八話 確執

 城ヶ崎じょうがさきが玄関の奥へ姿を消した後、生徒たちの騒がしさが戻ってきた。


「クレームって、何のことだと思う?」


 佐々川ささがわさんはおとがいに手をやり、隣に突っ立った俺に意見を求めた。


「わからん」


 申し訳ないが率直な感想しか湧いてこない。

 ミスに怒っているのは言葉から推測できるけど。


 ほかには始業式からクレーマーに怒られる職員室を想像してちょっと面白いなとか、そういうカスみたいな感想だけだ。


「クラス分けに納得がいかないのかしら」


 たしかに、クラス表を見ていたところからも、クレームがあるとすればクラス分けくらいだろう。


 しかし、A組、文系選抜クラスに抜擢された城ヶ崎が?


 順当に考えれば不採用の意見だろう。

 選抜クラスに入りたくても入れない人間は少なくないはずだ。


 短くとも一年もの間、他クラスへの優越感に浸れるだろうし。

 いや、ここは競争の激しい環境で切磋琢磨できるという綺麗な言い方をしておくべきか。どちらにせよ、A組に納得がいかないのはイレギュラーな態度といえる。


 だが、少ない接触機会でも、わかるものはある。

 城ヶ崎は間違いなく奇人変人の類いだ。気難しい謎のこだわりがあって、選抜クラスに入りたくないという可能性もある。


 だが結局、それも考えにくい理由がある。


「選抜クラスって、一年の時点で知らされるんだよね?」

「ええ。終業式の日のホームルームで、成績と一緒に知らされたわ」


 確認の意味を込めて訊ねると、佐々川さんはまだ考えている様子で頷いた。どうやら同じことを考えているらしい。


「その時点で断るのもあり?」

「できると思う。強制ではないはず。だから今更納得できないというのは、なにか事情があるとしか」


 そう言って佐々川さんはさらに思索を深めたようだった。


 何かのっぴきならぬ事情があるのだろう、と考えてあげる優しさに、しかし簡単に同調することはできない。


 事情というと聞こえはいいが、単なる我儘の可能性も否定できないからだ。


「つまり、通知の時点では断る気がなかったけど、今になって断る理由ができたってことだな」


 一年の終業式の時点でははっきりせず、こうしてクラス表が張り出されて初めて判明することがある。

 要するに、クラスのメンバー構成だ。


「今になって……それって」


 結論を言うべきか一瞬迷ったが、まぁいい。

 俺が気遣っても仕方ない。杞憂でしょ、多分。


「A組にすげえ一緒になりたくない人がいる、とか」

「……」


 ああ、やっぱり駄目だ。杞憂じゃなかった。


 佐々川さんがすごく悲しそうな顔してる。人を傷つけないことだけが取り柄だったのに。嘘です。


 だがその思い詰めたような表情はこっちまでつらくなるからやめてほしい。


「誰もそれが佐々川さんとは言ってないんだけど」

「いえ、きっと私だわ」


 強迫観念じみて断定し、浅く唇を噛む佐々川さん。

 さっきから気になっていたが、城ヶ崎のこととなると途端に弱気になるらしい。


 あれか、佐々川さん的にはクラス皆とお友達になるのが当たり前だったけど、城ヶ崎があんなんだから友達になれずに気に病んでるとかかな。ないな。


「まあ多分違うって」


 思ってもない気休めの言葉を掛けるくらいしかできることはない。

 二人の関係を知らんし、深堀りするのも馬鹿らしい。


 それに、佐々川さんが原因だとすると不自然な点もある。


 我が校には試験ごとに成績上位三十名を張り紙で公表する文化がある。その常連メンバーである佐々川さんが成績優秀なのは周知の事実だ。


 選抜クラスを断らなければ、文理選択の二択はあれど、佐々川さんと同じクラスになる可能性はかなり高くなる。誰にでも予測できる結果だ。


 だいたい、前提として城ヶ崎がクラス構成に文句があるかどうかもはっきりしていない。ただ暇つぶしに考えていただけで、そう真剣に捉えるものじゃないはずだ。


 佐々川さんとの間に、しばらく無言の時間が続く。沈黙は気にならないけど、相手が佐々川さんとなれば話は別だ。それって彼女が好きってことコト? まさか。


 どうしたものか悩んでいると、突如として、玄関門に備え付けのスピーカーから校内放送が鳴り響いた。


雁坂かりさか先生、至急職員室までお願いします。繰り返します……』


 ノイズの酷いぶつ切りの直後、ホワイトボード横で立っていたジャージ姿の女性教師が間伸びした口調で呟いた。


「ありゃ、なんかやらかしたっけなー」


 言葉のわりに大した焦燥感もない感じだ。元々マイペースな人なのかもしれない。そんな印象を抱いた。


「先生ちょっくら行ってくるね」


 話し込んでいた生徒たちの名残惜しそうな声に送られ、雁坂先生は手を振りながら校舎へ戻って行った。


「あいつ、本当になんかやりやがったのか」


 雁坂先生の呼び出しの詳細は不明だが、タイミングからして関連付けずにはいられない。


 城ヶ崎が職員室に辿り着いて、十数分といったところか。


 春先から慌ただしくなる職員室に思いを馳せると、実に気の毒な気持ちになった。


 佐々川さんは変わらず思い悩んだ様子だった。


 ……それから約二十分後、クラス表は差し替えられた。


 A組、および C組、D組の構成に変更があった。


 より具体的に言うと。

 俺と佐々川さんが確認した範囲で、「城ヶ崎じょうがさき透子とうこ」と「鷹宮たかみやりん」の二名が他のクラスに変更されていた。


 そして「城ヶ崎透子」の名は、「さかきかえで」の真下にしれっと差し込まれていた。

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