第68話 サランドラとの話し合いが始まります。
――視察を終えたアレクセイとサランドラは村に戻って来た。
大金を持って買い物をする村人たち。
不可能と言われたジバク草の畑。
魔硬竹の群生地。
資源豊富な森。
この村で受けたいくつもの衝撃は、サランドラのキャパシティーを超えるものばかりだった。
アレクセイの後ろを歩きながら、頭の中で必死に情報を整理していく。
そこにマーロウが声をかけてきた。
「買い物は終わりました。もう片方の商会が来ます。あと一時間ほどです」
アレクセイの耳元で小声でささやく。
それを受けて、サランドラに言う。
「広場の方もひと段落したようだ。撤収して馬車を移動させてくれ。指示はマーロウに聞いてくれ。終わったら、僕の家に来て欲しい」
「承知致しました」
二人を見送って、アレクセイは自分の家に戻る。
先日、完成したばかりの新居だ。
貴族の住居としては粗末なものだが、それまで借りていた家とは天と地の差がある。
権威を重んじる相手ならば見下すだろうが、利を重視するサランドラなら文句は出ないだろう。
アレクセイが家に戻って少しすると、スージーとポーラがやって来た。
「アレク様、報告書です」
「相変わらず仕事が早いね」
「お姉ちゃんですから!」
受け取った報告書に目を通す。
読み終えたアレクセイはスージーに話しかける。
「勉強の成果があったね」
「最初はみんな戸惑ってましたが、すぐに慣れましたよ」
昨日は模擬店の練習までして、買い物に慣れさせたのだ。
「些細なものを除けば、たいしたトラブルも起きませんでした」
「相手はどうだった?」
「誠実でしたよ。村人を見下す態度ではなく、ちゃんと客として扱っていました」
「価格も思っていたより安いね」
「はい。今回のことで儲けようとは思っていないようです」
それだけでも、サランドラの本気度が伝わってくる。そして、彼女の賢さも。
今回は顔つなぎで、取引相手を見定める試験。
彼女は今日の小さな利ではなく、将来の大きな利を選んだ。
それが――正解だ。
「うん。彼女は合格だね」
「私もそう思います」
「さて、もう片方はどうかな?」
「のんびりやって来るくらいですからね」
「喧嘩別れにならないといいけど、まあ、相手の出方次第だ」
当然、相手の商会のことは調べてある。
その情報から判断して、最初からあまり期待はしていなかった。
「みんなは楽しんでいた?」
「みんな大満足でした。早く彼らの笑顔をアレク様にも見てもらいたいです」
「それは楽しみだね」
スージーとの会話が終わり、アレクセイはポーラに話しかける。
「どうだった?」
「いろいろと勉強になりました。知らない商品もありましたし、商人の方から学ぶことも多かったです」
「ためになったようだね。この後の話し合いも、今後に役立つから、聴いておいてね」
「はい」
そんな話をしていると、マーロウに伴われサランドラがやってきた。
「サランドラはそっちに座って」
サランドラは緊張気味に腰を下ろす。
アレクセイはまず、マーロウに尋ねた。
「状況は?」
「撤収完了しました。馬車も所定の場所に移動してあります」
「村人の方は?」
「言いつけ通りにしております。次はどんなのが来るか、心待ちにしてます」
「うーん、心苦しいな」
二つの商隊が来ると言っただけで、村人には詳しい話は伝えていない。
サランドラの商隊で満足している村人たちは、次を期待するのも当然だ。
彼らが失望すると目に見えているだけに、アレクセイは申し訳なく感じる。
「これもいい経験になりますよ」
「ああ、スージーの言う通りだね」
いい思いばかりが、よいとは限らない。
村人は商人のずる賢さも、他人の悪意も未経験だ。
嫌な思いをするのも、大切な経験。
アレクセイは村人をカゴの中の鳥にする気はなかった。
「他になにか報告ある?」
「いえ、特には」
「じゃあ、村人のところに戻って。次はトラブルがあるかもしれないから、気を張っていてね」
「承知しました」
マーロウが去ると、アレクセイはサランドラに向き合う。スージーとポーラはその後ろに立つ。
この場に年端も行かぬ幼女がいることに疑問を感じたが、サランドラはなにも言わなかった。
「じゃあ、始めようかと思うけど、先に聞いておきたいことある? いろいろビックリしたでしょ?」
イタズラが成功した子どものように、アレクセイは嬉しそうだ。
「では、二点ほど。先ほど撤収とおっしゃってましたが……」
「ああ。だいたい想像ついているでしょ? その通りだよ」
「ブルゴス商会でしょうか?」
「へえ、そこまでわかってるんだ。素晴らしい」
アレクセイは感心する。
そこまでわかった上で、サランドラは先回りをした。それほどの覚悟があるということだ。
それが分かり、アレクセイの心に火がつく。
「もうひとつは?」
「これだけの領地であれば、父上である伯爵様が黙ってはいないのでは?」
サランドラの心配は当然だ。
いくら、アレクセイといい条件で契約できたとしても、伯爵がしゃしゃり出てきたら、その契約なんか吹き飛んでしまう。
それに、伯爵が相手なら、不利な条件で契約を迫られても断ることができない。
「ああ、それは心配しなくていい」
アレクセイは父から授かった任命書を見せる。
「これは……」
「父はよっぽど僕のことが嫌いだったみたいだね」
『この先五年間なにがあっても、ノイベルト州を治めること』
これは本来、アレクセイを縛るものだった。
この勅令がある限り、ノイベルト州を捨てて逃げることすら許されない。
もし、逃げれば背任罪で処分できる。
徹底的にアレクセイを苦しめるつもりなのだ。
だが、しかし、今回はそれが裏目に出た。
この勅命がある限り、伯爵はこの領地をアレクセイから奪えない。
そもそも、領地というのは、国王から代理統治を任された土地だ。
伯爵はその領地の一部であるノイベルト州の統治をアレクセイに任せ、それを国王が認めたのだ。
この契約を破棄することは、国王への背信行為となる。
ゆえに――五年間は安泰だ。
この間に伯爵に対抗できる力を備えればいい。
「確かに、この任命書があれば大丈夫ですね」
「ああ、安心したでしょ」
サランドラは今回の契約で一番のウィークポイントを理解している。その上でアレクセイの話に乗った。
慎重で、なおかつ、大胆。
商談に入る前に、すでに結果は見えていた。
「他には?」
「いえ、こちらからは」
「じゃあ、商談を始めよう」
二人とも笑顔だ。
営業用の作り笑いではない。
子どものように無邪気な笑みだった。
商談とはお互いの利を求めて、納得できるように落とし所を見つけることだ。
そして、その過程において、相手を知ることができる。
サランドラの知力と胆力がどれほどのものか、アレクセイは早く知りたくてしょうがなかった。
一方、サランドラも感心していた。
なぜなら、アレクセイの対応は彼女が最適だと思う手段とまったく一致したからだ。
サランドラもこれからの話が楽しみで仕方がなかった。
一流の剣士の打ち合いのようなものだ。
最善の手を打って、相手がどこまでついて来られるか。
相手の最善手を、自分はどう返せるか。
二人の知力のぶつけ合いが今、始まる――。
◇◆◇◆◇◆◇
次回――『もうひとつの商会がやって来ました。』
12月23日更新です。
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