第19話 キリエには先生になってもらいます。

 畑を見終わったアレクセイは、スージーと別れ、教会へ向かった。

 教会に入ると、そこは礼拝堂だ。十人も入ればいっぱいになってしまう小さな礼拝堂だった。

 アレクセイが知っている礼拝堂に比べたらはるかに質素だが、そこは清潔に保たれていた。キリエの真面目さと信仰の深さが伝わってくる。

 礼拝堂には誰もいなかった。


 礼拝堂には奥へと続く扉がある。その先がキリエの私室だ。

 アレクセイが扉をノックすると、すぐに扉が開かれた。


「アレクセイさまっ、ありがっ……あっ!」


 アレクセイを部屋に入れようとして、キリエは足を絡ませ、前につんのめる。


「おっと、大丈夫?」

「はっ、はいっ」


 倒れそうだったキリエをアレクセイが受け止める。


「もっ、もうしわけございません」

「気にしなくていいよ」


 慌てて離れるキリエの顔は真っ赤になっていた。

 昨日も転びかけたし、ちょっとおっちょこちょいな子だな、とアレクセイは思った。


「入ってもいいかな?」

「はいっ、狭苦しいところですが、どうぞお入りください」


 キリエの言う通り、部屋は狭かった。ベッドに文机、それに小さな棚。それだけでいっぱいだ。

 棚には聖典と数冊の本が並んでいる。

 礼拝堂と同じく、質素で清潔な部屋だった。

 文机はマーロウに届けさせたもので占拠されていた。


「貴重な本をいっぱい、それに紙とインクまで。あらいがとうございます」


 キリエは頭を下げて、再度感謝の念を伝える。

 興奮気味に、積み上げられた書籍に手を伸ばそうとして――


 ――ドサアァ。


「わっ!」


 手元を誤り、本が崩れ落ちる。

 うん。ドジっ子だ。


 恐縮に謝罪するキリエをなだめながら、アレクセイも手伝って本を戻す。

 片付けがひと段落したそのとき、部屋の扉が開かれた。


 胸に本を抱えるピンク髪の幼女だった。見た目は七、八歳。まだジョブを授かっていない年齢だ。


「…………」


 だが、少女はアレクセイの姿を見ると、なにも言わずに走り去っていった。


「あの子は?」


 幼女はまだアレクセイの臣下になっていない唯一の村人だ。

 未成人の子どもは親が臣属すれば、自動的に臣下になるのだが、彼女には親がいなかった。

 臣下でない者はステータスボードで情報を得られず、アレクセイは幼女の名前を知らない。


「ポーラという子です。あの子にはちょっと事情がありまして……」

「そうか……」


 キリエは言いづらそうに伝える。

 アレクセイは今は深入りすべきではないと判断した。ポーラのことは頭の片隅に留め置いて、本題に入る。


「キリエに仕事を任せたい」


 アレクセイは文机に歩み寄り、一冊のテキストを取り上げる。文字を学ぶためのテキストだ。


「これを使って村人に文字を教えてもらいたいんだ」

「文字ですか?」

「君にピッタリの仕事だよ」


 キリエに付与したギフトは【教師】だ。

 彼女が人に教える場合、他の人に教わるより、理解が早く深まる効果がある。彼女ほどの適任者は他にいない。

 だが、キリエは懐疑的だった。

 そんな彼女にアレクセイは尋ねる。


「村人で文字が読めるのは?」

「私の他には、村長さんとディーナさん、リシアちゃん――」


 三人とも村長一家の人間だ。

 代官とのやり取りをするために、彼らは文字を学んだ。


「後は――さっきのポーラちゃんです。ポーラちゃんは一人で本が読めるんですよ」

「あの歳で?」

「はい。ポーラちゃんは私なんかより、よっぽど賢いです」


 アレクセイは驚いた。

 貴族の子弟であっても、あの年齢で本が読めるのはごく一部だ。

 才能があるのか、キリエの教え方がいいのか。

 どちらにしろ、アレクセイにとっては嬉しい知らせだ。


「話を戻そう。ゆくゆくは村人全員に文字を読めるようになってもらいたい」

「全員ですか!?」


 キリエは信じられないといった顔つきだ。


 村人たちが文字を読めないのは、必要ないからだ。

 畑を耕す知識。森で行動するための知識。

 この村で暮らすには、それだけ知っていれば十分で、それは会話によって年長者から若者に伝えられる。

 だが、アレクセイの考えは違った。


「今の生活を続けるなら、文字を学ぶ必要はない。だけど、新しいことをするには文字を使えた方が絶対にいい」


 聖職者であるキリエはアレクセイの言葉が理解できた。

 神を知り、神を学ぶには、文字が読めなければならない。

 新しい考えを学ぶには、文字が読めることが必須だ。

 だが、それと同時に、村人に教えるには大きな障害があることも、彼女は知っていた。


「とりあえずは、子どもたちと【鑑定】を持っているサブロとシロの二人だけでいい」

「でも、それだけの時間をとる余裕は……」


 彼らの生活はギリギリだ。

 日の出から日没まで、精一杯働かないと、生きるための食料を確保できない。

 それは子どもたちも同じ。文字を学んでいる余裕などないのだ。


「大丈夫。その問題はクリアしている。お昼ご飯のときに、それがわかるよ」

「わかりました。アレクセイさまの言葉を信じます。わたくしにやらせてください!」


 やる気を見せるキリエにアレクセイはテキストを手渡す。

 キリエはテキストを眺めて、「これは教えやすそうです」と感嘆する。


 このテキストはアレクセイとスージーの二人で作ったものだ。

 二人はゼロから異世界言語を学んだ経験がある。その経験を生かして作ったテキストだ。出回っているテキストより何倍も優れていると二人は自負していた。


 その後、二人はテキストをもとに指導方法について相談した。

 そして、それがひと段落したところで「くぅ」とキリエのお腹が鳴った。


「じゃあ、一緒に広場に行こうか」


 顔を赤らめたキリエはアレクセイの提案に小さくうなずいた。






   ◇◆◇◆◇◆◇


【後書き】


次回――『お昼ごはん。村人たちは元気です。』

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