第62話 君の見せる『愛』

……小林が、姿を消した。


理由は分からない。


ある日、いきなり、忽然と、その行方をくらませた。


初めは体調不良だと思っていた小林の欠席、しかし、あまりに日が重なったため、担任を問い詰めてみると、そいつは観念したように俺にこう告げたのだ。


曰く、「……小林は、行方不明だ。」と。


あの嵐の日、昼休み以降の小林の足取りは掴めず、あれ以来、どこへ行ったかも分からない。


……そんな状態から既に、数日が経過していた。

























「……最近、せんぱいが学校にいないので、とっても退屈です。」


響くのは、はぁ、と大きなため息を吐く少女の声。


「……別に、今までだって特に学校で会ってたわけじゃなかったんだから、変わらんだろ。」


「……でも、ボクの学校に行くモチベーションに繋がります。」


「……なんじゃそりゃ。」


交わされるそのやり取りも、どこか寂しさを感じさせ、寂寥の響きを伝える。


絶えず鳴り止まぬ雨音だけが、屋根を打ち付ける声を鳴らし、ただ虚しさに吐く息を、掻き消していた。


「……それにしても、最近せんぱいは随分と素直になりましたよね。」


そんな空気感の中、思い出したかのように少女は呟き、まるで寄り添うように体を寄せ付け、自然な動作で俺の頭に手を乗せる。


「……そ、そうか?」


その一連の流れに、ドキリと胸が高鳴るかのような、そんな感覚を覚えながら、俺は甘んじてそれを受け入れた。


「普段の、ちょっと厳しいせんぱいも格好よくて好きですが……ボクは、今みたいなカワイイせんぱいの方が好きです。」


優しい手つきで頭を撫でられ、あまりの心地良さに、心が和らぐ。


どこまでも脳に溶け込むかのような柔らかいその声は、まるで赤子を愛でているかのような響きを含ませた。


「……ボクに看病されて、少しは心を許してくれたってことですかね?」


「…………。」


銀髪碧眼の少女、【白雲心音】は、小さく微笑みながら俺の頭を撫で続ける。


それに対し俺は何も言えず、ただ無言を返してしまった。


数日前のあの日、鬼塚と屋上で話した後、俺は、しばらく雨に打たれ続けていたため、風邪を引いてしまったらしい。


初めは、体がだるいくらいの感覚だったというのに、それを無視し続けて学校に通っていたら、ある日、突然意識を失って倒れてしまった。


きっと、風邪を拗らせてしまったのだろう。それ以降は、体が重くて学校にも行けたものではなかった。


おかげで定期テストは受けられず、全教科0点のバカが誕生してしまったというわけだ。


まぁ、実際には0点ということはなく、これまで受けてきたテストの平均点やら過去の自分のテストの点数やらを、なんやかんや計算して、『今回のテストを受けていれば、恐らくこれくらいの点数を取っていたであろう。』という推測の点数を出し、それを評価するらしいので、ひとまずは安心だ。


……と、そのように考えながらも、俺は心音に頭を撫でられつつ、言葉を返す。


「……確かに、ずっと看病してくれてるしな。ご飯とかも、今の俺の体調を気遣ってくれてるし。」


現に、最近彼女が用意してくれているのはお粥。


病人にとって、喉を通りやすくて有難い料理だ。


そんな親切な彼女の計らいに、感謝の気持ちを抱くと同時、やはり考えてしまう。


『……どうして心音は、俺にここまでしてくれるのか。』と。


これは、ずっと前からの問いだ。


いくら考えても答えは出てこず、その時間が無駄だとさえ思う日もあった。


けれど、そうだったとしても、どうしても気になってしまう。


毎日、学校終わりに俺の家に来て、看病してくれて、夕食も、次の日の昼飯も作ってくれて。


洗濯も掃除も、何もかも。


……俺の、くだらない話にも付き合ってくれて、優しくしてくれる。


いっそ、天使とさえ見紛えるような、そんな女の子。


……だからこそ、恐ろしい。


彼女から何を求められるでもなく、ただただ健気に尽くしてくれているように見える。


だからこそ恐ろしいのだ。


『無償の愛』ほど甘く、怖いものはない。


盲目的に信じてしまったが最後、ひとさじの悪意に気付けぬまま、やがて破滅を迎えてしまう。


善意を信じたい。だからこそ、裏切られるのが何よりも恐ろしかった。


……しかし、、、


「……せんぱい、安心してください。ボクはせんぱいを裏切ったりなんてしませんから。」


彼女は優しく微笑み、俺の頭を静かに抱いた。


彼女の胸の暖かさに包まれて、彼女の脈打つ心音しんおんが、疑心に満ち溢れた心に、安らぎをもたらしていく。


落ち着く温もりが体全体に広がって……心を溶かしていく。


「…………。」


きっとこの先、どれだけ諭されようとも、どれだけ絆されようとも、この考えが変わることはないだろう。


『無償の愛』は怖い。


恐ろしく、信用出来ず、牙を剥かれるかも分からない。




































……けれど、甘いのだ。






















たとえ破滅に向かって行くとしても、『愛』が見せる一瞬の蜜に、魅せられ、焦がれ、求めてしまう。


……どうしても欲してしまう。


それは、ある種の現実逃避。


望んでやまない『それ』をただ願い、その本質から目を背けて縋るだけ。


だったとしても。


……それでも、構わない。


俺は、未だ彼女の胸に顔を埋めたまま、彼女の体へと腕を回し、強く抱き返す。


彼女は静かに微笑んで、それに応えるように、確かに俺を抱き締めた。










































……こうして俺は、『愛』に溺れ始めた。









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