第41話 ポーラに餌付けします。

 アレクセイは採れたてのジバク草の実を持って、村外れの大樹へと向かう。

 大樹の根本には少女が座り、膝に乗せた本に視線を落としていた。

 幼い頃に父と死に別れ、母に捨てられた少女。

 この場所はポーラの指定席だった。


 アレクセイが近づいても、ポーラは本に視線を向けたまま動かない。

 柔らかい風が桃色の長い髪をなびかせるだけだ。


 最初の頃は声をかけただけ、いや、目が合っただけで逃げ出された。

 だが、足繁く通い、ナニーのおやつで餌付けし、少しずつ距離を縮めていった。


 現在、二人の距離は三メートル。

 ポーラは逃げ出さない。

 この二週間の努力によって、ここまで縮まった。


 アレクセイは生活魔法で風を起こし、布に包んだジバクの実をポーラの脇に運ぶ。

 それでも、彼女は顔を上げない。

 いつものことなので、アレクセイはジッと待つ。


 この二週間で学習したが、ポーラはキリがいいところまで読書を中断しない。

 そこまで読んで、メモに書きつけて――それが終わって初めて顔を上げるのだ。


 ポーラはアレクセイだけでなく、他の村人とも関わらない。唯一の例外はキリエだ。

 そのキリエとも会話はせず、筆談だけ。


 キリエが言うには、話すことだけでなく、人の話を聞くこともできないそうだ。

 音は聞こえている。耳は悪くない。

 しかし、相手の話した内容が言葉として脳に届かないのだ。

 身体の器官に異常はなく、心因性だろうというのがキリエの見解だった。


 今日のおやつは取っておきだ。

 ナニーの芸術的なお菓子もすごいけど、ジバク草の実の美味さも格別だ。


 最近ようやく分かるようになったが、ポーラは甘いもの好きだ。

 甘味を食べるとき、無表情を保ちながらも、わずかに、ほんのわずかに口元を緩める。


 しばらくして、ポーラは本を閉じた。

 ジバク草の実を取り、匂いを嗅ぐ。

 そして、ひと口かじり――大きく目を見開くと、その綺麗な瞳からボロボロと涙をこぼした。


「大丈夫?」


 アレクセイは慌てて声をかけ、そして、ポーラには声が届かないことを思い出す。

 マジックバッグから一枚の紙を取り出し、『大丈夫?』と書きつけて、彼女のもとに飛ばす。

 飛ばした紙はトンとポーラの腕に当たり、地面に落ちた。


 どうして彼女が泣き出したのか、アレクセイには見当がつかない。

 ポーラは声もなく涙を流しながら、ひと口ひと口、その味を身体に刻み込むようにジバクの実をかじっていく。


 小さく消えてしまいそうな儚さを見守ることしか出来ず、アレクセイはグッと拳を固く握る。

 実を食べ終えたポーラは、残された数粒の種を紙で包み、懐にしまう。

 それから涙を拭うと、アレクセイをじっと見つめる。

 初めてのことだった。

 チラリと視線を向けることはあっても、ここまでじっくりとアレクセイの目を見ることはなかった。


 ポーラの瞳がかすかに揺れる――。


 しばらくすると、小さくうなずき、恐る恐るといった調子で手招きして見せる。

 アレクセイもうなずき返し、ゆっくりと怯えさせないように歩み寄る。


 ポーラの肩がピクッと震える。


 逃げ出したくなるのを賢明にこらえるようだ。

 変わろうという強い意思が、ポーラの背中を押さえつけていた。


 アレクセイはポーラの隣を指差す。

 彼女がうなずくのを確認して、そこに腰を下ろした。

 一冊のノートを取り出し、最初のページに書き始める。



『美味しかった? 今日はポーラと話がしたい。いいかな?』


 書き終えると、ノートとペンをポーラに手渡す。

 受け取る手は緊張してこわばってはいるが、涙はすっかり乾いていた。


 ポーラはしばらくノートに視線を落としたまま固まっていたが、やがてペンを動かし始めた。


『この実は昔、一度だけ食べたことがあります。お父さんが「みんなには内緒だよ」ってひと口食べさせてくれたんです。懐かしくて、涙が出てしまいました』


 震える手で書いたので、すこし揺らいではいたが流麗な筆致だった。


 そこから二人の筆談が始まった――。


『ジバク草の実だよ。森に生えていたのを持ってきて、栽培に成功したんだ。これからはいっぱい食べれるよ』

『ありがとうございます』

『僕と話す気になってくれて嬉しいよ』

『この実が、お父さんが、背中を押してくれたんです』

『そう、じゃあ、ポーラのお父さんに感謝しないとね』


 その後は、とりとめのないやり取りだった。

 いきなり踏み込むべきではないと、アレクセイは判断していた。


 それでも、格段に二人の距離は縮まった。

 あまり、最初から飛ばしすぎてもよくないと、アレクセイは適当なところで切り上げる。


『ノートはポーラに預けるよ。これからも僕とお話してくれるかな?』

『はい。こちらこそ、お願いします』

『これは僕とポーラの秘密の交換日記だ。誰にも見せないから、なんでもいいから、思ったことを書いて欲しいな』

『わかりました』


 こうして、二人の交換日記が始まった――。

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