解答編



 ある劇団で起こった毒殺事件。

 問題は、『誰が毒を入れたのか』『どうやって被害者に毒入りグラスを取らせたのか』という二つ。

 けれど、この二つの問題、一つが分かれば、もう一つも自然と解けてしまうものだった。

「どういうことだ? 説明しろよ、リンネ」

「ぼくの直感では、怪しいのはマネージャーさんだった。全員、驚き悲しんでいたけれど、あの人だけは驚きよりも困惑や動揺の感情が勝っていたように思う」

「つまり、『殺してしまった、どうしよう』と思っていたってことか?」

 ぼくは頷き、続ける。

「でも、毒を入れる機会は全員にあった……。それこそ、ぼく達にだってあったはずだ。だったら先に、毒を飲ませる方法を考えればいいんじゃないかなって」

「毒を飲ませる、って、それは二つ目の問題になっちゃうだろ」

 と、その時、ソラねえは手の平をポンと叩いた。

「あ、そうか。グラスじゃなく、別のもので飲ませればいいのか。そうすりゃ、被害者を狙って毒殺できる」

「ううん、毒が入れられてたのはグラスだよ」

「グラスって言っても、四つあったんだぞ? どうやって毒入りグラスを被害者に取らせるんだ?」

 それは実に簡単なトリックで。

 だからこそ、盲点になり得る真相だった。

「簡単だよ――被害者の台本にだけ、書き込んでおけばいいんだ。『右上のグラスを取る』って」




 そう、考えてみれば至極単純な話。

 被害者達は映画撮影中なのだ。台本で決められた通りに動く。なら、その台本に「毒入りグラスを取る」と書き込んでおけばいい。たったそれだけの話なのだ。

「いやいや、ちょっと待てよ、リンネ」

 頭を抑えつつ、彼女はぼくの推理に口を挟む。

「そりゃ、確かにその方法なら取るグラスを選ばせることもできただろうけど……。とんでもない問題が残るだろ。問題、というより、物証と言うべきか。台本は証拠として保管してある。なら、台本を調べれば、書き込みがあればすぐに分かるし、どころか、筆跡で犯人まで分かっちゃうじゃないか」

「うん、普通ならそうだね」

 普通なら?とソラねえはオウム返しをする。

 そう、普通のボールペンで書いたなら、そうなるはずなのだ。

「ソラねえってさ、ミステリ、読む?」

「え? ああ、まあ……」

「アガサ・クリスティーの『ミス・マープル』シリーズは読んだ?」

 ぼくの問い掛けに、如何にも不審そうに、「いくつかは読んだはずだが」と返す。それが何か関係あるのか?と言いたげだ。

 だから、ぼくは話すことにする。

 このトリックの全容を。

「……被害者の人に毒入りグラスを取らせるには、『毒入りグラスを取る』と書き込んでおけばいい。そう言ったよね。でも、ソラねえは、それだと物証が残っちゃう、と反論した」

「ああ。台本を捨てるか、文字を消さない限りはな」

「ぼくがこの間読んだ『ミス・マープル』の短編でね、いつの間にか白紙に代わっていた遺言書の話があったんだ。それは面白かったんだけど、ぼくは思っちゃったんだよ。この謎、現代では使えないな、って」

「古典ミステリのトリックなんて、大抵は現実で使えないだろうさ」

 首を振り、ぼくは告げる。

「ううん、そうじゃなくって。“文字が消える”という最大の仕掛けが、現代だとありふれているでしょ? フリクションボールペンっていう、『文字を消せるボールペン』が」

「あ、ああ……!!」

 消せるボールペン、なんて、今や珍しくもない。

 フリクションインキという特殊なインクを使ったボールペンは、頭の部分で擦ると、書いた文字が消えてしまう。

 詳しい理屈はぼくも分からないけれど、どうやらあれには予め高温になるとインクの色を中和する成分が入っており、擦られて生ずる摩擦熱でそれが効力を発揮し見えなくなる、という仕組みらしい。

 なら。

「だから、ああいうボールペンで書いた文字は、擦らなくても高温の状態にすれば消えちゃうんだよ。真夏の車内に放置したり、ね」

「でも、今は真冬だぞ?」

「だからこそ、温かいものも沢山ある」

 例えば。

 ぼく達が当たっていた、ストーブとか。

 フリクションインキで書かれた文字は摂氏65度以上で完全に消える。そう、マネージャーさんはストーブで温まるフリをしつつ、証拠隠滅を行っていたのだ。後ろ手に持った台本を熱することで。

「毒を飲ませるには、被害者に毒入りグラスを取ってもらえばいい。指示した文章が証拠になるのなら、勝手に消えるように細工すればいい。多分、そういうことなんだと思うよ」

「そして、犯人が分かっていれば、トリックを見抜くことも簡単、か……。いやあ、今回の謎もすぐ解けたな。お前が一緒で本当に良かったよ、リンネ」

 上機嫌にバンバンとぼくの背中を叩いてくるソラねえ。

 ……勘弁して欲しいなあ。

 そんなぼくの心情など、彼女は知らないのだろう。


 何せ彼女には心を読む能力など、ないのだから。


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