舞台裏
カプセルの中で身体を起こす俺に、一人の老紳士が杖を突きながら近付いてくる。
「お帰り、西城先生」
「皇さん、いらっしゃっていたのですか」
「あぁ。あの子の意識がまた乱れたと聞いてな」
なるほど、お孫さん想いな事で。
「今回は一年と四カ月……前より間隔は短くなっていますが、まだ差し迫った問題という訳ではないと思います」
「うむ、我らにとってはもう貴方のこの処置鹿希望が無いのだ。よろしく頼むよ」
図書室……を再現した仮想空間で掛けられた声とは違う、椿樹さんや俺の事を案じていると感じられる優しい声に、俺の緊張が少し解れる。
あの図書室での声は、多分平内の爺さんだろうな。孫以外のところも見てるなんて、未だに信用されていないのか……まったく。
俺が今いる部屋には、俺が入っているカプセルとは別に、三基のカプセルがある。
そこにはそれぞれ一基に一人、女性が入れられていた。
高嶺碧、平内美希、皇椿樹だ。
何故彼女らや、俺がこんなカプセルに入っているのか?
事の起こりは、十年前程に起きた新種の感染症の発生だ。
人体に凶悪な症状をもたらし、致死率が異常に高く、感染力も強く、また明確な治療法が無いという質の悪いもので、世界中で数多くの死者が出た。
そしてこの感染症の特徴の一つが、二十歳までの若者にしか感染しないというものだった。この特徴により、沢山の若者が亡くなっていった。
だが、そんな沢山の犠牲を糧にし、人類の英知はついにこの感染症への対処法を確立する。
その対処法が……
「まるで御伽噺みたいな話だよな」
恋をする事。
まだ完全に解明されてはいないが、人が恋をする時に発生する脳内物質だかなんだかが作用して、その感染症の進行を抑制し、場合によっては完全に抑え込んだりするケースもあるらしい。
今、この三基のカプセルに入っている三人は、それぞれ高嶺碧と平内美希が十六歳、皇椿樹が十七歳の時にその感染症に感染した。
彼女らが他の感染者と違って恵まれていた……今にしてみればそう言っていいのか解らないが……のは、それぞれの家が、大企業だったり財閥の家であったという事。
世界に名だたる大企業である高嶺重工の一人娘に、歴史も実力もある名家である平内財閥と皇財閥のお嬢様二人。
彼女らの家は、自分の身内が感染したと判明するや否や、積極的に対処法の研究にその莫大な財力を費やし、そして完成したのがこのカプセルだ。
このカプセルは、中に居る者のバイタルチェックを常時行いながら、一種の仮死状態な形にして眠らせ、感染症の進行を遅らせつつ、備えられたVR機能で仮想の世界で生きさせる事が出来るという代物。
そんな、SFにでも出てきそうな装置を、三家が共同出資・開発をして作りあげ、それに三人の令嬢が入れられ、そこから十年程経ち、今に至る。
「……俺もすっかりおっさんだな」
カプセルから出て、部屋に備えられた鏡に映る自身の姿を見ながら、俺は独り言ちる。
俺自身もカプセル使用中はその恩恵を受けているため、他の人よりは若干歳を取りにくいらしいのだが、それでも常時入っている訳ではないので歳は取る。
ちなみに、仮想現実の中では、俺も彼女らもカプセルに入った時と同じ容姿のままで過ごしている。
「それにしても、いまだに現実味が無いよな。こいつの存在自体が」
俺は、先程まで自身が入っていたカプセルを見る。
このカプセルにVR機能が付けられた理由……それは、開発中に、恋愛による分泌物が感染症に効果があると判明したからで、その研究成果を聞きつけ急いで取り付けられた。
要は、病の進行を遅らせつつ、可能であれば病気を退治しようとした訳だ。
そしてそのVRの舞台は、彼女らの年代で最もなじみ深い学校……つまりは学園ラブコメという設定が為された。
それ故に普通の学校とは違った部分も多々生じている。
例えば点呼の順番。普通であれば名前順で、皇から始まり高嶺、そして平内の順番になるんだろうが、この世界では高嶺から始まり、平内、そして皇。
これは、このカプセルを開発する際に高嶺重工が主導で技術開発をしたからで、次いで出資額が一番多かった平内家、最後に皇家と決められたという経緯がある。
大事な娘達の生死が掛かっているというのに、序列やら何やらを気にしてああでもないこうでもないと言い合うのは、俺みたいな一般人には理解に苦しむ事だが、上流階級というのはそういうものなんだろうな。
ともあれ、そうして彼女らを保護・治療する為の環境が整えられた訳だが、しかし、機能が付けられたのが開発の後半も後半で、急ごしらえであったため、一つの問題が生じる。
それは、教師役として誰かもう一人このカプセルを用いてその舞台に入らないといけないという事。
そこで白羽の矢が立ったのが、俺、西城彰人。
俺は元々教師でも何でもなく、単なる精神科医だったのだが、ちょっとした事業で失敗し、その借金を肩代わりしてもらう事を条件に、この三人の教師役として、四基目のカプセルに入る事となった。
それは別に俺が特別だったからとかではなく、言ってしまえばカプセルの被験者という意味合いもあったようで、要は消えても構わない、消えてしまいそうな事情を持つ者という事で選ばれたような感じだった。
ちなみに、本職の教師ではなく精神科医が選ばれた理由としては、彼女らにメンタル面で何かあった時には、精神科医の方が対処をしやすいからだろうという理由だとか。
仮想の学園生活に適応させる為に、彼女らの認識も色々と弄っているらしいので、ふとした際にそのズレを感じてパニックを起こす事がある。先程の皇のように。
さしづめ俺はその際のストッパーとかブレーカーとか、そんな役割だ。
ちなみに、俺の場合は彼女らと違って、彼女らが授業を受けたり、学校に存在している時に教師として相手をするだけの役割のため、カプセルに常時入っている訳ではない。
なので、こうして再々カプセルに入ったり出たりを繰り返している。
そんな生活をしてもう十年。
彼女らの中には巣食う病魔は未だに残っており、この生活はまだまだ続きそうだった。
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