百五十二話 晩餐
エンジンと風を切る音の中で、俺と城ヶ崎はただひたすらに無言だった。
何を話せばいいかもわからなかったし、そもそも話す必要がないように思われた。
心の中は静かだった。
浮かれた気分でもなければ、先のない未来に絶望しているのでもない。
確かに感じられるのは背中越しに掴まられた感触。
この瞬間に城ヶ崎がそばにいるということ。
世界に2人だけになったような閉塞感。
今までの生活からは断絶された別の場所。
そしてそこでは俺がこれから罪を犯し、城ヶ崎はその共犯者となるのだ。
今さら迷いなどなく、取り繕うためのやりとりをする気はさらさら起きなかった。
ヘッドライトが照らした先に、ひと気のない自宅が見えてくる。
17年間過ごしてきて見慣れたはずだが、城ヶ崎を連れているからだろうか、不思議と雰囲気が変わって見える。
原付を停め、城ヶ崎に降りてもらう。
家の横の開きっぱなしのガレージの前に原付を停める。
原付での移動は燃料補給が要るし、足がつく可能性が高いので基本は使わないつもりだ。
だがまだ乗ることになるだろう。
最速で城ヶ崎の母親が気付けば、最寄駅などは先回りされる可能性がある。
多少遠く離れた駅までは原付で行ったほうが安全だ。
城ヶ崎は寒そうに腕をさすりながら、家の玄関口の方をじっと見ていた。
一度勝手に来たことがあるが、正式に招いたのは今日が初めてだ。
「とりあえずついてきてくれ。俺も支度する」
泥棒が来れば容易にこじ開けられそうな頼りない戸の鍵穴に鍵を差し込む。
城ヶ崎邸との落差が酷い狭い玄関には、全部で二足の靴。
親父と俺の靴が一足ずつ。
仕事や学校に使っていない余りが置かれていて、つまりは親父は帰ってきていないということだ。ガレージに車がないことからすでにわかっていたことだが。
「上がっていいぞ」
「……おじゃまします」
以前来た時とは打って変わって、城ヶ崎は遠慮気味だ。
まあ、あの時は玄関で追い返したので、中に入れたわけではないが。
ひとまず城ヶ崎を連れて薄暗い俺の部屋まで入る。
すぐに出ていくつもりなので、あとでリビングの電気をつければ十分だろう。
「適当に──ああ、そこのベッドにでも座っててくれ。リュックはそのへんに」
最初はどこでも適当に待っててくれ、と言おうかとも思ったが、勝手がわからない他人の家でそれは酷な命令な気がした。
俺の部屋は女子を上げるにしては散らかっているし掃除もしていないので正直なところ色々気になる……が、今は非常時だと心の隅に追いやる。
座れるような場所は他にないし、ベッドに腰掛けるのが一番楽だろうと判断した。
「……」
城ヶ崎は言われたとおり、リュックを床に置いてベッドに腰掛けた。
寒さを意識したのか、服は前のデートの時見たのとは随分と雰囲気が違う──淡い色をしたジーンズに柄もののTシャツ、厚い生地のジャケットという少し背伸びしたような格好だ。
クラスメイトの女子が私服姿で自分の部屋におり、自分が寝床にしている場所に腰を落ち着けているというのは妙な気分になる。
状況が違っていればこの部屋でゆっくりするのも悪くなかったが、残念ながら悠長なことはしていられない。
とっととこれからの支度を始めよう。
まずは財布と通帳。
通帳は俺がバイトを始めるにあたって作った口座だ。
今のバイトは現金手渡しだが、そのほとんどが貯金としてこの口座に入れてある。
家を出たら、さっそくその全額を引き出して現金化する。
後から親の権限で口座の凍結などされたら相当痛いし、凍結されずとも出先で都度引き出していればどこで引き出したか履歴が残り、追跡されるおそれがある。
かさばるが、まとめて現金で持っておくのが一番安全だ。
一日当たりの引き出し制限はあるが、回数を分ければ問題はない。二日、三日程度なら誤魔化せるはずだ。
そのほかは、日持ちのする食料と、着替えなどのよくある旅先に持っていく道具を揃えればひとまずOKだろう。
荷物をリュックに詰め込む過程で下着も見られた気がするが、もはやこの程度で恥ずかしいなどとは言ってられない。意識しないようにするしかない。
俺が準備している間、城ヶ崎はぎゅっと縮こまったように大人しくしていた。
「とりあえずの用意はできた。飯食ってくか」
「じ、時間は大丈夫なの?」
ようやく話しかけられてあからさまに安堵の色を見せる城ヶ崎。
目の前のやるべきことばかりに目が行ってしまい、事務的になっていたかもしれない。
「そうだな。多分まだ大丈夫だ」
親父はいつも通りなら、まだ帰らないはずだ。
あと、少なくとも二時間くらいは余裕がある。
ゆえに滞在を一時間程度にとどめておけば安全度は高まるはずだ。
それよりも城ヶ崎の母親の方が怖いが、城ヶ崎に聞く限りもっと遅いか帰らない日も多いらしいのでおそらく問題はない。
どちらにせよ運が悪ければ、すべてご破算だ。
最善は尽くすにせよ、あまり神経質になりすぎても仕方がない。
「それに食えるときに食っといたほうがいい。ついでにシャワーも浴びてくか」
これから先、衣食住の確保が一番の課題だ。
二日、三日は風呂に入れないときもあると覚悟したほうがいいだろう。
服も毎日洗うというわけにはいかない。
女子である城ヶ崎からすれば不満が募るだろうが、それでやっぱりやめたと言われる覚悟もしてあるつもりだ。
城ヶ崎も馬鹿ではない、その程度のことは少なくとも頭では理解しているだろう。感覚の問題となると話は別にしても、だ。
相手にお伺いを立ててどうにかなる問題でもなく、俺としてはあくまで淡々と対処していくほかないのだ。
俺が食材が何があるか確かめようと部屋を出ると、城ヶ崎も後ろからついてきた。
「何か作ろうか?」
「うーん、作るっていうほど何もないかもしれん」
いや、待てよ。
城ヶ崎の手料理が食べられるチャンスか?
ていうか作れるの?
などと考えてもみたが、さすがにこの状況下で浮かれる気はすぐに落ちついた。
冷蔵庫を開けると、そこはやはり殺風景だった。
「卵とベーコンと……しかねぇな」
むしろ食材が二種類も揃っていたことが奇跡に近い。
料理が趣味でもない男の二人暮らしなどこの程度が平均的だろう。知らんけど。
「ベーコンエッグしかない、か」
深刻な顔つきで城ヶ崎が呟く。
それが妙におかしかったので、俺は笑いを堪えながら言った。
「炒めるくらいならできるから、シャワーでも浴びててくれ」
「え、でも」
そこでなぜか城ヶ崎は戸惑うような声を出した。
何かおかしなことを言っただろうか。
「ん? もっと凝った料理がいい?」
「いや、そうじゃなくてだね……」
城ヶ崎は口ごもったように何事か悩み、ややあって、意を決したように俺を見た。
「僕が作っても、いい?」
「……ぉお、いいけど」
その上目遣いは反則だ。
もとより断る理由などない。
俺はどうやら、今の状況を切羽詰まったものと捉え過ぎていたらしい。
この場で城ヶ崎の手料理が食べられるのなら、それに越したことはないではないか。
たとえそれがベーコンエッグであったとしてもだ。いや、ベーコンエッグ美味いけど。
「ふん、君が考えていることなど手を取るようにわかるよ。僕が母に似て料理下手だと思っているんだろう?」
城ヶ崎は照れ隠しか、つらつらとまくし立てるが、その頬は紅潮している。
「まあたしかに初めてだけれどもね、さすがにあんなふうに焦がしたりはしないよ」
「え、初めて?」
「うん。初挑戦」
つまり焼くのが初めてという意味か?
難しめの料理だったらわからんではないが、焼くだけが?
……いや、まあ、うん。そういうこともあるかもしれないな。
うん、ここはいじるようなところでもないだろう。
俺も家庭料理に関しては人のこと言えないし。
「まぁ、頼むわ」
城ヶ崎の頭を撫でる。
自分でも意外に思うほど、その手がすんなりと出た。かつてと同じように。
城ヶ崎は白い顔をじわじわと赤くしながら照れくさそうに頬を緩めている。
そんな城ヶ崎がこの場所にいるのは、本当に妙な気分だ。
いや、些細でも、これこそが欲しいものを手にしたという証なのだろう。
あのまま見送っていれば、この光景はありえなかった。
俺はあらためて感じる。
これでよかったと。
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