中編 怠惰な真実

 あの騒動から少し経った今、夏真っ盛りである。部室の窓からは入道雲が見える。見るたびに大きくなるその姿はまさしく入道である。

 そして学校には再び静か(?)な日々が戻っていた。


 今日は咲花が部室に遊びに来ている。特にやる事の無い天文部では、部員の友達が遊びに来る事がよくある。実際、昨日は小柴が数名の友達とスマホゲームをしていた。


「夏だね。飽きるくらい夏だね」

「そうだね、入道雲なんか毎日見てる気がする」

「見てるね。でも、どれだけ経っても暑さには慣れないんだよね」

「そうそう」


 二人は特に何をする訳でもなく、ただただ会話を楽しむだけだ。部室には自分たちを含めて5人来ている。因みに夏休みの部活は強制ではない。


「私は今日は午後から部活なわけですよ。本当に行きたくないっ」

「美術部も大変なんですな。咲花はコンテストに出すんだっけ?」

 はぁ、と大きなため息を出しながら咲花は頷く。

「締切が近いんだよね……。まだ半分も出来てないっていうのに」


 そう言いながら、咲花は大きく伸びをした。そのまま気だるそうに体を反らせる。そして咲花は起き上がってこない。頭に血が上りそうだ。


「どうしたの? そんな変な体勢で止まっちゃって」

「ああ、ごめんごめん。なんかあの棚面白いなぁって思って」


 咲花の目線の先には、様々な薬品やら天体観測の用具やらが雑に押し込まれた大きな棚があった。

 元の体勢に戻った咲花の頭は見事に芸術的な爆発をしている。


「あそこね。全然整理してないんだよね」

「別にしなくてもいいっしょ」

「あっ、聞いてたんだ」


 突然口を挟む小柴に少々驚く。てっきりいつものようにワイヤレスイヤホンを着けて動画でも見ているものだと思っていた。


「開けてもいい?」

「どうぞどうぞ、お開けください」


 咲花は棚の扉を開くと、物珍しそうに一つ一つを手に取って眺める。


「そんなに面白いものは無いんだけどね」

「そんなことない! なんか科学の香りがするよ」


 そう言いながら、ちゃっかり錆びついた缶を開ける咲花。クッキーが似合いそうな洋風の、あまり見覚えが無い缶だ。きっとお土産でもらった物をそのまま使っているのだろう。

 中には小さな茶色い瓶が入っていた。瓶には液体が入っているが、特に薬品名等は書かれていない。


「もしかしてこれは金属をも溶かす危険な液体では?」

「そんなもんここには無いとは思うんだけどね〜」


 化学室というわけでは無いから、そこまで危険な物は無いはずである。だが、ここは他の教室が不要としたものや、邪魔になった物たちの置き場と化しているから、“絶対”とは言い切れないのである。


 小柴は、試すだけだよ、と言って軍手を着け、鉄の欠片を試験管に入れる。そして、瓶をゆっくりと開け、透明な液体を少し注いだ。ふわりと甘い香りが鼻を刺す。

 すると、シュワシュワと音を立てて鉄が溶けていく。そしてラムネのように脆く簡単に消えてしまった。琴葉は慌てて部室の窓を開ける。興味本位で行った実験で死ぬのはゴメンである。


「やっぱり! これは触るな危険だったのですな」


 咲花は満足そうな笑みを浮かべる。小柴はまさかそんな危ないものだとは思っていなかったらしく、珍しく目をまん丸にした。

 鉄を溶かす液体……。きっと化学で習ったのだろうが、全く覚えがない。


「よし、これは封印しておこう」

「そうだね、こんなの別に使わないし」


 瓶が見つかったときに入っていた缶に戻し、更にビニール袋に入れて「触るべからず」という張り紙をした。


 12時のチャイムが鳴ると、部員達は一斉にお弁当をリュックから取り出す。特に何時にお昼を食べるという決まりは無いものの、自然と12時に食べるようになっていた。


「今日お弁当持ってきてないや。琴葉、買いに行こ」

「うん。小柴も行く?」

「行く。俺もパン買うわ」


 三人は一階にある食堂へ向かった。食堂といっても夏休みは営業しておらず、代わりに二台ある自販機にパンやおにぎりなどが売られているのだ。部活動が休憩になるこの時間帯は自販機に行列ができることもある。だが――。


「あっ、全然中身が無いっ」


 咲花は大げさに肩を落とした。いつもはこの時間にずらりと並んでいるのだが、菓子パンが少ししか残っていなかった。今日サッカー部が騒動の復帰後初の公式試合をここでやると言っていたから、サッカー部員や他校の生徒達がほとんど買っていってしまったのだろう。


「商店でも行くか」

「そうしよ。絶対お菓子買ってやるっ」


 三人は学校の近くにある天野商店に買いに行くことにした。学校から歩いて3分で行くことのできる、高校生御用達の商店だ。昔ながらの雰囲気を残しつつ、学生を想ってか品揃えも豊富である。

 琴葉はおにぎりを2つ買った。商店では大体このおにぎりと決めている。咲花はサンドイッチと、宣言どおりお菓子を買っている。咲花の好物チョコチップクッキーだ。小柴はメロンパンとアンパン二つを買っていた。小柴がかなりの甘党だった事を思い出す。


「それだけで足りるん?」 

 

 小柴が琴葉のかごを覗きながら言った。琴葉はあははと苦笑いをする。確かにおやつでも買いたいところだが、ただ今財布がサハラ砂漠級に寂しい。


「今お小遣い前なんだよね」

「じゃあ、これみんなで分けるか。俺小遣い貰ったばっかだし」

「えっ、いいの?」


 小柴はスティックパン5本入りとポテトチップスをひと袋カゴに追加した。


 帰り道、トントントンという足音が小柴の後ろを付きまとっていた。どうやら小柴がお小遣いを貰ったばかりというのは嘘だったらしい。琴葉は申し訳ない気もしたが、その音を聞いているととても心地が良かった。


 夕方になり、一番星がきらきらと窓の外で輝いている。そろそろ部活が終わりの時間らしく、校内もすっかり静まり返っている。


「じゃあ、屋上行きます?」

「行きますか」


 廊下を歩いていると、前から人影が現れた。咲花だ。


「部活終わったの?」

「うん。これから観測でしょ? ついて行ってよろしいかな?」

「よろしいとも。荷物は天文部に置いていったら?」

「そうだね。ごめんみんな。先行ってて!」


 そう言って、咲花は薄暗い廊下を走って行った。


 屋上へ上がり、いつものように準備をする。空にはいつの間にか星が広がっていた。少し空を眺めていると、咲花が息をハァハァ切らしながらやってきた。


「そんなに急がなくても良かったのに。なんかあった?」

「いやぁ、なんでもないよ」

「そっ、そっか――」


 きれいだね〜、と咲花は月を眺めている。今日は満月で、その中でも特別なスーパームーンの日らしい。紺色の空によく映えている。まるで望遠鏡を通して見ているようで、地球がぐんと月に吸い寄せられてしまったようにも思える。


 ――次の日の夕方――


「あれ? そういえばあのビニール袋見当たらないけど?」

「俺は知らないけど」


 おかしい。昨日ここにいた人しか知らないはずのあの瓶が消えている。無音の部室。咲花なら何か知っているだろうか。いや、絶対になにか知っている。そんな気がしてならない。


「ちょっと散歩してくる」


 ガラガラと勢いよく扉を開け、歩き出す。自然と足が速くなる。別に無くなって困ると言うわけでわないのだが、なんだか気になってしまう。

 咲花は今日も部活があるはずだ。美術室に行けばきっと会えるだろう。


「すいませーん。本田さんいらっしゃいますかっ!」


 思わず美術室の扉を開け、大声で叫んでしまっていた。手前にいた女子たちは口をポカンと開けて琴葉を見つめる。つい焦って出てしまった声が響き、恥ずかしい。


「あっ、すみません。あの〜、本田さんって……」

「あぁ、本田さんなら今日は午前で帰りました」

「そうですか。ありがとうございます」


 いつもなら日が暮れるまで絵を描いている咲花がいないなど考えづらい。どこかが、おかしい。琴葉は一旦天文部へ戻ることにした。


「小柴、咲花がいないんだ」

「家に帰ったんちゃう? 連絡はとれないの?」

「とれない。嫌な予感がするんだよ。ちょっと一緒に探してくれないかな?」

「おう」


 昨日屋上へ上がってきた時、なんでもないよと言っていた咲花だが、その瞬間から琴葉には聞こえていたのだ。咲花の足音が。早く、異様に静かな足音が。

 

 “たっ、たっ、たっ”


 足音はとても速いスピードで廊下を突き進んでいく。足音は屋上まで続いていた。きっと昨日の天体観測だろう。


「こっちじゃない。逆だ」

「お前、なんでそんなの分かるん?」


 小柴は不思議な顔をしつつも、必死な琴葉に圧倒され全力疾走でついていく。

 足音は暗くなった校舎を琴葉達を振り払うように進んでいった。


「ここだ。ここで何かあったんだ」

「ここ? うわぁ、俺は入りたくないなぁ」


 二人の目の前には、化学室と書かれたプレートがさげられている。この奥まで足音は続いているらしい。


「私だってやだよ。あの顧問に会わなきゃいけないなんて」


 理科担当であり天文部の顧問、津川は滅多に部活に来ない。面倒な性格であまり生徒からの評判は良くなく、仕事が忙しいのを理由にしばらく部活に顔すら出していない。特にやることも無い天文部ではあまり気にしておらず、むしろ助かるくらいだ。


「どうする?」

「行くしかないよ」


 ふっ、と息を吐いてから小柴はドアノブに手をかける。


「失礼しまーす。こちらに本田さんが来なかったでしょうか?」

「おい、ドアを開けるときはノックをしないと」


 何か慌てた様子で机の上の試験管やらスマホやらを片付ける。琴葉の前をさっと横切った津川の白衣からは柔軟剤だろうか、ほんのりと甘い香りがした。きっちりとした髪型といい、妙に整った身なりもどこか腹立たしい。決して津川に何をされたというわけではないが、津川の高圧的な性格が苦手であった。

 部屋の棚には様々な実験器具がずらりと並んでいる。


「おい、あれ」

「あっ!」


 小柴の見つけた物に驚き、つい大きな声が出てしまったが、津川は気にしていないようだ。

 小柴の指した指の先の机には、昨日のあの瓶が置かれていた。まさか天体観測に行った間に盗ったのか――。いや、元々津川の持ち物だったのかもしれない。


「で、どうしたの?」


 津川はギラリとこちらを見つめる。動じない様子で、小柴は答えた。


「昨日か今日に本田がこちらに来なかったか知りたくて」

「本田さん? 来てないけどどうしたの?」

「そうっすか。あの〜、その瓶は?」


 一瞬嫌そうな顔をしたのを二人は逃さなかった。何かやましいことでもない限り、答えられる質問ではある。


「これか。実は昨日天文部の部室からもらってきたんだ。あの張り紙は君たちが? ありがとうな」

「そうだったんですね。失礼しました」


 もっと問い詰めたい気持ちを押し殺して、琴葉は化学室を出た。


「あれで良かったの?」

「うん、あれ以上聞いても無駄だよ。あんな部屋にはいられないしね」

「まあな」


 化学室の中は嫌な足音が鳴り響いていた。だが、不思議なことに部屋から一歩出ると、なんの足音もしない。音が、しない?

 この部屋まで来た道を辿る。音が聞こえないのは夜だから? いや、そんなはずはない。やはり一度咲花に話を聞く必要がある。


「まあ、明日咲花に聞いてみるよ。今日は付き合わせてすまないね」

「やること無いし、別にいいよ。これ食う?」 

 

 小柴はガサゴソとポッケを探る。“これ”と言って出てきたのは黒い懐中電灯だった。ハッとした顔をして二人は思わず笑う。


「これちょっとこれ持ってて――」

「はいはい」


 琴葉は渡された懐中電灯をスカートのポケットに入れた。そして、小柴はやっと目的の物を取り出す。青色のきれいな飴だった。


「これ何味?」

「知らんなぁ。だけど、うまいよ」


 二人は飴玉を舐めながら部室へ戻った。おそらくソーダ味の、確かに美味しい飴だった。


 ――次の日――


 咲花はいつものように天文部に現れた。もうここには来ないのではとすら思っていた琴葉はホッとする。


「あのさ、天体観測をしたあの日、化学室に行ったりした?」


 咲花は凍りついたような目で琴葉を見つめる。そしてしばらく黙り込んだ後、やっと口を開いた。


「あぁ、お見通しだったんだねぇ。いや、屋上行こうとしたらあの部屋のドアがちょっと空いててさ、覗いたらあの瓶がおいてあったからなんでかなって」

「それだけ? 昨日は?」

「特に用事もないし、行ってないです」

「咲花……。分かった。信じる」


 絶対に化学室で何かがあった。だが、無理に咲花を責めることなど出来ない。どうするか――。気まずい雰囲気の流れる中、小柴はリュックからガサゴソとポテトチップスの袋を取り出した。


「こないだ食べそこねたやつ。食べよーぜ」


 中々袋が開かないらしく、何度も方向を変えながら袋を引っ張る。


 “バサッ”


「あっ!」


 ポテトチップスたちがゆっくりと宙を舞う。星のように満天に広がったかと思うと、勢いよく落下してきた。


「最悪だ……」


 小柴は床に散乱した残骸を眺める。対して、琴葉、咲花はクスクスと笑いがこみ上げ、向かいあって大笑いする。


「ひでぇな。そんなに笑えるか?」

「うん。最高だったよ」

「なんかありがとう小柴」


 三人は僅かに残ったポテトチップスを分け、箒で部室を掃除した。久しぶりの掃除であったせいか、それ以外にも大量のホコリを発見し、ゾッとする。たまには掃除もしなくてはいけないと少々反省した。


 太陽も次第に沈み始め、咲花は部活に戻ってしまった。夕方だが外は真っ暗になった。どうやら夏特有の夕立が今日もあるらしい。


 今日こそは突き止める。咲花の足音の原因も、津川の足音の謎も。


 琴葉は廊下の足音を辿る。静かな足音だ。

 しばらく歩くと、見えてきたのはやはり化学室である。ドアに耳をあてると中から僅かに話し声が聞こえる。その微かな会話を必死に聞き取った。


「成功するまで、絶対に他人に言うな。昨日も二人が訪ねてきたんだが。お前が言ったわけでは無いよな?」

「違います」


 やはりだ。中から聞こえるのは津川と咲花二人の声である。なぜ咲花が巻き込まれなければならないのだろう。琴葉は会話を聞きながらぐっと唇を噛み締めた。


「早くしなければ。実行するのは今日の午後6時30分。5分前にはここに来い。それが終われば、この事は一切無かったことにする」

「分かりました」


「あれ? こんなところでどうしたの? 具合でも悪いのかな?」

「あっ」


 背後から突然話しかけられ、はっとする。すっかり夢中になってしまい、琴葉は周りの目を気にすることを忘れてしまっていたのだ。こんな格好をしていれば、誰もが不審に思うだろう。

 ゆっくり振り返ると、目の前には心配そうにこちらを見つめる校長先生が立っていた。


「すみません。ちょっと落とし物しちゃって。では」


 逃げるように天文部へ向かって走った。校長先生は不思議そうな顔をしてその後ろ姿を見つめる。

 走りながら、咲花の怯えた声を思い出す。後悔もある。あの時咲花を助けた方が良かったのだろうか。――逃げてしまった。


 部室に入るもぼーっとしてしまい、何にも集中することが出来ない。


「おい、死んだ目してどうしたん?」

「あっ、あぁ……。いや、今日さ、6時ちょっとになったら用事あるから、観察はみんなで先に行っててほしい」

「分かった」


 いよいよ、 6時25分になった。外では轟々と雨が降り注いでおり、全てを洗い流してしまいそうだ。


「俺がこれをエアコンに仕掛けてくる。お前は部屋の前で見張ってろ」

「はい」


 二人が部屋から出てきた。そのあとを、足音を消して琴葉は追う。二人の足音に重ねるようにして。津川の軍手をつけた白い手にはあの時の瓶が握られている。

 二人が向かう方は事務室や職員室のある棟である。一体どこへ向かうというのだろう。


 長い廊下を歩く。この先は行き止まりのはずだ。確か一番奥にあるのは――。


「ここで待ってろ」


 津川は校長室に忍び込んだ。あの瓶を持って。中に人はいないらしく、会話は聞こえない。まさか津川は……⁉

 咲花を助けるなら、きっと今しか無い。今しか無いんだ。

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