百四十八話 来客 その2

 この部室は決して人が集まって賑わうような場所ではなかった。

 いつも三人の部員が暇を食い潰し、その三人でさえ必ずしも全員が揃うことはなかった。


 そもそもこの部の存在を知っているのがごく一部。

 だが、少なくとも数人が訪れる程度には彼女の転校が惜しまれているということだろう。


 また次の日、部室の扉を叩く者があった。


「よぉ、サカキ先輩」


 目つきの悪い金髪のおかっぱ娘、鹿島真夏がそこにいた。

 この場所で見るのは珍しい顔だ。


 鹿島は部室の扉を閉め、俺の前に近づくと手に摘んでいたペットボトルを差し出した。


「やるよ」


 柑橘系の炭酸飲料だ。

 鹿島らしからぬ気遣いに、いつもなら笑うなりしたのだろうが、どうにも表情筋が動く気がしなかった。


「俺が飲んでるの覚えててくれたんだな」

「バッ……ちげェよ! たまたまだっつーの」


 鹿島は慌てて否定し、手をバタバタと振る。

 そんなに振られると炭酸が爆発してしまうからやめてほしいんだが。


「ありがとな」

「……ん」


 飲み物を受け取り、ひとまず礼を言う。

 開栓するのは後にしておこう。

 

「珍しいな、一人で。佐々川さんは?」

「アタシだけだよ」


 鹿島はパイプ椅子の一つを取って、俺の横に広げてドサっと腰掛けた。

 わずかな間を置き、鹿島の横顔はどこか緊張しているように見える。


「なんだ、お前も話したいことでもあんのか。一方的に」

「は? んー、まぁな」


 明智、武者小路ときて三人目だ。もういい加減わかってきた。

 聞いてやらないとしばらく無言の間が続きそうだったので、俺から促すと鹿島は言葉を探しながら話を始めた。


「中学んとき、仲良かった友達がいたんだけどよ」


 そうか。


「アケミっていうんだけどな。北高に行ってる」


 アケミちゃんね。

 なんか、昔聞いたことがあるようなないような名前だな。


「前も話したっけか?」

「ああ、なんとなく聞き覚えはあるわ」


 とはいえもはや記憶の彼方だし、完璧に思い出したところでおそらく大した情報は持っていない。

 だが鹿島はある程度こちらがわかっている前提で続きを始める。


「麻衣先輩と会う前の頃はな、一番の親友だと思ってたし、学校違ってもメールやって、時間合わせて会って、そうやって一生続いてくもんだと思ってた」


 思ってた、ということは今は違うということだろう。

 現に、その先は大方の予想通りだった。


「でも、生徒会に入って、忙しくなってきたら、会えねェし、メールすらだんだんしなくなったし、もう半年くらいは会ってねェ」


 そんなものだ。

 たとえ物理的にはすぐに会える距離にいたとしても、環境が別になってしまえば簡単にそうなる。

 鹿島とアケミちゃんとやらの友情が偽物だったとか、そんなことはなく、これは単に仕方がないことなのだ。


「でもよ、今でも、アケミともし街中で顔合わせたら、なんつーか、喜べると思うんだよ」


 鹿島は穏やかな微笑を浮かべて言った。

 そう言い切れる関係はそれはそれで良いものなのだろう。


 しかし、なんでこんな話をいきなり聞かされてるんだ。

 なんて、そんなことはさすがに俺もわかる。


 多分、鹿島なりに俺の現状を知って、色々気遣ってくれているのだ。


 可愛い後輩にそんなことまでされて、そんな気分じゃねえから帰ってくれとはさすがに言えない。


 かといって、素直にありがとうなんて言う気にもなれなかった。


「なんだ、慰めてくれてんのか」

「ちげェよ! 今の話は。ただの雑談っていうか……」


 否定するも、照れ隠しのようにしか見えない。

 鹿島は顔を赤くしたまま、びっくりするくらい小さな声で呟く。


「慰めてほしいんだったら......アタシに言えよ」

「え、ああ」


 どう答えていいかわからず返事が中途半端になってしまった。


「ッ、あんたにはシャンとしてもらわねェと困るからな」


 鹿島は突然立ち上がり、少し歩いて俺の背後をとった。


「?」


 一瞬なにか暴力的なことをされるのかと思ったが、シャンプーのような匂いとともに、鹿島の手のひらがそっと頬に触れる。

 背後からなのでよく見えないが、背中に制服の当たるわずかな感触。


 思ったよりも耳に近い位置で、吐息の交じった囁き声がする。


「アタシは、あんたのこと……その……」

 

 続きは聞こえず、振り返ろうかと迷っていると、突然、勢い良く背中を叩かれた。


「いって、なんだよ」


 一体なんなんだと振り返ると、鹿島の不機嫌そうな表情が待ち受ける。

 鹿島は赤い顔のまま、ぷいと横を向いて吐き捨てるように言った。


「シケた顔してんじゃねェよ。じゃあな、先輩」


 俺が何か言うのを待たず、鹿島は足早に部室を出て行った。

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