第9話 バッチリ治りました。

 ひと昔前までは、火痘は国中で一番恐れられて病気だ。

 だが、今は大した脅威ではない。流行り風邪の方がよっぽど恐ろしい。


 なぜなら――。


「大丈夫。安心して。この病気は治せるよ。起きられるかな?」


 アレクセイはディーナやリシアが安心できる笑顔と声で伝える。


「これを飲めば、すぐに良くなる」

「アレク様のおっしゃる通りです。ご安心下さい」


 スージーは水の入ったコップとひと粒の錠剤をディーナに渡す。

 火痘には特効薬がある。十年ほど前に開発された薬だ。

 リドホルム領では常識だが、外との接触がほぼゼロであるこの村までは伝わっていなかった。


 ディーナは半信半疑。他の者も不安そうな顔だ。


「大丈夫」


 安心させるようにアレクセイは繰り返す。

 スージーも隣で笑みを浮かべている。


 二人を見て意を決したディーナは、薬を飲み下す。

 それから一分もしないうちに、ディーナの身体から赤い発疹が消える。


「えっ」


 ディーナは信じられないといった調子だ。

 一年以上この病気に悩まされていた。それなのにあっという間に発疹が収まったのだ。


「三十分もすれば起き上がれるようになるけど、身体は衰弱してるから無理しないで」


 その言葉にようやく、ディーナはなにが起こったのか理解した。その目から大粒の涙がこぼれる。


「ママっ!」「ディーナ!」


 リシアとアントンがディーナに抱きつき、大きな泣き声を上げる。

 しばらく、泣き続けた三人だったが、落ち着くとあらためてアレクセイに頭を下げた。


「私は諦めてました。むしろ、家族に迷惑をかけるくらいなら、早く死ねればいいと思っていたくらいです。ご領主様、本当にありがとうございます」

「娘を救ってくださり、ありがとうございました」

「領主様、ママを助けてくれてありがとうございます」


 土下座しそうな勢いの三人をアレクセイが止める。


「これが僕の仕事だからね。みんなを幸せにする。そのために僕はこの村にやって来たんだ」


 アレクセイの言葉に三人は雷に打たれたように固まる。

 彼らにとって領主とは、使いを寄越して税を取り上げていくだけの存在。助けてくれることなど一切なかった。


 しかし、この新しい領主様ならば――。


「他にも病人はいるんだよね?」

「はいっ、あと二人います」

「じゃあ、そっちが先だ。落ち着いたらまた話をしよう。村長、ちょっといいかな――」


 アントンに村人を集めるように指示し、アレクセイは村長宅を辞した。


 その後、キリエに案内され、二人の病人を診た。ともに火痘だったので、薬を与えるとすぐに良くなった。

 アレクセイは恐縮するほどのお礼を受けて、患者のもとを後にした――。


 通りに出ると、ふっと風に乗って美味しそうな匂いが漂ってくる。

 アレクセイとスージーには分かっていたが、なにも知らないキリエは足を止め、不思議そうにしている。


「ナニーが頑張ってくれてるみたいだね」

「ええ、張り切ってましたよ」


 そこでキリエのお腹が可愛くクゥと鳴り、彼女は「はうぅ」と顔を赤らめた。

 自然と空気が弛緩し、笑みが生まれる。


「お腹も空いてきた頃だけど、もうひと仕事頑張ろう」


 病人の治療は終わったが、怪我を負っている人が何人かいるらしい。

 重症というわけではないが、この村では薬草を煎じて患部に塗るか、キリエの【癒やしの光】しか、治療方法はない。どちらも劇的な効果はなく、後は自然治癒に任せるばかりだ。

 アレクセイが街で買い込んできたポーションを用いると、彼らの怪我はすぐに治った。

 彼らからも感謝を受け、すべての治療を終わらせると、すでに日は落ちかけていた。


「さて、ナニーの方はできたかな?」


 夕方の涼しい風に乗って、さっきより強い匂いが漂ってくる。

 三人は匂いの発生源である村中央の広場へと足を進めた――。





 広場には大勢の村人が集まり、思い思いの場所に座っている。

 話は村長から伝わっているようだ。

 アレクセイを見る目は警戒から困惑へと変わっていた。


「領主さま~、もうすぐ出来ますよ~」


 白いコック服をまとった小柄な女の子。

 二つ結びのオレンジ髪をピコンと揺らしながら、手に持ったお玉を大きく左右に振っている。


 元リドホルム家料理番であり、家臣団の三人目かつノイベルト家料理長――ナニーだ。

 年はアレクセイよりふたつ上の十七歳だが、そばかすの残る童顔で、アレクセイより頭ひとつ小さく、年上には見えない。

 元気いっぱいの彼女がこの後に控えているイベントの主役だ。


 アレクセイらが治療している間、ナニーには料理の支度を任せていた。

 村人の心を掴むには、なによりも胃袋を掴むこと。

 まずは料理と酒を振る舞い、その後に話をするつもりだ。


 井戸の隣には村人たちが普段利用している調理場がある。

 パン焼き窯に、肉や野菜を切る調理台、そして、いくつかの竈。

 それだけでは足りず、マーロウが急ごしらえで作った簡易竈も並んでいる。


 パンが焼ける柔らかい匂い。

 スープから立ち上る湯気に混じるハーブの香り。

 そして、なによりも強烈な、焼けた肉の匂い。


 漂ってくる匂いは村人たちの胃袋を鳴らし、なかには涎を垂らしている少年もいる。


 ナニーと手伝いの女性たち。

 村人たちはその姿に釘付けになっていた。


「村長、全員揃った?」

「後、三名です」


 報告を受けたアレクセイは、今か今かと待ち構えている村人に告げる。


「全員そろってから始めたい。もうしばらくだけ胃袋をおとなしくさせててくれ」


 おあずけを食らった村人たちにとって、それからの数分間は果てしなく長かった――。






   ◇◆◇◆◇◆◇


【後書き】


次回――『なにはともあれ、宴会です!(上)』


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