読心探偵・鞍馬輪廻
吹井賢(ふくいけん)
問題編
「全員、その場を動かないでいただきたい」――そんな彼女の言葉が響き渡ったのは、劇団の主演女優が床に倒れ伏した、その瞬間だった。
それから間もなく、被害者、この劇団の顔である四条お松の死亡が確認された。今日、はじめて知った相手だが、人が死ぬ瞬間というのは、何度、経験しても慣れない。
対する彼女、ソラねえは手慣れたものだった。
目の前で事件が起こっても、動揺は一切ない。迅速に救命措置を行い、それが無駄だと悟るや否や、即座に警察への連絡と現場保存のための措置、聞き込みを始めた。初動捜査、というやつだ。
「ところで……。あなたは? 警察の方のようですが……」
マネージャーの男に問われ、ソラねえはこう応じた。
「お察しの通り、刑事です。改めて名乗りましょう。私は御寺ソラ。御中の御に、お寺の寺で、『御寺(みてら)』……。この事件は、私、御寺が預かりました」
気風が良い、という慣用句の見本のように堂々と、清々と、いっそ演技のようにそう言い切った。
そうして、ぼくの傍に来ると、
「……じゃあよろしくな、リンネ。お前の読心能力が頼りだ」
なんて、そんな風に耳打ちしてくる。
……そんなことだと思った。やれやれ。
ぼくの名前は鞍馬輪廻。
ごく普通の中学生だ。
唯一、他の人と違うことがあるとすれば――「人の心が読める」と、そう言われていることくらいだ。
事件が起こったのは、寒さが厳しくなり始めた十一月のことだった。
現場は郊外のコテージだ。
ぼくと、その日、非番だったソラねえは、コテージ近くの湖に釣りに赴き、近くである劇団がインディーズ映画の撮影中であることを知った。
映画好きのソラねえが、駄目で元々だと見学を頼み込むと、なんと、快く了承してもらえた上に、エキストラとしての出演までOKされてしまった。この時点では、まさにとんとん拍子、という感じだった。
雲行きが怪しくなってきたのは、その条件を提示された時だった。
『御寺さんは警察の方なんですよね?』
『はい。捜査一課に勤めております』
『なら、お願いがあるのです。実は先日、劇団の顔、お松充てに脅迫状が届きまして……』
『それは穏やかではありませんね』
『はい。お松は怒って破り捨ててしまったのですが、万が一のことがあっては困るでしょう? 変質者が撮影現場に乗り込んできたり、とか……』
そういった不審人物が来ないかそれとなく見張り、また、やって来た際には取り押さえて欲しい。それが監督さんからのお願いだった。
ソラねえは自信満々に「お任せください!」と応じていたけれど、そこまで深刻に考えていないようだった。
まあ、無理もない。インディーズといえど、劇団の一枚目と言えば、ちょっとした有名人だ。脅迫状や無言電話の一つや二つ、そう珍しいことではないだろう。
事実、件の脅迫状の内容も、「四条お松の演技は見るに堪えない」とか「主役の座から下りなければ天罰が下るだろう」とか、そんな、ありがちなものだったからだ。
ぼくは妙な気配を感じ取ってはいたけれど、こんなことになるとは思っていなかった。
ぼくは言っておくべきだったんだと思う。
なんだか嫌な予感がすることと――ぼくの予感は、異常なまでに当たる、ってことを。
容疑者は六人に絞られた。
というよりも、現場にいたのが八人で、うち二人はぼくとソラねえなので、ぼく達を除けば六人なのだ。
要するに、劇団の全員が容疑者ということだ。
劇団の六人は演者三人と裏方三人に分けられる。三人の役者さんと、今はなき主演女優のお松さんが演技を担当し、残りの三人が脚本や撮影を担っている。
なお、今回、製作していたのはミステリ映画だったらしい。まさか本当に人が毒殺されることになるなど、夢にも思っていなかっただろうけれど。
……ああ、犯人を除いて、か。
被害者が倒れたのはまさに撮影中。四人の演者が乾杯し、グラスに注がれたワインを飲み干した瞬間だった。
被害者のお松さんは喉を抑えながら苦しみ始め、倒れ伏し、すぐに死に至った。御寺ソラ刑事の見立てでは青酸カリによる毒殺。明確な殺意を持った犯行と言えるだろう。
「……この事件、問題が二つある」
コテージ横に設置された自販機でコーヒーを買い、ぼくに手渡してくるソラねえ。
空は澄み切っていたが、何処か寒々しくもあり、事実としてとても寒かった。先ほどまで暖房の効いた室内にいたせいか、余計に肌寒く感じる。
「問題、って?」
「一つが、誰が毒を入れたのか、という問題。撮影が始まるまで、全員がせわしなく動いていた。毒を入れるタイミングは全員にあった」
深刻なのはもう一つの問題だ、と自分の分の缶コーヒーを片手で開封してみせる。
「犯人がグラスに毒を入れたのは間違いない。ワインそのものに入れてしまえば、演者四人が全員倒れているはずだからな。が、」
「……ただグラスに毒を入れたのでは、毒入りグラスを誰が取るか分からない……。つまり、『どうやってお松さんに毒入りグラスを取らせたか』っていうことでしょ?」
「そういうことだ」
カフェインを摂取したソラねえは、どうだ?と問い掛けてくる。
「どうだ、って?」
「容疑者の心を読んだ、その印象を聞きたいってことだ」
溜息を尽きつつ、ぼくは言う。
「人を妖怪みたいに……。何度も言ってるけどね、ソラねえ。ぼくは人の心が読めるわけじゃないよ。普通の人より感受性が強いらしくて、人の気持ちはほとんど分かっちゃうけどさ」
「ああ、聞いたよ。なんだっけ? オーバードーズだっけ?」
「それは過剰摂取。精神科の診断結果は『過度激動(Overexcitability)』。心療内科での診断名は『HSP(Highly Sensitive Person)』。どちらも感受性が人並み外れて豊か、ってことで、」
「だから、分かるんだろ、犯人?」
「……まあ……」
事件が起きた直後から、明らかに怪しい人が、一人いる。
言動ではない。印象や雰囲気というものが、なんとなく、怪しいのだ。
これだけ聞けば「言い掛かりだ」と反論されそうだが、ぼくにはそうとしか説明できないし、そうなのだ。
楽しそうな人を見て、「楽しそうだな」と思う。悲しそうな人を見て、「悲しそうだな」と思う。……じゃあこの、「楽しそう」「悲しそう」の“そう”の部分を何処で判断しているかと訊かれても、なんとなく、としか答えられないはずだ。
何故ならば、それは、声音が僅かに高い、視線が少しばかり彷徨っている、問い掛けてから反応するまでにラグがある、といった、非言語的な情報を読み取った結果だからだ。言葉にするまでもない、言葉にできない情報が脳で集積され、「楽しそう」「悲しそう」という推論を導き出している。
だから、ぼくは人の心が読めるわけじゃない。
ちょっとばかし感受性が豊かなだけだ。
でも、そのちょっとばかしの才能でも、分かることがある。事件の犯人だ。
人を殺すような人でも、人の心は持っている。動揺するのだ。「本当に殺してしまった」「捕まったらどうしよう」と悩み、苦しむ。その感情の動きをぼくは見逃すことができない。感じ取ってしまう。
「けど、『怪しそう』ってだけで犯人呼ばわりはできないよ。少し、事件を整理させてよ」
「ああ、構わないぞ」
事件の流れはこうだ。
まず、各々が撮影の準備を進める。出演者の四人は台本を読みつつ、練習を行う。監督さんはカメラ位置の調整。演出兼小道具さんがワイングラスを用意し、マネージャーさんがそれを見守っていた。
監督さんが「そろそろ始めようか」と声を掛けると、出演者は上手と下手に分かれた。演出さんはグラスを中央のテーブルにセッティングして、マネージャーさんが演者達から台本を回収した。
そして、アクション。撮影が始まった。
出演者の四人は演技を始める。監督さんはそれを撮り、演出さんはその脇に立っていた。マネージャーさんはその更に後方、ストーブ脇で僕たちと一緒に撮影の様子を見ていた。
そして、出演者の四人がワインを呷り――事件は起こった。
「……確か、」
ぼくは口元に手を当て、一生懸命思い出しつつ、訊いた。
「殺されたお松さんが、最初にグラスを手に取ったよね?」
「そうだったはずだ。つまり、四分の一の確率だった毒入りグラスを、運悪く選んでしまったというわけだ」
「…………」
ぼくは、黙り込む?
どうした、と訊かれても黙ったまま、考え続けた末に、言った。
「多分、この事件――もう解けているよ」
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