百四十九話 来客 その3

 登校、授業、部室、下校。

 何の変わり映えもしないローテーションを過ごしていくうちに、リミットが刻一刻と近づいてくる。


 だが俺は何もできないし、何もしていない。

 呼吸して、ただ動いているだけの肉だ。


 無為に過ぎる日々。

 いや、元々無為だったものが元に戻っただけともいえる。


 だから動揺はない。

 単に気分が最低というだけで、そこから全く変動することはない。


 そう思っていたが、その日心を掻き乱す人物が現れるとは思ってもいなかった。


「かなりの重症みたいね」


 気づけば部室が茜色に染まった頃、入り口の扉付近ですらりとした長髪の女子が俺を見ながら佇んでいた。


「世界の終わりのような顔をしているわよ」


 佐々川麻衣さんは困り顔を浮かべて部室に入ってきた。

 流れるような黒髪が揺れ、女子特有のいい匂いがする。


「柊木先生から聞いたのだけれど、榊くん、授業は出ているけど全部右から左なんですってね。以前のあなたならそんなことならサボタージュを決め込んでいたはずでしょう?

「いや、それは……」

「事情は察するに余りあるけど、その中途半端さがむしろ気になって」

「もう黙っててくれ」


 言った後、自分で自分の発言に遅れて驚いた。


 ここ数日来客が続いてうんざりしていたのか。

 それにしたって俺がこの部室に来なければいい話なのだから、人を悪く言うほどのことではない。


 何でそんな刺々しい言い方になったのか、自分でもわからなかった。


 移動の途中で足を止めた佐々川さんの表情は、静かな湖面のようでまったく動じなかったが、怒りとも悲しみとも取れるような微妙な反応だった。


「! ……すまん。ほんとに今のは悪かった。どうか忘れてほしい」


 何をやってるんだ俺は。

 一人で落ち込むのは勝手だが、わざわざ様子を見に来てくれた人に八つ当たりをするなんて、本当にどうかしている。


 おそるおそる佐々川さんの返事を待つ。

 佐々川さんは控えめに、しかし我慢しきれなくなったように笑い出した。


「驚いたわ。榊くんって心の中では私に対してそんな感じに思っていたのね」

「えっ、いや、違えよ。今のはちょっと疲れてたというか、油断したというか……」


 佐々川さんに黙っててくれなんて普段から思ってるわけじゃない。

 だが、佐々川さんはなお確信を深めたように勝ち誇って言った。


「ほら、油断した、ってそういうことじゃない」

「だからそれも言葉の綾だって」


 何を言ってももはや手遅れな気がする。

 決してそんなことはないのに、きっとたったの一言で佐々川さんの中での印象が決まってしまったのだ。


 今まで何だかんだ上手くやっていたのに、ここへきて最悪のミスだ。


「私の口うるさいところ嫌いだったでしょ」

「いやいや、そんなことは」


 自業自得とはいえ、こんな話になるとは思ってもみなかった。

 佐々川さんはしかし、むしろ楽しそうに頬を緩ませてテンションが上がっている。


「榊くんって、私に対して腫れ物に触れるようだったわよね」

「いや言い方が……」


 もっと慎重に言葉を選んでたとか、関係性を大事にしてたとかあるだろ。

 少なくとも俺はそういうつもりだったんだ。


 だが俺の思いは伝わらず、佐々川さんはついに苦み走った微笑を浮かべた。


「私も、あなたのそんなところが……嫌だったのよ」


 呟いたきり、顔を俯ける佐々川さん。

 窓から差し込む陽光が強まり、逆に影が濃くなった。


 なぜこんな「実は嫌いでした」暴露大会などしているのか。

 お互いに傷つけ合うことにしかならず、何の生産性もない。


 それに俺はこれっぽっちもそんなこと思ってない。

 どころか最初は好きだったりしたのだ。

 学校一の美少女に何かと話しかけられて好きにならない奴の方がおかしいに決まっている。


 だがそういえば、なぜそこから俺は佐々川さんと何の進展も考えなかったのか。


「私に”そう”だった理由はわかるわ」

 

 いや、そんなことは結局、決まりきったことだった。

 答えらしきものを、続けて佐々川さんが打ち明けた。


「透子ちゃんと知り合ったからでしょう。彼女に惹かれたから、私を遠ざけたんでしょう。私と彼女は正反対だから。片方に近づけば、もう片方からは離れなければならない。その逆だって……」


 細面を沈めたまま、佐々川さんの嗚咽が交じった声が響く。

 だがそれだけは否定しなければならなかった。


「そんなわかったような仕組みで片付けるな。俺は、あんたとは関係なく、あいつに惹かれたんだ」


 佐々川さんはなお一層悲痛に顔を歪め、それを隠すように目を逸らした。

 そして踵を返し、部室の扉の前まで歩いた。どこかおぼつかない足取りで。


 最後にこちらに振り返る。


「そこまでのものなら、なんであなたはまだこんなところにいるの?」


 恨み言にも似た言葉を残して、佐々川さんは部室から出て行った。


 気は一層沈むばかりだった。

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