一時の休息
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──一時の休息
的矢たちは30階層に戻る。
勝利の知らせを携えて。
まずは除染を受ける。クイーンアルラウネの毒は猛毒で触れただけで死に至る。それ故に厳重な除染が日本陸軍の化学戦部隊によって行われた、頭からつま先までしっかりと除染液を浴びる。
除染作業が終わって、初めて防護服を脱げる。
防護服の中は汗まみれで、戦闘中は気にならなかったがどうにも気持ちが悪くなる。
早く風呂に入りたいが、その前に羽地大佐からの呼び出しだ。
「的矢大尉、出頭しました」
「すまない。戦闘後でまだ気を張っているところを呼び出してしまって」
「いいえ」
本音を言えば、さっさとデブリーフィングを終わらせて風呂に入りたい。
「それで要件なのだが、君たちの戦闘を戦術脳神経ネットワークで共有して閲覧した。まさに卓越した技術だ。戦闘時の臨機応変なやり取りと慎重さ。この点において問題はない。だが、君は戦闘を楽しんでいないか?」
「まさか。部下の命を守るで精一杯ですよ。楽しむなんて余裕はありません」
的矢は涼しい顔でそう返す。
《嘘吐き》
黙ってろ。
「いや。責めているわけではないんだ、大尉。ただ、気になっただけだ。分析AIがそういう診断をしたものでな。私としても君たちの精神状態には気を配っているつもりだ。だが、正直自信がないときもある。君は本当に戦闘を楽しんではいないね?」
「楽しんでいたとしたら、どうします?」
「それは病気だ。軍務に支障がないか、軍医の診断を待つことになる」
羽地大佐ははっきりとそう言った。
「では、病気ではありませんよ。ただ、戦闘中は少しハイになることがあるだけです。戦闘時の興奮については分かるでしょう?」
「それはナノマシンが抑えているはずだよ」
「適度な緊張感。適度な殺意。確かにナノマシンは我々の感情を完全にコントロールしようとします。ですが、どんなことも完全に上手くいくとは限らないでしょう。少しばかりハイになることもあるのでは?」
「ふうむ。確かにそうかもしれないが。だが、何かあれば隠さず報告してほしい。君は世界最高の“迷宮潰し”の指揮官だ。君も君のチームも最高のものだ。それ故に指揮官の責任は重い。それを理解してくれ」
「はい、大佐」
「では、40階層に拠点を作るまで待機してくれ。40階層に拠点を作るのは1週間はかかりそうだ。まずは除染。それから設備の設置だ。あの毒は液状の状態でも中和されるまでに1ヵ月はかかるそうだからね」
「それはなんともまあ」
「そういうわけだ。1週間、休暇を与える。温泉にでも行ってきてはどうだい?」
羽地大佐はそう言って小さく笑った。
「それもいいかもしれませんね」
的矢は最後に敬礼を送って退室した。
的矢は全員が装備を解いたことを確認してから自分も装備を解き、銃火器や熱光学迷彩などを武器弾薬庫に預けると、まずはシャワーを浴びた。防護服の中で蒸れていた肉体から汗を流し、そして再び軍服に袖を通す。
それからARでアルファ・セル全員を呼び出した。
「どうしました、ボス?」
「もう次に行くのか?」
椎葉たちが集まってくる。
「休暇だ。1週間。温泉に行ってきてもいいとの許可も得ている。どうしたい?」
「温泉! 私は断然温泉がいいです!」
椎葉がそう主張する。
「他に意見は?」
「あたしはないよ。暫くは化け物の醜い面を拝まずに済むなら」
信濃は賛成。
「自分も異論はありません」
「日本の温泉ってのはいいものらしいから楽しみだ」
陸奥たちも納得する。
「決まりだな。黒川温泉に行こう。レンタカーを借りてくる」
こうして、温泉休暇がスムーズに決まった。
的矢はレンタカーを借りて、一通り盗聴器の有無を調べると、陸奥に運転を任せて自分は助手席に座った。
「中央アジアを思い出すな」
「あの時はピックアップトラックだったじゃないですか。それに景色も全然違う」
「そうだが、お前が運転して俺が隣に座っているのはな」
中央アジアは地獄だ。あそこに派遣された人間は必ずそういう。
今は戦闘後戦闘適応調整を受けているので緊張感はないが、戦闘前戦闘適応調整を受けて戦闘状態になると、時々中央アジアのことを思い出して嫌な気分になる。
どこかから対戦車ロケット弾が飛んでくるのではないか。
それを抑えるための脳みそにぶち込んだナノマシンだというのに、これは時々役立たずになる。いや、ある意味では戦場に機能しているのかもしれない。戦闘前戦闘適応調整を受けてから戦闘状態になったら、あらゆることに警戒しなければならないのだ。過去のことから警戒すべきことを思い出すのは当然の反応だろう。
だが、嫌な気分になるものはなるのだ。クソみたいな気分になる。
《だけど、化け物を殺すのは楽しいんだろう?》
ああ。馬鹿みたいに楽しい。どれくらい楽しいかと言えば、クリスマスに最高のプレゼントを貰ったときのような楽しさだ。
《あの大佐はそれを病気だと言っていたけど、彼は分かってないね。兵士というのは殺すのが仕事だ。殺すことで仕事をなすんだ。例えば小説家が小説を書くのにうんざりしながら小説を書いてると思うかい? あるいはスポーツ選手がスポーツをするのが嫌いでプレイしていると思うかい?》
軍隊では殺しを楽しめってか。軍隊はそれそのものが動かない方が皆によって幸せな結末になる。戦争は政治の延長って奴だよ。政治家がクソを漏らして、そのケツを拭いてやるのが軍隊の仕事だ。
《つまり、君は戦闘は楽しむべきではないと?》
いいや。楽しくなければこんなクソッタレな仕事を誰がやるんだ? 化け物で一杯の穴倉に飛び込んで、殺して、殺されそうになって、ケツまで血の海に浸かって、殺し続けることに誰が志願する? そう、楽しくなければ誰もやろうなどとは思わない。
《じゃあ、やっぱり戦争が楽しいんじゃないか》
戦争というマクロななものと兵士個人の感情というミクロなものを混同するな。政治家が嬉々として戦争を起こすようになったら世の中は破滅する。兵士個人が戦争を楽しむのは結構。好きにすればいい。だが、戦争というものは嬉々としてやるものじゃない。
《君は個人的に戦争を楽しんでいるってわけか。分かるよ。生物の生殺与奪権を握るのは楽しいだろう? ボクも楽しんだものさ。そして、今は君と一緒に楽しんでいる。ボクは君のことが好きだ。大好きだ。皮肉で言ってるんじゃないよ?》
くたばれ。
《その答えは酷いじゃないか》
くたばっちまえ。
《ぶー。いいよ。いつか君もボクのことが好きになる》
あり得ないな。
《どうだろうね?》
ラルヴァンダードは少女らしい笑みを浮かべた。
「准尉。悪いが少し寝る。後で運転を信濃に変わってもらえ」
「了解」
一行を乗せた車は阿蘇方面に向かっていった。
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