で起こっている出来事の話をしているのかい?」


 ちょっとだけ、カーテンで締め切った窓から、外を覗き見る。

 そこでは今も、数匹の”ゾンビ”がぶらぶらと散歩を続けていた。


『かといって、儂があんまり手を貸すってのも……うーん。難儀じゃのー』


 どうも彼女、あんまり僕とのコミュニケーションを求めていないらしい。


『本当なら人間一匹、放っておいても構わん気がするんじゃが。ちょっともったいないところもある』

「と、いうと?」

『おぬしは弱い。――けど一方で、かも知れない』

「へえ。この僕が、強い。人生で初めて言われた台詞だ」


 ただでさえ僕は、自分でも数え切れないほどの恐怖症を抱えている。

 常人に比べて遙かに”弱い”存在のはずだった。

 これまで、数多くの人たちの足を引っ張るだけの存在だった。

 そしてそのツケはたぶん、今から数日以内に支払う羽目になるだろう。


 餓死、とか。

 外をうろつく”ゾンビ”どもの侵入、とか。


 あるいは。

 二階でいま、”ゾンビ”に変異して苦しんでいる弟に、その身を差し出す結末かもしれない。


『ま、わからんじゃろーけど、おぬし才能があるんよ。殺しの才能、――それに、”プレイヤー”としての才能が。だからそれが、儂にはちょいと怖い』

「具体的に、……何がどう、怖いんだい?」

『物語の途中でぽっと出てきて、事態を全部、あっさりと解決に導いちゃう系の、そーいうキャラになりそうでのぉ』

「ふむ」

『あるいは、強すぎて倒せない系の敵キャラかなー。作者的にも、途中退場させるしか手段がなくなっちゃうタイプのやつ』


 腕を組み、真剣な表情で。


「確かにそれは、興ざめだな」

『じゃろじゃろ?』


 話の内容はとんちんかんだが、――どうも彼女、イカレているようにはみえない。

 となると恐らく、狂ってるのは世界のほうだろう。

 そう思えた。


『儂、悪戯に盤面をかき回されるのは好きじゃないのよねー』

「ふむ。……盤面、か」

『だから、悩んどる。今ここでおぬしをさっさと殺してしまうか。それとも一応、何かのために生かしておくか』


 なんと。

 よくわからないが彼女、僕を殺すつもりらしい。


「最後の朝食を奪っておいて、ずいぶん酷いことを言う奴だなあ」

『そこじゃよ。――おぬしは今、何が何でも死守しなくてはならない大事な食糧を、見ず知らずの儂に、平気で供して見せた。が、おぬしの不気味なところ。行動の読めないところなんよ』

「ほう」

『あまりにもその行動がランダムに過ぎるならば、儂は、――いっそおぬしを、始末しなくてはいけない、かも』


 なんとなく、彼女の思考回路を想像してみる。

 得体が知れない。それはわかる。

 ……が、一つ、仮説が浮かばないこともなかった。


 この人はひょっとすると、外で起こっている”終末”的な事態の関係者なのではないか、と。


 となるとこれは、少々腰を据えて話を聞かなくてはなるまい。


「心配しなくても、僕はそれほどランダムってわけじゃない。実を言うと、さっき使った卵だが、ちょっと古くなっていたんだよ。食べるかどうか、ずっと迷っていた」

『…………………それを儂に喰わせたのか』

「お腹を壊すほどじゃない。それに君も、美味そうに喰ってたじゃないか」

『むむむむむむむ……』


 彼女は眉間にくっきりとした皺を寄せる。

 僕は努めて明るい声を出して、


「ところで、君の名前は?」

『アリス。――”魔女”アリス』

「僕は、灰里。先光灰里さきみつかいりだ」

『知っとるわぃ、そのくらい』


 壊れた世界の真ん中にいて、魔女を名乗る少女は、皮肉っぽく笑った。

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