第3話


"子どもの頃は、身体も弱く病気になりがち"

"子どもは動きが活発だから、怪我が絶えない"

その当時、母親である私はそう思っていた。

言い訳するしかないが、変な意地を張り続け

一人で育てるという事に意欲を燃やしていた。

田舎育ちで、妊娠出産。

周りからの白い目。彼の家は、中学の

卒業と同時にどこかに引っ越していった。

さよなら、弱い人。

自分の両親も周りからの攻撃に

慌ただしく引っ越しした。

親名義の安アパート、サラリーマンの

父は左遷なのかどうかはわからないが

単身赴任の話が舞い込み、母親は

父の単身赴任について行った。

もしかしたら、私のせいで父は仕事を

クビになってしまったかもしれない。

そして、みんなで暮らすには

狭すぎる安アパートを私と私の娘の為に

数年分の家賃とともに借りてくれたのかもしれない。

卒業と引っ越しした約5日後、両親は

自動車事故、即死だった。

(自殺じゃないよね、事故…だよね?!)

トラックと軽自動車との正面衝突。

気がつけば、両親は小さな2つの壺になっていた。

私は一人じゃない。

お腹には私の子どもがいる。

周りからは冷たい目だったが

私の両親は私とお腹の子どもに

たくさんの事を残してくれていた。

引っ越しの後、大量のベビーグッズに

布オムレツと紙オムツ。

黄色の可愛いベビー服多数。

おもちゃも、これ新生児には

無理よね?っていうほどの物や

木の積み木、カタカタ。

それらを見ていると、両親は

口うるさかったけど、孫が産まれてくる事に

楽しみにしていてくれたんだと思えた。

私はしばらくしてからやっと

泣くことができた。

反発ばかりしたけど、ごめんね。

私のお父さん、私のお母さん。

私、この子をしっかり産み育てるね。


      ***


4月2日の早朝に産んだ娘は本当に

小さくて可愛く愛しい娘。

世界一可愛くてに愛しい娘だった。

お祝い膳に、小ぶりな鯛と可愛いケーキが

ついていた。

ハッピーバースデー、私と私の赤ちゃん。

名前は、こころと、あかりの2つで

かなり迷っていた。

母子手帳と、出産届、さまざまな書類に

私の娘の名前を書いた。

私からの初めての贈り物だよ。

私とあなたから見ておじいちゃんと

おばあちゃんの真心を込めて"こころ"

こころ、どお?気に入ってくれたら

うれしいな。

ひらがなだと、柔らかいイメージでしょ。

"こころ"大好きだよ。

"こころ"を心から愛してるよ、なんちゃって。

おうちに帰ったらたくさんの

初めてが色々あるよ。

一緒に初めてを経験しようね。

よろしく、私がママよ。

産んだ翌日、娘の顔色が悪かった。

診断名は、新生児黄疸。

私はO型、娘はA型だった。

その場合、よくある事らしいが

母親の血液に胎児の血液をこわす抗体ができ

胎児へ移行するため、赤ちゃんの血液が

その抗体のせいで、貧血と黄疸(おうだん)になるそうだ。

小さなオムツを付け目を覆われた

私の娘"こころ"は青い光の中に照らされていた。

なぜか涙が出た。

看護師さんや先生たちは

「新生児の黄疸はよくあることだよ。

多少強く出ただけで、みんな少なからず

黄疸はあるもんだよ。」と

やさしく、ゆっくりと話してくれた。

みんなからあたたかな言葉もたくさんもらった。

"私の子だけじゃない。"

"よくある事。"

結局、母乳と粉ミルクの混合ミルクで

こころと私は10日ほど入院した。

1番近くで通いやすい個人の産婦人科は

偶然にもご飯が美味しく、しかも全室

個室のすごく評判の良い産婦人科だった。

同じ産婦人科で仲良くなったママ友は

20代、30代、40代と頼もしいママから

私と同じ初参の方などさまざまだった。

5人の子を産んだママは、陣痛きてから

電車に乗り6つの駅を乗り、駅近くの

この産婦人科にきたらしい。

そのスーパーウーマン、スーパーママさんは

産婦人科に到着し、約30分でのスピード出産。

保育園に預けれない幼な子たちは

出産後、スーパーママさんのご家族様が

来てくれたらしく、出産のあいだ

看護士さんたちが幼な子をみてくれていたそうだ。

そういえば、診察の間など待合室に

小さなプレイルームがあった気がする。

ちゃんと資格を持った保育士さんが

待合室で診察の間など無料で見てくれる

そうで、スーパーママさんは

ここの産婦人科なら安心して産めるのよ、と

豪快に笑っていた。

偶然にもイイ産婦人科を選んでいた私だった。

私は陣痛の間隔10分になるまでに

1日かかり、産婦人科に入院してから

28時間かかっている。

約二日間?かけて可愛い子を産んだのだった。


出産から10日目の退院の日、こころの

顔やほっぺには、赤い糸くず様のような

日焼けのようなものが出現していた。

青い光に照らされていたからかな、と

その時は思っていた。


一歳を過ぎたあたり(産休明け)から

また、私はがむしゃらに働いていた。

なかなか認可の降りている保育園はなく

最初の数ヶ月は無認可に預けていた。

職場に電話がなった。

早退した私は38度代の熱が出た娘を抱え、

産婦人科で紹介してもらった近所の小児科に

連れて行った。

順番待ちをしている時

娘の体がガクッとなったとたん

ピクッピクッと痙攣(けいれん)した。

何もしない先生、娘を見てるだけに見えた。

「ピクピク痙攣してるのに、先生

なんで何もしてくれないんですか?!」

私は動揺していた。

あとから聞くと、痙攣の時間を測っていた

との事で、酸素濃度を指で測れる機械も

付いており、ちゃんと診てくれて

いたのだったらしい?!

だけど私の剣幕に押された先生は、

痙攣が起きて6分程のところで

痙攣止めの点滴をしてくれた。

やがて痙攣は収まり、寝息をたてていた。

時々、フゴッってかんじのイビキににた

寝息だった。

(こんなに小さな身体なのに…意識のない

痙攣とイビキ、こころ、あなたは

本当に大丈夫なの?)

ここは入院施設はないので、よろしければ

大きな病院を紹介しますよと

先生に言われ、病院の救急車で

市民病院に運ばれ一泊二日の入院をした。


その頃フルで働いていた私は、やっと

認可のおりている保育園に娘を

預けれる様になり、朝ほぼ一番のりで預け

夜はほぼ最後まで娘は保育園にいた。

帰宅後は、簡単な安上がりの食事と

お風呂を済ませて寝かしつけ。

娘が寝た後は、押し入れに入れてある

内職の部品を組み立て、日付けが変わる頃

一休みする毎日だった。

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