二話 シロサキ
「なんだ、小学生か」
がっかりした俺の声に、その影はぼんやりと振り返った。
「……、……」
ぱくぱくと何事かを呟こうとして、上手く声が出せないようだった。
影の正体は身長百五十センチもないくらいの、背の低い女。
本当に小学生なら不審者事案どころか警察に連れていくべきだが、格好で判別できた。
着ているのは明智高校、俺の通う普通科高校の冬制服だ。それ以外の表情などは、暗くてよくわからない。
「……何?」
か細い声が、白い息とともにようやく返ってきた。多分に言いたいことがあるが、上手く発声できないのでギリギリまで振り絞った「何」だった。
「制服で海水浴か。物好きだな」
上級生の可能性もあったが、背の低さを理由に偏見で同級生とみなした。なんなら、中学生の妹が勝手に姉の制服を着たという可能性まで考えた。
「は?」
彼女はきっと闇の中で全力で訝しんでいたはずだ。たった一文字に表れていた。そしてその一言で、ようやく声のチューニングが終わったらしい。
「僕が海水浴を満喫しているように見えるのか?」
ほう、女で一人称が僕とは珍しい。女子の一人称は、ワタシ・アタシ・アーシ・アタイ・ウチ・ワッチのどれかになることが多いと聞く。死ぬほどどうだっていいのだが。
それより俺はもっと重要なことに気が付いた。
彼女は足に何も履いていなかったのである。つまりは裸足で、海水浴説が補強される……というわけではなく、何やらのっぴきならない事情があるようだった。
「海水浴じゃなかったらなおさら馬鹿ってことになるけど」
言い返すと、彼女が鼻で笑ったような気がした。
というか間違いなく、皮肉めいた嫌な笑みを浮かべていたと思う。
「ふん。まぁ、否定はできないかもしれないね」
弱々しい声にやがて力がこもりだした。
「もっとも、君も馬鹿だろうから君には言われたくないんだけれど」
「いきなり馬鹿って決めつけるな。俺のどこが馬鹿だというんだ」
曲がりなりにも心配して声をかけた相手にひどい仕打ちである。
まぁ、本当に心配するのなら、強引でも暖かいところへ連れ去るべきなのだろうが。
おもむろに、女はへし折れそうな細い腕を上げ、こちらを指差した。
「この時間に海辺を彷徨いている。加点一」
それはお前もだろうが。
「加点って何の」
「さあね。高ければ高いほど馬鹿ということだ」
大体予想はついていたが、この子はだいぶいい性格だということがはっきりわかってきた。
「胸ポケットに剥き出しの煙草とライター。加点三」
「ポイント高いな。わからんでもないが」
当然、未成年者の喫煙は法律で禁止されている。
その規制がパターナリズムによる余計なお節介の産物だろうが、駄目なものを駄目と言われて怒るほど理不尽な性格はしていない。
「顔がいかつい。加点二」
「それは理不尽すぎる。見た目で判断するのやめてもらっていいですか」
人を見た目で判断してはいけませんと学校で習わなかったのだろうか。だいたい、この暗闇では彼女からも俺の顔はよく見えないはずだが。随分夜目がきくものだ。
俺の不服は自分でももっともだと思ったのだが、
「はい加点一。君は本当に馬鹿だね。人を見た目で判断しないで何で判断するんだ? テレパシーか? エスパーなのか?」
地雷を踏んだらしく、早口が返ってきた。
人は見た目で判断すべきである。
ひどい言説だが、彼女の中では揺らがぬ正論のようだ。社会では常に人を見た目で判断するなと教えられてきたが、彼女の思想は真逆を行くらしい。
俺は少しあっけに取られ、目を瞬いた。波音とともに沈黙が漂った。
「……ふん、どうでもいい話をしてしまったね」
彼女の呟きは唐突に冷めた様子で、いや、厳密には元々冷めていたのだろうが、より温度を下げたようだった。
「で、君は何用なんだ?」
強い警戒心が声に表れている。
「人攫い? 殺人鬼? 同級生が犯罪者だとは思いたくないけど」
学年を教えた覚えはないにも関わらず、同級生だと断定したのは引っかかる。
が、その時はあえて気にしないようにして、適当に言葉を返した。
「犯罪者はともかく、人攫いとか殺人鬼なんていねぇだろ。んな田舎に」
ここは杜王町でもゴッサムシティでもない。俺の知る限り大した犯罪はここ数年起きていないはずだ。
「いるよ」
だが彼女は妙に確信めいて言葉を放った。無論、可能性としてはゼロじゃないが。
自分の住む街に凶悪な犯罪者がいる。正直あまり考えたことはない。
俺がのうのうと深夜徘徊できているのも、偶然凶悪犯に出くわしていないおかげなのかもしれない。そう考えると、明日からは家で大人しくしていようと思った。
俺はこの日を境に心を改めた……なんてことはなかったが。
なにせ俺は落ちこぼれで、反省する能力に欠けていた。
犯罪者といえば俺も犯罪者なのだろうし。いや、この場合は親が処罰されるんだったか。
「煙草吸いに来ただけだよ。お前も吸うか?」
学生服の胸ポケットから紙煙草を取り出し、一本差し出した。その日は二本しか持ち合わせがなかったので、我ながらかなり気前が良い行いだと確信していた。例えるなら、雪見だいふくを一つあげるに等しい気前の良さ。
「ふん」
彼女はそれを、大して有り難くなさそうに(そりゃそうだろう)、手で掴んだ。暗闇のせいで落っことすこともなく、危なげなく手に渡った。
「火は?」
意外にも、彼女は前のめりになって火をせがんだ。思わぬ乗り気に俺は面食らった。
俺は手袋を外し、かじかむ手でライターを点火しようとする。
しかし愛用百均ライターは無味乾燥な音を立てるだけで、なかなか火を灯してくれなかった。
「いかんわ。駄目だ。風が邪魔だな。遮蔽物のあるところにいかないと」
だいたいここは寒すぎる。本格的な冬じゃなかったからよかったものの、お喋りの場には最悪だ。お喋りを始めたのは俺だけど。
「風で吸えない場所にわざわざ来たの?」
それから彼女は口をつぐんだ。
続きが風で聴こえなかっただけかもしれない。
「戻ろうぜ。吸えるとこ知ってるから」
俺が堤防の向こう側へ歩き出すと、しばらくして後ろからついてくる砂の音だけが聴こえた。
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