二章 新学年

六話 再会

 高校は友達を作る場所ではない。

 勉強をするための場所でもない。

 高卒、あるいは大卒という資格を得るためだけの場所なのだ。


 格言っぽくクソゴミみたいな発言をすると朝から気分が最悪だ。周囲に誰もいないおかげで、誰かを傷つけることはない。親父は朝早く仕事に出て行った。


 使用期限が二年を切った制服を羽織り、俺は原付にまたがった。申請すれば原付登校も可能なのだ。


 県立明智高校は海に近く、緩やかな坂を登った丘の上にある。

 ここらでは一番生徒数が多い高校だ。

 

 立地条件や偏差値的な要素が揃っているために、血気盛んな輩からおとなしい根暗まで種々雑多な生徒が集まる。ちなみに、そのおとなしい根暗の筆頭は何を隠そう俺である。


 標本数が多ければ当然、俺のような下位層の人間も浮かび上がってくる。どこにでも格差は存在するのだ。

 まぁ俺の場合、構造的な格差とかじゃなくて大概自分のせいなんだけど。


 家を出て、ものの数分で高校へ辿り着く。桜舞い散る校門が、春の訪れを知らせる……なんてことはない。


 明智高校に根を張る桜の木は、今年も綺麗には咲いてくれない。

 人間様の情緒の都合なぞどこ吹く風で、とっくに葉桜と化していた。温暖化のせいだと誰かが嘆いていた。


 それでも、今日の日の生徒たちは皆浮足立った様子で、騒がしげな群衆を校舎玄関前に築いていた。


「自分のクラスを確認したら教室に向かってください」


 珍しく屋外に出張してきたホワイトボードの前に、教師と二名の生徒。人が来るたび、決まった文句を繰り返している。おそらく生徒の方は、前年度の生徒会の連中だろう。となると同級生の確率が高く、あまり関わりたくはない。


 俺は校門から原付を押して、とりあえず所定の場所に停めた。教師陣と同じ駐輪場だ。誰かのかっちょいいバイクの隣がいつもの定位置。


 ホワイトボードに張り出されたクラス分け表を目視で確認する。勿論出来るだけ遠くからだ。

 俺の視力はマサイ族並とは行かずとも、ガラケー世代では優秀な部類に入る。まぁガラケー持ってないけど。逆に視力以外誇れる長所がない。


 俺は遠くのクラス表をじっと眺める……


 ふむ、わからん。視力さえも衰えているようだ。長所、知らぬ間になくなっていた。

 さらに悪いことに、その時、立ち尽くす俺と、生徒会の一人の目が合ってしまった。


「おはよう。さかきくん」


 悪いことは重なるものだ。堂々たる足取りで群衆から抜け出てきたのは、一応知り合いの女子生徒だった。


 名前を佐々川ささがわ麻衣まいさんという。

 長い黒髪を下げた武道やってそうな美人。実際に空手をやっており、ポニーテールとか似合いそうである。切れ長の瞳は凛々しく、多分俺はこの人に睨まれると心臓がきゅっとなってしまうだろう。


「おはようございます」

「敬語じゃなくていいのに」


 バイト以外で人と話すのが久しぶりすぎて、多少かしこまってしまった。

 だが敬語ないし丁寧語とは、心の距離を表すに適した表現手法だ。同級生であろうと、自分と遠い存在である佐々川さんに対して敬語を使うのは、何も間違っちゃいない。さっきのはあれで正しい。


 そもそも心の距離が遠いこと自体悪いことじゃない。近ければいいという発想自体ナンセンスだ。人それぞれに最適の距離感があり、敬語を使う間柄でも良好な関係を築くことはできるはずなのだ。俺は築いたことないけど。


 一瞬で心の余裕を失った俺は、薄っぺらい愛想笑いに徹することにした。


「あー、なんか久しぶりだからね」

「そう? 二月頃話したと思うけれど」


 記憶にない。というか記憶から抹消したつもりだった。

 俺は佐々川さんと話すのが苦手なのだ。とにかく誰と話すのも苦手だし生きるのも苦手だ。苦手なことは忘れるに限る。


「生徒会の仕事はいいの?」

「ええ。あんなの立ってるだけだから。先生も何も言わないわ」


 いたずらっぽく冗談めいた口調の佐々川さん、真面目な印象とギャップがあって良いと思います。


 佐々川さんがそう言うのなら、多分問題はないのだろう。というか絶対間違いない。全部信じる。我ながら将来詐欺とかに引っかかりそうだな。

 さて、沈黙が生じる前に、この場面に適した典型的な話題を取り挙げる。


「佐々川さんは何組だった?」


 同じクラスじゃありませんようにとの思いを込めて言った。


「A組よ。もともと知っていたけれどね」


 佐々川さんの素敵な笑顔が眩しくて泣きそうになる。


「そうなの?」

「選抜クラスの人は事前に知らされてるから」

「へー。A組って選抜なんだ」


 全然知らなかった。そもそも選抜クラスという制度を知らなかった。字面的に成績上位者だけが選ばれるエリートクラスということだろう。


 なにが同じクラスじゃありませんように、だ。元々あり得ない可能性を心配するとか、滑稽を通り越してもはや哀れである。惨めすぎる。


「榊くんは?」

「いや、まだ見てなくて。代わりに見てきてくれない?」


 軽い気持ちで言うと、佐々川さんは真顔になった。


「なんで? 自分で見ればいいじゃない」

「……ですね」


 人混みが嫌いすぎて、蕁麻疹が出るんです。

 と、嘘を付くわけにもいかず、俺は不承不承にホワイトボードへ近付いた。

 佐々川さんが怪訝そうな顔でついてくる。人混みの背後を取るまで近くなれば、さすがに判読できる。


 さかきかえで……榊楓……、あった。二年D組だ。

 さすが、読みづらく書きづらい名前だけあって、目立ちやすい二文字である。


 榊なのか楓なのか、植物の種類をはっきりしてほしいと名付け親のおじいちゃんに文句を言いたいところだ。上下に並ぶクラスメイトの名前は、あえて見ないようにした。


 佐々川さんの話で思い出したが、A〜E組が文系、F〜J組が理系に分類されている。ということは、一年生のときの俺は文系を希望したようだ。すっかり忘れていた。

 文系のほうが楽そうだし、女子も多いから賢い判断といえる。どうでもいいけど。


「あった。D組ね。ほら、あそこ」


 文系選抜クラスの佐々川さんが、ようやく俺の名前を見つけて、肩を叩いて教えてくれた。

 既に見つけていたのでリアクションに困り、俺は愛想笑いを浮かべて視線を横にスライドさせる。


 そのとき、一人の女子生徒が目に止まった。


「あの人」


 おさげの真面目そうな横顔に見覚えはない。ただ、きゅっと拳を握りしめ、微かに肩を震わせる佇まいは、なにやらただならぬようにも見えた。


鷹宮たかみやさんね。前同じクラス」


 本人に聞こえないようにした佐々川さんの囁き声が耳をこそばゆくする。

 公衆の面前でどきっとはしない。後で思い出してニヤニヤするだけだ。気色悪いな。


「感動してるってわけじゃないよね」


 その時、今にも涙をこぼしそうな鷹宮さんの視線が、こちらを向いた。

 大きく目を見開き、やがて振り切るように踵を返した。涙の粒が散る錯覚がした。


「どうしたのかしら、鷹宮さん」


 涙か。

 校舎玄関の前で人が泣くイベントといえば、入学試験の合格発表と卒業式くらいだろう。

 涙を流すことはストレスを低下させる効果があると聞く。泣きたいならどんどん泣けばいいんじゃないだろうか。俺くん最低だな。


 たかがクラス分けに感動するのも悲しくて涙するのも、きっと友達の存在があってこそだと思う。

 それか、よほど嫌なヤツと同じにでもなったか。


「仲良いの?」

「そうね。世間話をするくらいには」


 なんでもないことかのように、佐々川さんは言う。そういう広く浅い人間関係を築く力もありふれたものではないと個人的には思う。


「?」


 立ち去ったと思った鷹宮さんはこちらに背を向け、誰かと言葉を交わしているようだった。背が低いのか、話し相手の顔は見えない。


 鷹宮さんがお辞儀をすると、今度こそどこかへ立ち去った。

 視線はクラス表にギリギリまで注がれていた。まるで、間違いがないか何度も確かめているように。


 そこまで注視されると、無関係な自分でさえクラス表が気になってくる。


「……あ」


 思わず声が漏れた。


「どうしたの?」


 こちらを覗き込んだ佐々川さんも、俺の視線が向かう先に目を見やる。


 文系選抜クラス、A組に並んだ名前の数々。

 その中央よりやや上に、「城ヶ崎じょうがさき透子とうこ」という文字列を見つけた。


 初めて見たはずの名前だというのに、予感めいた何かが脳裏をよぎる。


 そして、そのホワイトボードを怪訝な表情で見上げていたかと思うと、人混みを抜けて向かってくる人影があった。


 影が俯きがちな顔が上がる。

 周囲の喧騒が凪のように静まった気がした。


「城ヶ崎さん」


 佐々川さんが、ひどく声を詰まらせたように重く、その名を呼ぶ。


 あの夜に出会った、シロサキがそこにいた。

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