集合
……………………
──集合
60階層に拠点が設置できるまで3週間かかった。
というのも、50階層以降はダンジョンがダンジョンとして構築したフロアであり、エリアボスを倒しても正常化はしないからだ。正常化したら土に埋まる。
工兵はダンジョンの再構成されなくなった壁を爆破して道を作り、階段を広げ、機材をローダーで運搬した。それで時間がかかった。それに加えて、60階層には精神汚染の可能性もあり、厳重な調査の末に設置が決められていた。
通信機に割り込むノイズ──電波ジャックにも対応した強固な通信設備を設置するのにも時間がかかった。電源車を移動させ、より広範囲に電波が、ノイズを除去した電波が届くようにしなければならなかった。
そのため3週間という長い時間がかかった。
そして、拠点完成前には第777統合特殊任務部隊特別情報小隊アルファ・セルの面子は揃っていた。全員が実家から戻ってきていた。
「それでは、各自戦闘前戦闘適応調整を受けてから作戦準備に入れ」
「了解」
次の階層でも何に出くわすか分からない。引き金は引けるようにしておきたい。
どんな相手に対してでも。敵であればなんであろうとも。
戦場で的に向けて狙って引き金が引けないのはその兵士の命のみならず、他の兵士の命も危険にさらす行為だ。そして、化け物どもは様々な工夫をして、的矢たちが引き金を引くのを阻もうとするものなのだ。
人間の体に乗り移ったゴースト、レイス。人の形をした化け物キメラ。そして、ダンジョンによって狂わされたダンジョンカルトたち。
そういうものの存在が引き金を引くことを躊躇わせる。
だが、引き金を引かなければ、被害は拡大するだけだ。
《戦闘前戦闘適応調整はしっかり受けるんだね。戦闘後戦闘適応調整は嫌がるのに》
分かるだろう。戦闘前戦闘適応調整はこれから遠足に行く楽しい気分にさせてくれる。戦闘後戦闘適応調整は始末書を書かされている気分になる。
《そういうものか。だけど、両方ちゃんと受けないと心が壊れちゃうのが最近の軍人というわけだね》
昔から人間はそうだったさ。アベルを殺したカインにだってカウンセリングは必要だっただろう。刑務所だって今や刑罰施設ではなく、更生施設だ。刑務官よりもカウンセラーの方が数が多いんじゃないか。
《君はまるで自分の行いを犯罪のように語っているって気づいている?》
汝殺すことなかれ。ただし、化け物は除く。
《汝殺すことなかれ。ただし、異教徒も除く。素敵な倫理の教科書だ。倫理の礎には宗教がある。それは原初の時代に神の名を受けた天使たちが授けたものか。はたまたそういう妄想を抱いた男の描いたものか》
お前ならば答えを知っているんじゃないか?
《どうだろうね。ボクは昔はあまり地上に興味はなかったんだ。なんというか、ぱっとしなくて、さ。地獄はエキサイトしていた。領土争い。権力闘争。戦争に次ぐ戦争。退屈はしなかったね》
どうして預言者たちが宗教を興したか悪魔すら知らないとはな。
世も末だと的矢は言う。
「的矢大尉。戦闘前戦闘適応調整を」
「ああ」
軍の看護師が呼ぶのに、的矢が施設に向かう。
軍医は早速的矢の脳みそを覗き込み、処方する薬剤を決めていく。
遠足前の予防注射だ。
「的矢大尉。戦闘後戦闘適応調整よりもこちらには積極的ですね」
「まあな。これから山ほど化け物を殺しに行けるんだ。そのためならば、甘んじて脳みその中を覗かれるさ」
軍医が尋ねるのに的矢がそう言って肩をすくめた。
「殺しが快楽になっていますか?」
「嘘は吐けないってことは分かっている。正直に言おう。楽しい。とても楽しい。化け物を殺すのも、ダンジョンカルトを殺すのも、興奮する。病みつきだ」
「……冗談ではないようですね」
「あんたは俺の頭を覗き込んでいるんだ。分かるだろう。俺が何を楽しみ、何を苦痛に思っているかぐらいは。俺は殺しを楽しみ、平和を苦痛に感じる。できれば一生ダンジョンの中で殺し続けたい」
ここまで率直に的矢が己の欲望を吐露するのは初めてだった。
「的矢大尉。大変いいにくいのですが、それはPTSDの症状です。軍人であるあなたならばご存じでしょう。平和な状況が受け入れられず、心身に支障をきたす兵士たち。あれは軍がもっとも力を入れて台頭しているPTSD──心的外傷後ストレス障害です」
「……ああ。そうじゃないかという気はしていた」
平和が受け入れられない。戦場でしか生きられない。戦場という環境にあまりにも適応してしまった兵士たち。彼らはPTSDという軍が嫌う4つのアルファベットを冠した精神疾患を患っている。
的矢も自分がそのような病気の兆候を示していることを理解していた。市ヶ谷地下ダンジョンで衝撃を受け、それからダンジョンという環境に何度も足を踏み入れる度に、沼に嵌り込んでいくような感触を覚えていた。
「危険な兆候です。戦争は永遠には続きません。戦争が永遠に続いたとしても、あなたはいずれ定年を迎え、退役する。その時、新しい人生になじめなければ、自殺のリスクすらあります」
「俺が自殺するように見えるのか?」
「今はそうでないかもしれません。ですが、リスクは否定できません。あなたは事実、自分でPTSDの兆候があることを認識しているのでしょう?」
「なら、どうするんだ。何も感じなくなるまで、脳死するまで、頭に薬を叩き込むのか。それぐらいならばダンジョンで化け物を道ずれにして死んだ方がマシだ」
的矢がそう吐き捨てる。
「カウンセリングの回数を増やしましょう。適切な精神的ケアを受ければ、回復は可能です。自殺のリスクも押さえられます。今はただ治療を受けてください」
「カウンセリング、カウンセリング、カウンセリング。精神科医の言うことは毎回同じだ。まるで話を聞きさえすれば狂人が正気に戻るかのように言う。だが、言っておくが俺は確かにPTSDかもしれないが、正気だ」
「誰も狂っているとは言っていません」
「では、どうして何度もカウンセリングを要求する。俺がラルを見ているからか? あんたらがラルを見ることができないからか? 俺がラルと会話しているからか? あんたらがラルと会話できないからか?」
的矢はラルヴァンダードを見る。彼女は精神科医のデスクの上に座り足をぶらぶらと遊ばせて、にやりと笑っていた。
「この件はあなたに憑りついた悪魔とは関係ありません。あなたの正気は確かです。疑ってなどいません。ただ、PTSDは治療しなければならず、治療のためにはカウンセリングが必要なのです。分かってください、大尉」
「すまない、先生。分かっている。分かっているが、今は忙しい。戦闘前戦闘適応調整と戦闘後戦闘適応調整はちゃんと受けると約束する。それでいいだろう?」
「いいえ。それだけでは不十分です。もっとカウンセリングを。投薬は最小限に収めます。あなたが投薬を拒否すると仰られるならば」
「言葉だけで俺のこの感情をどうにかできるのか?」
「あなた方が任務に全力で当たっているように、我々もあなた方をサポートするのに全力を上げているのです。信頼してください」
的矢は軍医の言葉にため息を吐いた。
「……分かった。暇があればカウンセリングは受ける。時間的余裕があれば」
「是非ともそうしてください」
「ああ」
だが、正直的矢は軍医の言葉などどうでもよかった。
……………………
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます