第67話 初めてのお買い物です。

 それから一時間後――。


 数台の馬車がやって来た。

 村人たちは黙り、熱のこもった目で見守っていた。


 アレクセイはスージーとアントンを伴い、門の前で待つ。やってきた馬車はその前で止まった。


 先頭の馬車から降りてきたのは若い女性。

 二十歳前で、どこか気品が感じられる。

 女性はアレクセイを認め、深く礼をする。

 貴族に対する正式な礼だ。


「我が名はサランドラ、当商会の代表を努めております。この度はノイベルト子爵閣下にお目見えの機会を与えていただき、恐悦至極に存じます」

「ああ、アレクセイだ。楽にしていいよ」


 アレクセイの言葉で、サランドラが顔をあげる。


「子爵といっても、領民はここにいる50名だけ。アレクセイと気軽に呼んでくれ」


 サランドラはアレクセイの瞳を覗き込む。

 試されているのかどうか、ここで間違えるわけにはいかない。


「では、アレクセイ様と呼ばせていただきます」

「うん、よろしくね、サランドラ」


 アレクセイが差し出した手を、サランドラは握る。

 どうやら、最初の関門は突破できた、と安心する。


「馬車は村中央の広場に。そこで商品を広げてくれ」

「御意」


 サランドラの指示で、十数名の部下たちが動き出す。


「固くならないで、普通に話そう。僕もそっちの方が気が楽だ」

「わかりました」


 アレクセイのこの態度はふた通りにとらえられる。


 こちらを恐れて、腰を低くしているのか。

 それとも、対等な関係を望んでいるのか。


 この選択を間違えるようでは、この先の相手にはふさわしくない――アレクセイが投げかけた問いだ。


 サランドラは無事に正解を選んだ。

 そして、アレクセイを一段高く評価した。


 ただの貴族のボンボンではない。

 期待していた通り、取り引きに相応しい相手だ。


 アレクセイもまた、サンドラのテストをクリアしていた。


 形式的には、貴族は商人より上の立場。

 だが、商売を行うにあたって、売り手と買い手は対等の立場。

 二人の間で、それが共有されたのだ。


 サランドラは商売用の笑顔に切り替え、アレクセイに話しかける。


「それにしても、見事な防壁ですね。魔硬竹ですか。それにコーティングもムラがない。村に入る前から、ここの凄さがわかりますね」

「ああ。中に入ったら、もっと喜んでもらえると思うよ」


 サランドラの認識では少し前まで、この村は打ち捨てられた村だった。

 外界とのつながりを絶ち、緩やかに滅びゆく村。


 それがアレクセイが赴任してからたったの一ヶ月。

 要塞のような防壁で村を囲んでいる。

 トリートメントシャンプーを売り込みに来たときに確信したが、アレクセイは只者ではない。

 本人を目にして、その確信はより強まった。

 この御方は、こんな辺境の村で収まる人間ではない。

 アレクセイの成り上がりについていけば、自分の夢も――。

 ここでしくじるわけにはいかない、とサランドラは固く拳を握りしめた。


「ああ、紹介しておこう。彼はこの村の村長アントンだ」

「よろしくお願いします」

「ああ、こちらこそだ。この村を豊かにしてみせるよ」

「ありがとうございます」


 村長からは特になにも感じなかった。

 普通の村長だ。村人からの信はあついかもしれないが、村を維持するので精一杯。変革を起こせる器ではない。


「それで、こっちはスージー。僕の副官だ」

「スージーです。アレクサンドラさん、よろしくお願いします」

「……あっ、ああ。よろしく頼む」


 サランドラは気圧された。

 スージーとは一度会っているが、そのときとは別人だ。

 あのときは猫を被っており、こっちが本当の姿か。

 それに、アレクセイとスージーの結びつきはとても強いと感じられる。

 ひと筋縄ではいかなそうだ。


「早く来てくれたね。準備、間に合った?」

「はい。アレクセイ様から連絡を受け、不眠不休で整え、朝一番でやってまいりました」

「あはは。ちゃんと休まないとダメだよ。でも、そのおかげで、一番乗りだ」


 やはり、と自分の判断が正しかったことをサランドラは悟る。

 今回のオファーが自分たちだけとは限らない。

 来る順番でアレクセイは、こちらの本気度を見るつもりなんだろう。


 そう思ったから、急ピッチで準備を進めたのだ。

 ここまでは期待通り。問題はこの後だ――。


 一行が広場に向かうと、いくつもの露天が並んでいた。

 といっても、地面にゴザを敷いて、商品を並べただけの簡素なものだ。


 その露天に村人たちが群がっている。

 商品を手に取ったり、値段を尋ねたり、どっちがいいか言い合ってる者もいる。


 村人の片手には硬貨が詰まった小さな布袋。

 10万ゴルがつまった袋だ。


 もう片方の手には、一枚の紙。

 いろんな商品の相場価格が書かれている。

 まだ完全に字が読めない者でも、このリストの内容を理解できるくらいには勉強してきた。


 一応、会計の際には計算が得意なキリエやアントンに確認をとるように言い聞かせてある。

 この調子だと大きな問題は起こらないだろう。


 村人の生き生きとした姿に微笑むアレクセイだったが、サランドラは驚きのあまり目を見開いて固まっている。


「サランドラ、どうかしたの?」

「いっ、いえ……。村人に買い物をさせているのですか?」

「ああ。みんな初めてのことだから興奮してるね。商会の人の方が腰が引けてるんじゃない?」


 ――信じられない。


 サランドラは目の前の光景がまったく信じられなかった。

 アレクセイから持ち込んで欲しい商品リストを受け取っていた。

 てっきり、アレクセイが買い上げるとばかり思っていた。

 しかし、これはいったい……。


「村人ひとり当たり10万ゴル配ったんだ。年齢、性別、働きぶりに関わらずね」

「貸し付けたのですか?」

「いや、彼らのお金だよ。ここで使い切ってもいい。貯金してもいい。返済の必要はない」

「えっ……」


 サランドラは絶句する。

 飢饉の際に税を減免したり、功績をあげた者に報奨金を与えたりすることはある。

 しかし、なにもしていない領民全員にお金を配る――それも10万ゴルも。


 ――この御方はなにを考え、どこを見ているのか。


「ほら、みんな喜んでるでしょ?」

「ええ、たしかにそうですね」


 衝撃から立ち直れず、オウム返ししかできない。

 彼女は商人として、これまで多くの人間を相手にしてきた。

 しかし、アレクセイほど底が深く、計り知れない者は初めてだった。


 彼女の表情を見て、困惑を受け取って、アレクセイは小さく頷く。

 もちろん、10万ゴルをバラ撒くのが非常識だと、自分でも把握している。

 彼女の反応は当然だ。


 だけど、理解できないものを否定したり、バカにしたりしていない。

 アレクセイの中で、彼女の評価がまたひとつ上がった。


「じゃあ、場所を変えようか」

「はっ、はい」

「うちの目玉商品はトリートメントシャンプーだけじゃないんだ」

「えっ…………」


 すたすたと歩き出すアレクセイ。

 その後ろをサランドラは慌てて追いかけた――。





   ◇◆◇◆◇◆◇


次回――『サランドラとの話し合いが始まります。』

12月16日更新です。

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