幻覚と戦闘前戦闘適応調整

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 ──幻覚と戦闘前戦闘適応調整



 C-4戦術輸送機が熊本空港に着陸する。


 日本陸軍の航空部隊も配属されているこの空港に、日本空軍の輸送機が離着陸するのは別に不思議なことではないが、通常日本国防四軍は近隣の空軍基地で輸送機を運用する。それは機密保持のためでもあるし、いざという時のトラブルのためでもある。


 とは言え、今回は特別だ。


 日本情報軍第777統合特殊任務部隊は暇をしているわけではない。熊本の近くにある空軍基地と言うと、県境を越えた先になってしまう。熊本県内に空軍基地はないのだ。


「着いたな」


「ボスって出身が熊本でしたよね?」


「ああ。クソみたいな田舎だ」


 日本情報軍のデジタル迷彩の戦闘服姿をした椎葉が尋ねると同じ格好をした的矢がそう返す。彼はすぐに迎えに来ていた日本情報軍の車両に乗り込み、日本情報軍が拠点をおいている北熊本駐屯地に向かった。


 北熊本駐屯地は日本陸軍の駐屯地だったが、そこに間借りするように日本情報軍が拠点をおいている。大抵の場合、日本情報軍は新しい基地や駐屯地を設営せず、陸海空軍の基地を間借りしている。その北熊本駐屯地は熊本空港からはかなりの距離だ。


 何故、西部方面総軍司令部のある健軍に間借りしなかったかと言えば、あそこにはもう余裕がなかったから、の一言に尽きる。


「着いたか、諸君」


 羽地大佐は的矢たちよりも早く北熊本駐屯地に到着していた。


 恐らくは彼だけは空軍基地で輸送機を乗り降りし、ティルトローター輸送機かヘリで北熊本駐屯地に入ったのだろう。快適な旅だったのに違いなと的矢は皮肉気に思った。


「まずは戦闘前戦闘適応調整を受けてもらう。それからヘリで桜町臨時拠点に移動だ。ここぐらいしか日本情報軍の人間が戦闘前戦闘適応調整を受けられる場所はないからな」


 戦闘適応調整というのはただのカウンセリングじゃない。


 精神科医やカウンセラーがいて、お喋りすれば終わりの前時代的なものとは異なる。


 EEG脳波計fMRI機能的MRIで脳の動きを把握しつつ、適切な投薬をリアルタイムで行い、それに加えて言葉で戦場という過酷な空間に飛び込むための準備をさせる。現代の先進国の軍人はこういうものがなければいけないほど、軟弱になってしまったのである。


 いや、兵士たちは前々から脆弱だった。人類は既に第一次世界大戦の時点でシェルショックという病を抱えていたし、戦争を経験した世界各国で退役軍人の自殺率は極めて高かった。ようやくそういうものから目を背けるのを止めて、現実を直視するようになった。そう言った方が正確だろう。


「未だに“彼女”は見えますか、的矢大尉」


 自分の心は今丸裸にされているのだと的矢は精神科医を前に思う。


 安定剤と向精神薬、脳循環系ナノマシンの点滴を受けながら、的矢は軍の精神科医を見つめていた。精神科医は全てお見通しだという態度で、的矢を見ている。実際のところ、様々な機械に繋がれて脳を覗かれているのだから、精神科医は全てお見通しなのだ。


「たまに見る。たまに、だ」


「部下たちの幻覚も?」


「……ああ」


 的矢は精神科医から少し目を逸らす。


 少女がいた。黒尽くめのドレスを身に纏った少女。それが的矢を見つめ返している。


《つれないね。いつだってボクは君の傍にいるじゃないか》


 失せろ、クソ野郎。的矢は心の中でそう罵る。


《失せないよ。消えないよ。いなくならないよ。ボクと君は繋がれたんだ。君が手に持った自動小銃でボクの脳みそを吹き飛ばしてから、ずっと。憎かった? 恨めしかった? 嫌いだった? 今では大の仲良しじゃないか》


 俺はお前のことが大嫌いだ。


《だろうね。市ヶ谷地下ダンジョンのダンジョンボスであったボクのことが好きになるはずがない。ボクは君の戦友や同僚をたっぷりと貪り、血で喉を潤し、肉で腹を満たし、彼らの悲鳴で心を喜ばせたんだ。だけどね。だけどね。ボクはまだ死んでない》


 市ヶ谷地下ダンジョンは消滅した。


《そう、市ヶ谷地下ダンジョンは消滅した。それはボクがダンジョンボスとしての役割を放棄したから。あんなところにいるよりも、君と一緒にいる方が楽しいって思ったのさ。実際にそうだろう?》


 クソ野郎。お前を絞め殺してやりたい。


《サディスト。君の攻撃性は市ヶ谷地下ダンジョンでの戦闘を経験する以前からそうだったんだろう? 仲間たちの死を前にして、目覚めたわけじゃない。ずっと君の心のうちにあった。他者を傷つけるのは、そんなに楽しいかい?》


 失せろ。


「的矢大尉?」


 再び精神科医の顔を見る。怪訝そうな表情。狂人を見ている顔にも見える。事実、ある意味では自分は狂人だと的矢は思う。


 他の人間には見えないものが見える。


 ダンジョンが現れる前ならば、その前ならば、的矢は自分の脳天を散弾銃で吹っ飛ばしていただろう。自分の気がおかしくなったということを受け入れられずに。


 だが、ダンジョンの存在は全てを変えた。


 ダンジョンにはアンデッドと呼ばれるものたちが出没する。ゾンビ、ゴースト、デュラハン、リッチー、ヴァンパイア、エトセトラ、エトセトラ。死してなお生きているものたち。それらは科学的に探知可能だし、科学的に排除できる。


 的矢はそのうちの1体に憑りつかれている。


 軍の技術者がそれを観測したことがある。シジウィック発火現象。いわゆる魂。凝集性エネルギーフィールドの一種。それが突然、的矢の傍に現れるのを日本情報軍の技術者が観測している。


 だから、的矢は自分の頭をふっ飛ばさないでいられる。


 自分がある意味では狂っていて、ある意味では正常であることを保障されているのだから。自分が完全に狂気の淵の向こう側の落ちたわけではないと言えるのだから。


「“彼女”と会話しますか?」


「いや。しない。向こうは見ているだけだ」


 何故、バレると分かっている嘘を吐く? 精神科医はお前の脳みそを覗き込んでいるんだぞ? それが分からないのか? 的矢は的矢自身を責める。


「そうですか。それなら結構です。あなたの置かれた状況を我々は理解しているつもりです。少しでも力になれるならば、力にならせてください」


 精神科医は的矢を嘘吐きだと罵りはしなかった。


《彼らが何の役に立つ? 君とボクは結ばれているんだ。決してこの絆は切れたりしない。永遠に結びついたままだ。ボクは君の傍に存在し続ける。ずっと、ずーっと。やがて慣れるよ。ボクがいないと寂しくなるくらいにね》


 お前たち化け物どもを皆殺しにして、この地球から残らず叩きだしてやる。そうすれば貴様ともお別れだ。クソ野郎。


《どうだろうね? 君自身、その説に確信が持てずにいるんだろう?》


 いいや。持っているさ。


「的矢大尉。それでは引き金は引けそうですか?」


「ああ。化け物どもをぶち殺す準備はできてる」


 残らず撃ち殺して、地獄に叩き込んでやる。地獄の底まで追い込んで、一生そこから出て来れないようにしてやる。その準備は、万端だ。


「結構です。では、処置を終えましょう」


「助かったよ、先生」


 的矢はそう言って処置室を出た。


……………………

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