第61話 韜晦
※この話では、この物語の最重要となる根幹部分に、だいぶ触れることになりますが、現時点では何を言っているのかは分からないと思いますので、「ふーん。」くらいの、頭空っぽ状態で読んで頂けると嬉しいです。
「……あいつ、どうしたんだろ。」
俺に背を向け、そのまま屋上へと向かって行った黒池の遠ざかる背中を見つめながら、俺は一言、呟いた。
現在、昼休憩に入り、朝からずっと辛気臭そうな表情をしていた黒池へと声を掛けたところだが、声を掛けられた本人は、誰かと話したい気分ではなかったのか、不機嫌そうに去ってしまった。
定期テストが近付いて気を張りつめてる……って訳ではなさそうだけどな。
と言うか、あいつが定期テストでコケたところなんて見たことがないし、いつも余裕そうに高得点叩き出している姿しか思い出せない。
そんなやつが、今更テストごときに身構えるとは思えないので、他の要因があるのだろう。
例えばそう……
「……『恋煩い』とか。ですか?」
「……!?」
思考の海に浸っていた、その外側から突如、そのような言葉が差し込まれる。
背後から聞こえてきたその声に、驚愕を隠せず振り返ると、そこに居たのはあの女。
その白雪のような銀色は、極度の苦悩によって染まってしまったものだということは、きっと誰も知らない。
不気味な程に美し過ぎる青い瞳は、まるで造り物のよう。
黒い微笑みを浮かべる少女、【白雲心音】。
そいつが、俺の背後に立っていた。
「……ッ『読んだ』のか?」
「……いいえ、読まなくとも案外分かるものですよ。それに、私は小林くんほど臆病ではないので、誰彼構わず覗いたりはしません。」
煽るように、目の前の少女はそう言葉を零す。
「……俺が臆病だって?」
その女の言動がいちいち癇に障り、苛立ちの感情を隠せずに口を開いたが、俺の声は、次の女の言葉によって封じ込まれてしまった。
「……だって小林くん、一番の親友で、信頼している筈の黒池先輩のことだってお構い無しじゃないですか。」
「…………。」
……こいつ。
「……とっ、ここじゃ場所が悪いですね。良くない意味で目立ち過ぎました。」
目の前の女は辺りをチラリと窺い、一言そう言葉を零す。
確かにここは、2年生の教室が並ぶ階なので、違う学年の生徒、さらに【白雲心音】ほどの有名人ならば、自然と人の注目を集めることになってしまう。
周りから、ヒソヒソとこちらを噂話すかのような声が聞こえてくる中、その女は鬱陶しそうにため息を吐くと、俺へとこう言った。
「……ちょっと場所変えません?」
顎で空き教室を指し示し、そいつは俺へとそう提案する。
不遜な態度を崩さないその女に腹は立つが、変な噂ができるのも望むところではないので、俺は黙ってそいつの言う通りに従い、空き教室へと場所を移した。
「……まぁ、誰も居ない空き教室に2人で入っていく様子を見られているので、結局、変な噂は立ってしまうと思いますが……うん。今更でしょう。」
真っ暗な教室に入った直後、そのように白雲心音は言葉を零したが、俺は気に留めることなく、そいつに尋ねる。
「……で、なんでここに連れて来たんだ。」
相当、他人に聞かれたくないような話があるのだろう。
それに、この女からしても俺という存在は、極力、関わりたくないはずだ。
白雲心音と俺の間には、何かと人には言えない事情がある。
……詳しく言えば、白雲心音というより【白雲家】だが。
俺はこの女のことが嫌いで、この女は俺のことを憎んでいる。
その上で、お互いこれまで干渉することのないようにしてきたというのに……
「……今日は、お願いがあって小林くんを訪ねたんです。」
口元に笑みを浮かべながら、白雲心音はそう言葉にする。
「……へぇ、お願いねぇ、お前の家とあんなことがあったんだ……真っ当なお願いだとは思えないんだが。」
「……兄は分かりませんが、少なくとも私は『両親の件』に関しては、小林くんに感謝していないこともないんですよ?」
「…………。」
軽く冗談を言うように、その女は黒く微笑む。
……相変わらず恐ろしい女だな。
いつか、この女に対して抱いた、底知れぬ恐ろしさを、今一度この状況で感じてしまう。
少し前、俺や黒池、この女と藤井真奈という女子で昼休憩時に共に卓を囲んでいた事を覚えているだろうか。
ここまで因縁深そうな関係であるのに、俺はあの時、この女を初めて見た段階では、この女が【白雲心音】だということを見抜くことが出来なかった。
それは何故か。
……答えは、単純。
この女が俺の知る【白雲心音】ではなかったから。
数年前に会ったことのある【白雲心音】は、目の前の女とは姿、形、声も名前も違うものだったからだ。
何を言っているのかは分からないだろうが、今は理解なんて出来なくてもいい。
……この女は『異常』なのだから。
「……随分と脳内で、私について説明してくださっていたんですね。おかげで私から説明する手間は省けそうです。」
俺が、この女に対してのことを纏めたとほぼ同時に、女は愉快そうに笑いながら、そう言葉を零した。
「…………。」
「……あっ、もちろん今のは『読み』ましたよ?流石の私も、予想だけで当てられるほど人間辞めていませんので。」
聞いてもいないのに、そんな言葉を付け足しながら心音は笑う。
「……そろそろ本題に戻してくれ。」
俺は、その女を真っ直ぐに見据えて、そう言葉を放つ。
すると、先程までの軽い空気は一変し、白雲心音はその表情から笑みを消して俺に対してこう言った。
「……黒池先輩から手を引いてください。」
「…………。」
「それが、私からの要求です。」
空が唸り声を上げ、嵐の気配を感じさせるほどに風が鳴く。
窓をバンバンッと叩くそれは、強烈な勢いで旋風と化し、一波乱を予感させた。
「……何故?」
俺は、表情を殺してその女に問いかける。
「……小林くんがいると色々と面倒なんですよ。それに、小林くんは『物理的』に私を止めることが出来ちゃうじゃないですか。」
何を当然のことを。と笑うようにその女は言葉を放つ。
……確かに、この女が黒池のことを狙っていたことは知っていた。
黒池に盗聴器を仕掛けていたのも、きっとこの女なのだろう。
では何故?何故この女は黒池を狙う?
そこに何の理由がある?意図は?そこに隠された真実は?
知らない。分からない。考えたくもない。
いつか聞いた『願い』。
大昔からの『祈り』。
【白雲家】の『悲願』……とは?
「【……そんなこと、お前が知ってどうする?】」
そう考えていた、その瞬間だった。
目の前の少女から、全く別の誰かが発したかのような言葉が出てきたのは。
「……!?」
俺は、そのことに驚愕したまま、目の前の少女の顔を見る。
そこにあったものは、一見何の変わりもない【白雲心音】の顔。
……しかし、宝石のような輝きを失い、暗く淀んだ藍色がその瞳に染まった彼女を、果たして同一人物だと言えるのだろうか。
「【……私はお前に、言ったことがあるはずだ。『不必要に、私の実験には関わるな』と。】」
「……!まさかッ!」
無機質に、無感情に吐き出されたその言葉と話し方に、俺は1つの心当たりがあった。
それは、有り得るはずがない推測。
あまりにも狂気に満ちた『普通』じゃない可能性。
俺の中で、大きすぎる存在が脳裏にチラつき、ゆっくりと、その天秤を傾けていく。
「……とまぁ、こんな風に、小林くんの知り合いを呼び出しちゃうこともできます。」
フッと瞳に輝きが灯り、先程までの寒気を覚えるような無表情から一転して、白雲心音は穏やかに微笑む。
「……言っていることの意味、小林くんなら分かりますよね?」
しかし、その微笑みも束の間、今度は脅すように口端を裂き、いっそ醜さを覚える程に彼女は嗤う。
「……小林くんにとって、妹さんほど大事なものはないでしょう?」
「…………。」
……妹。
俺の大事な、何よりも大切なもの。
何を犠牲にしても、何を捧げようとも、絶対に救いたい存在。
あの子は今、病気に苦しみ、先の見えない暗闇の中を、必死に藻掻いている。
兄として、苦しみに耐える妹のために全てを捧げることなんて、当然のことだろう。
あの子の為ならば、俺はどんなことだってやらなければいけない。
……たとえそれが、『親友』を裏切ることだったとしても。
……この女は、俺に対してそう言いたいのだろう。
それもそうだ。
俺には、あの子よりも大切なものは無い。
俺を脅したいのなら、妹を引き合いに出すのは、最も効率的なことだろう。
……だから俺は、この女の要求を呑む以外に選択肢など無かった。
「……決意は固まったみたいですね。」
「…………。」
「……まぁ、小林くんにとって一番大切な妹さんを人質に取るようなことをしたのは、申し訳ないと思いますよ。」
……思ってもないことを。
心にもないことをペラペラと駄弁るのは、この女も『あいつ』と同じらしい。
「……だが、手を引くと言っても、実際、何をすれば良いんだ?黒池を無視しろとでも?」
正直、あいつは何だかんだ言って1人でも生きていけるやつだ。
俺があいつと絡まなくなったからって、あいつは寂しさを抱くようなタイプじゃない。
この女からどんな要求をされるのか、身構えていると、静かに、そいつはこう言い放った。
「……小林くんには、この学校から消えてもらいます。」
「……は?」
その時、俺が呆けたように呟くのと同時に、誰も居ないはずの教室の奥で、影が揺らいだ。
「……!?」
「……まぁ、もう出てきても問題は無いですね。」
白雲心音がそう言うと、その影は、ヌッと音が出そうなほど自然な動作で、教室の奥、白雲心音の背後の暗闇から姿を見せた。
いわゆる角刈り、短髪の黒髪が特徴で、全体的にクラスのお調子者という雰囲気を漂わせる生徒。
しかし、今はその顔にお調子者臭は無く、ただただ優しげな微笑みを浮かべているだけ。
普段は絶対にしないであろうその表情だが、何故か違和感はなく、その顔が当たり前のものだと思わせるような、そんな感覚を覚える。
そいつは……
「……【山田相馬】という方です。」
「……まぁ、その名前も、もう用済みなんだけどね。」
ハハッと笑いながら肩を竦めさせるその男。
見た目だけでは感じなかった違和感も、喋り方や声が入ってくると、見た目とのイメージが違いすぎて気持ちの悪いものを感じてしまう。
「お前は……」
ただ俺は、この男に見覚えがあった。
あれはいつかの昼休み。
黒池が、鬼塚先輩たちに連れて行かれたあの日。
黒池と先輩たちの喧嘩が終わったあの後、たまたま俺も、黒池と熱いバトルがしたいと感じ、黒池を誘った。
2人とも構えて、『いざ勝負』って時に邪魔が入ったのを覚えている。
その邪魔が、確かこの男だった。
焦った様子で間に入ってきて、慌てた様子で帰って行った男だ。
「あれ?もしかして僕のこと覚えてるの?」
「……昼休憩の時の、『すみません、間違えました男』だろ。」
「……ハハッ、なにその覚え方、面白いね。」
俺の言葉に、男は愉快そうに微笑み、そう言葉を漏らす。
そして、そのまま続けて、こう言葉を零した。
「……あの時は、君たち2人を止めて悪かったね。あのまま君たちが殴り合いの喧嘩をしていたら、こちらに色々と不都合があったんだ。」
ごめんね。と悪気なさそうに謝る目の前の男。
俺はため息を吐きながら、目の前の男を見据えて口を開いた。
「……あの時とは随分と纏う雰囲気が違うな。」
「……まぁね。今は別に演じる必要もないし。」
「気楽だぁ。」と
「……私はこの人と、とある『取り引き』を行いました。そして、利害の一致で協力することになったわけです。」
そんな中、現状の説明か、白雲心音は俺に対して、そう告げた。
「……『取り引き』?」
俺は、その『取り引き』という言葉に反応し、その真意を尋ねる。
「……それが先程言いました。小林くんを、この学校から消す。ということです。」
「…………。」
……俺を学校から消す?
その言葉がどういう意味か図りかね、首を傾げていると、白雲心音の隣に並んでいた男が口を開く。
「心音ちゃん?それじゃ、ちょっと説明不足じゃない?小林くんも反応に困ってるよ?」
「……分かってる。それと名前で呼ぶの辞めて。気持ち悪いから。」
「え〜、酷いなぁ。じゃあ何て呼べば良いの?『白狼の片割れ』?」
「……その呼び方も辞めて。ダサいし。」
「え〜?そうかなぁ、僕はかっこいいと思うけど。」
「…………。」
そんな、目の前で繰り広げられるやり取りに、俺が反応出来ずにいると、それに気付いた白雲心音はコホンと一度、咳払いをしてから語り始めた。
「……私は、黒池先輩を手に入れる過程で、一番厄介なのが、小林くんの存在だと思いました。どのようにすれば、小林くんの邪魔が入らないか考えていたところ、偶然、この人が私に接触してきたわけです。曰く、『小林一茶の弱みを知りたい。』と。」
白雲心音は、その時のことを思い出すように、目を伏せて言葉を続ける。
「……ちなみに、私とこの人は同じクラスでして、初めの方は、クラスメイトがいきなり、よく分からないことを言ってきた程度にしか思っていなかったのですが、話を聞いていくと、面白いことを知れたんですよ。」
「……いや、クラスメイトってことも忘れてたじゃん。」
白雲心音の言葉に、男は呆れるようにため息を吐きながら、そう言葉を零す。
「……実は、僕は『とある組織』からこの学校に潜入してきた身でさ、君に用事があってね。頼み事をしたいんだけど、断られる訳にはいかないから、君に対して優位に立てるような、圧倒的なアドバンテージが欲しかったんだよ。」
その結果、脅しみたいになっちゃったけどねぇ。と男は苦笑いする。
……まぁ、だいたい予想していた通りだったという訳だ。
こうなっている原因の根幹は、この男。
白雲心音は、このチャンスに乗っかっているだけに過ぎない。
「……つまり、黒池が関係なくても、遅かれ早かれこうなっていたんだろうな。」
「……へぇ、結構すんなり受け入れるんだね。どうして俺なんだ?とか『とある組織』って何言ってんだ?お前、厨二病でも患ってんのか?とか言われるのかと思ってたよ。」
「……別に、『とある組織』だなんて濁さなくたってどこかは分かってるしな。それに、俺に用事なんて言ってくるのは『汚れ役』を必要としている以外無いだろう。」
「……本当に賢いんだね。流石は、社会の闇を知る子ってところか。」
男は、感心したように俺を見て、そう褒める。
しかし、俺はそんな賛辞は無視し、気になったことをその男に尋ねた。
「……だが、何故わざわざ白雲心音に接触した?お前らほどの人間だったら、この女から聞かなくとも、俺の素性を調べるなんて造作もないことだろ?」
「……うーん、それもそうなんだけどね。元々はと言うと、【白雲家のお嬢様】に頼みたいことだったんだよね。だけど、計画の途中で、君という面白い存在を耳にしたから、どうせならということで【白雲家】の管轄下にある君に頼んだんだよ。」
「……そういうことです。私も私で忙しいので、代わりに、小林くんという代役が丁度よく居て助かったというだけです。」
「…………。」
……つまり俺は、白雲心音に良いように使われた駒だったというわけだ。
「……こっちとしても、ある程度動ける子なら、正直、誰でも良かったしねぇ。」
最後、男は軽い調子でそう言葉を吐き、この話は、ここで途切れた。
やがて、話が纏まって俺たち3人の間には解散ムードが広がり始めた。
白雲心音は、薄らと口元に笑みを浮かべたまま、「お先に失礼します。」とだけ、言い残して教室を去った。
きっと内心は、かなりの浮かれようだったはずだ。
そして、目の前の男は俺へと向き直り、静かに言葉を零す。
「……君はこれから、僕に着いてきてもらうよ。もちろん学校には行けないし、もう二度と楽しい生活は送れないと思うけど……妹さんの為なんだから耐えられるよね?」
……心残りが全く無いわけじゃない。
本当はと言うと、もっと学生生活を謳歌したいと思う気持ちはある。
黒池とも、もう少しだけ会話したかった。
……それでも、物事には優先順位がある。
絶対に、失いたくないものがある。
だから俺は強気な態度で、その男へと言い放った。
「……望むところだな。」
「……うん。いい返事だ。」
男は、一言そう言うと、俺に背を向け、教室の扉へと歩を進める。
「……学校の裏門で待つ。荷物は全部、この学校に置いて来てね。」
どうせだし、最後に学校を見納めておくのも悪くないかもね。と、冗談みたく笑いながら男は教室を去って行った。
「…………。」
1人残された教室は、暗く、孤独な嘆きも消え失せる。
ただ、天から降りし雨音だけが、この時間を刻んでいた。
……どうせこうなるなら、ちゃんと黒池と『親友』しとけば良かったかな。
少しの後悔が、胸の内に芽生える。
……あいつが俺のことをどう思っているのかは分からないが、俺はあいつのことを、心を許せる『親友』だなんて思ったことは一度も無い。
そもそも、初めにあいつに近付いた理由も、あの『喧嘩強さの秘訣』を探る為だった。
……結局、あれだけ一緒に居てもその秘密を知ることは出来なかったし、本人も自覚していないようだったから、時間の無駄でしかなかったわけだが。
そんなことを考えながらも、思い出されるのは、あいつと過ごしていた時間。
それでも、あいつと過ごしている間は、確かに楽しかった。
充実していた。心に余裕が出来ていた。
……安心していた。
……だから、本当の意味で、何も考えずにあいつと『親友』になれなかったのは、本当に残念だ。
……俺だって、頭空っぽにして、バカみたいに、あいつと笑ってたかったよ。
けれど、どれだけ願おうと、それはもうきっと叶わない。
だから……
「……じゃあな、黒池。もう二度と会うことはないだろうな。」
……今まで、俺みたいなクズと『親友』でいてくれて嬉しかったよ。
最後、屋上に向かって行ったあの背中を思い出しながら、俺は暗い教室の扉を開く。
それと同時。
……昼休みの終わりを告げるチャイムが、鳴った。
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