百五十三話 手料理
風呂場から出て、私服に着替えると台所兼ダイニングには香ばしい匂いが漂っていた。
俺が軽くシャワーを浴びている間に、ベーコンエッグの方は出来上がっていたらしい。
「あ……できたよ」
まず視界に入ったのは、なぜか用意周到にエプロンを着た城ヶ崎だ。
旅先に明らかに不要そうなものだが、城ヶ崎はこの状況を想定していたのだろうか。あり得る。想定できたとして持ってくるのは意外だが。
黒猫のモチーフの刺繍されたものを薄い体に張り付け、城ヶ崎は狭いテーブルに平皿に乗った料理を並べる。テーブルには水の入ったコップとフォークがすでに2人分配置されていた。
「美味そうだな」
素直な感想に、城ヶ崎が見たこともないような照れた笑みを漏らす。相変わらず褒められなれていない。
実際、卵は焦げておらず、程よい具合に固まっているし、ベーコンも香ばしく焼けていて見るだけで食欲をかき立てる。
母親よろしく丸焦げになるパターンも想像していたが、失礼な杞憂だったようだ。
「ふん、まあ料理なんてものはつまるところ化学の実験と同じで、注意深く観察していればおのずとタイミングというものが把握可能なんだよ」
照れ隠しなのか、早口でまくし立てる城ヶ崎。
大仰に言っているが、つまり焦げないように頑張って注意したということなのでそれは素直に偉いと褒めておこう。
「さすがだな。嫁に来てほしい」
「ふふ、……え」
「まぁ、食おうぜ。時間もあまりない」
硬直している城ヶ崎に先んじて椅子に腰掛ける。
城ヶ崎はじわじわと顔が赤くなっていっているが、状況が状況なのでとりあえずエプロンを脱ぐことにしたようだ。
「白飯を炊く時間もないが……そこは仕方ないからな。いただきます」
「いただきます……」
城ヶ崎が対面に座るのを待ち、手を合わせる。
食事前に挨拶をするのは、俺個人としては珍しい方だ。
普段は一人で飯を食べるから挨拶などしない。
日本人としての慣習というより、目の前に料理を作ってくれた人がいるかどうかで変わってくるのだろう、と妙に客観的な分析が頭の中に思い浮かぶ。
「美味いな」
考え事をしていたら手と口が勝手に動いており、やがて語彙力ゼロの感想が呟かれる。
城ヶ崎はまたも「……へ、ふふ」と下手な笑いを漏らし、それを隠すように自分も料理を口に運んだ。
俺はベーコンを呑み込み、味わった後に水で喉を潤す。
「なんか、あれだな」
「あれって?」
「いや、こうして手料理を一緒に食べてると、同棲してるみたいだよな」
「へっ……? うん……同棲……同棲か……」
城ヶ崎は驚いた後、ぶつぶつ呟きつつ、にやけているのか悩んでいるのか想像しているのか表情をさまざまに変化させ、最終的に顔を赤くして頬を膨らませた。
「ねぇ、さっきから何?」
「何が?」
「いやわざとだろう! なんかさらっと嫁とか同棲とか……!」
今日のこいつは表情がコロコロ変わって面白いな、などと思っているのがバレたかと思ったが、若干違うらしい。
どちらにせよ俺が責められるような流れだが、とはいえ俺としてはむしろ至極自然な流れで出たコメントなのだ。
「まぁしかしだな、俺についてきたってことは嫁とか同棲とか、それに近いことはする覚悟で来たとみなされても仕方がないと思わないか?」
そう、俺はそのつもりで城ヶ崎を連れ出したのだ。
もはや高校生とかクラスメイトとかそういう次元ではなく、その先にいると言ってもいい。
今さら恥ずかしがってできないことなど存在しないとも言える。
しかし対して城ヶ崎は覚悟不足だったようで、泡食ってごにょごにょと言い淀んでいる。
「そ、そんな……キ、キスだってまだちゃんと……してない……」
ああ、修学旅行のアレか、と「キス」といえば失敗した記憶しかないのは確かだ。
もちろん、踏む段階はきちんと踏まねばならないと俺も考えている。
なんでも飛ばし飛ばしに先に行けばいいというものではない。
「なら、後でやり直そう。今日でもいいぞ」
「う、うう……積極的すぎる……」
城ヶ崎の耳まで赤くなった顔を見ながら食べるベーコンエッグは美味い。
しかし、積極的すぎるというのは微妙な評価だ。
女子からみれば盛っているように見えるだろうか?
別に盛っているわけではないんだが。
少なくともキスに関して言えば一度挑戦しているわけだから、今さら恥ずかしがる必要もないかと思う。
いや、そんなことよりも大事なのは城ヶ崎の意志だろう。
ふと冷静になり、俺は城ヶ崎に尋ねる。
「積極的なのはイヤか?」
ここでダメだと言われれば仕方がないし、今後の態度を改めるべきだろう。
しかし、城ヶ崎は火照った頬を膨らませながら、
「イヤじゃない、けど……」
そう呟き、急いで水を飲み込んだ。
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