北上海斗
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──北上海斗
「しかし、これは間違っている。分かるだろう? あの市ヶ谷地下ダンジョンで一時は行動を共にしたお前ならば、これが間違っているってことぐらい」
北上の言わんとすることが、的矢には分からなわけではなかった。
市ヶ谷地下ダンジョンの上層を目指した北上の部隊はダンジョンカルトに襲われ、将兵と背広組は発狂し、護衛のために渡された銃で自殺したのだ。北上ひとりだけが不屈の精神で正気を維持し続け、市ヶ谷地下ダンジョンの上層に到達した。
市ヶ谷地下ダンジョンの上層では核戦争を想定した防護隔壁が下りており、外部からの救援部隊は突入できずにいた。
北上は内側からロックを解除し、救援部隊は地獄を目にした。
北上も下士官から将校になった男だ。その点では的矢と似ている。年齢は北上と的矢は同じくらいだが、昇進試験に合格したのが早かったのが的矢なので、的矢の方が階級は上だ。だが、日本情報軍とはいくつかのヒエラルキーがあり、将官まで昇進するエリート組──恐らくは羽地大佐はこれだ──と、情報軍大学校を出たものの大佐止まりの昇進ストップ組、そして情報軍大学校を出ていない大尉止まりの尉官組に別れる。
それから昇進試験を受けずに曹長、軍曹の地位で退役する曹組。
軍隊というのは定年が普通の会社や組織と比べても比較的早い。今はナノテクでいつまでも若々しいので、いつまでも働けというのが酷な日本国の情勢だったが、軍隊は体が資本の職業だ。老人は去るのみだ。
的矢も北上も、もう情報軍大学校に入るには歳を取りすぎている。このまま前線任務を続け、55歳で定年を迎えたら、民間軍事企業に就職するか、あるいは早めの老後を楽しむかだ。ただ、老後を楽しむには年金の受給資格の年齢が、ナノテクによる長寿化で延長されたので、貯蓄を切り崩しての生活になる。
それはそうと市ヶ谷地下ダンジョンだ。
救援部隊そこに地獄を見た。
死体の山が、バラバラの死体が、発狂して自殺した死体が、あちこちに散らばっていたのだ。彼らはまずは上層の死体を回収するところから始めようとした。
そこで北上が待ったをかけた。
「下に潜っている部隊がいる。彼らを助けてやってくれ」
死体よりも生きている人間を。
救援部隊は生き残っていたダンジョンカルトと交戦しながら、着実に的矢たちの後を追った。そして、的矢たちを見つけたときには、的矢たちはラルヴァンダードを撃破し、ダンジョンを制圧している状態だった。
既にその時、中央即応旅団が池袋ダンジョンを制圧し、ダンジョンの仕組みは分かっていた。ダンジョンボスを倒せば、ダンジョンの構造は元通りに戻る。10階層しかない建物の30階層にいようと、自動的に地上に復帰する。
だが、的矢たちは負傷し、精神は摩耗しきっていた。
救援部隊は意識を失った的矢と発狂寸前だった陸奥を救助し、上層に戻った。
ダンジョンはその後、3日で元の日本国防四軍のデータセンターか地下司令部に戻った。戦闘での破損が嘘のように機械類も元に戻り、日本情報軍電子情報軍団が運用する“天満”についても元通りになった。
それからだった。“迷宮潰し”が本格化したのは。
日本国防四軍の合同作戦部隊は発足し、第1機動地下戦闘旅団が編成された。その隷下に第777統合特殊任務部隊が設置され、さらにその下に的矢たち特別情報小隊アルファ・セルが設置される。
その第1機動地下戦闘旅団は4つの大隊で編成され、1個大隊が司令部大隊。3個の大隊が戦術戦闘大隊となる。的矢たちはそのうち1つの大隊に所属して各地のダンジョンを潰しまくった。ダンジョンボスを殺し、ダンジョンを潰し、殺し、潰し、殺し、潰し……。
北上とはずっと一緒だった。
“いざってときは助けに行くから頼りにしてくれ”と北上はいつも言っていたし、的矢も当てにしていた。実際に熊本ダンジョンでも危険な時はブラボー・セルが援護に来た。ジャイアントワーム戦や、的矢が転移トラップを踏んだときなど。
北上は戦友だ。あの市ヶ谷地下ダンジョンという名の地獄をともに生き残った分かちがたい戦友だ。
だが、的矢にも北上にも既に開始された“グリムリーパー作戦”を止める権限などない。羽地大佐にすらその権限はないだろう。あの名前不明の日本情報軍少将にしても同じこと。決定権はもっともっと上にある。
最悪、日本情報軍参謀総長たる日本情報軍大将が握っている可能性すらある。
そんな決定を尉官止まりの人間が覆せるはずもないことは、北上とて理解しているはずだ。それなのに彼は“グリムリーパー作戦”に否定的だ。
「俺たちは駒だ。確かに特殊作戦部隊ってのはただの駒というには高価すぎるが、上から見れば俺たちはどいつもこいつも同じ駒だ。そして、駒は命令された通りに行動するしかない定めにあるんだよ」
「全員が後悔するような結果が予想されてもか?」
「その時は発令者である情報軍のお偉方が責任を取るだろう」
「情報軍のお偉方がそうあっさりと責任を取ると思うのか?」
「発令者の記録は残される。それに俺たちは駒だということは分かり切った話だ。羽地大佐ですら駒だ。まさか情報軍のお偉方が現場に責任を押し付けると思っているのか? 無理があるぞ。これだけ重大な決断を現場の判断でやれるはずがないというのは、軍法会議にかけられてもすぐに分かる話だ」
“グリムリーパー作戦”には高度に政治的な意図が含まれている。現場の判断だとか、現場の暴走だとか言われる心配がないほどに。現場の暴走で起きるのはむしろ“グリムリーパー作戦”の失敗だ。
「どうにもならんのだ。俺たちは駒でしかない」
「そして、どうあっても熊本ダンジョンは攻略されなければならない、か」
「そうだ。軍都熊本だ。俺たちがやらなければ陸軍の連中が同じことをする」
「畜生」
北上がカクテルを呷る。
「俺たちはダンジョンで地獄を見た。そうだろう、的矢?」
「ああ。見た。地獄と思われるものを。だが、地獄とは俺たちの想像するようなものではないかもしれないぞ」
的矢の視界には彼の腕に身を寄せるラルヴァンダードの姿が見えていた。
「地獄は地獄だ。そして、ダンジョンマスターは全ての元凶だ」
「そうだな」
的矢は次のカクテルを注文する。
「“グリムリーパー作戦”は……」
「熊本ダンジョンは攻略される。それは確かだ」
的矢はそう言い切った。
「そうか。そうだな。ただ、アメリカ人に気を付けろ。連中も俺たちと同じ人種だ。正確には俺たちと同じ上位の命令系統に属する駒だ。俺はあいつらが何もかも滅茶苦茶にするんじゃないかと恐れている」
「在日米軍は動いていない」
「それはまだ俺たちは60階層にいるからだ」
ここだけの話だが、と北上は囁くように言う。
「どうも100階層近くあるらしい、あのダンジョンは。正確な分析が行えるデータはまだ揃っていないが、かなりの確率で90階層以上。そのことを恐らくはアメリカ人たちも知っている」
「なるほどな……」
アメリカ情報軍は何でも知っているとは言ったものだ。
連中の航空宇宙偵察技術はもはや発達した科学は魔法なんとやらの領域だ。空からでも地下施設を発見し、具体的な情報を得ることができるという。それで熊本ダンジョンが100階層に及ぶという日本情報軍の掴んだ情報と同じ情報を捕まえば、60階層で足踏みしている間には動かないだろう。
90階層に到達したとき、在日米軍は動くか?
「敵は多い、的矢」
「そうだな、北上」
ふたりは静かに酒を飲み交わした。
……………………
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