第49話 本当の記憶
朝、目が覚めた時、あなたは隣に居なかった。
いつものように隣で「おはよう。」と微笑みかけてくれるあなた。
今まで、当然のように傍にあった温もりが、手の届かないほど遠のいた。
悲しくて、寂しくて、あなたの温もりが欲しくて、私は部屋で1人、静かに涙を零す。
やがて、部屋の扉が開け放たれ、頬を濡らす私の横顔を、黒い光が残酷に照らした。
扉の奥から姿を見せた、冷酷な父がこう言う。
茶番は終わりだ。早く帰ってこい。
くだらない妄想に浸る馬鹿な私に、吐き捨てる。
茶番なんかじゃない!
そんな酷いこと、なんで平気で言えるの?
私も必死で言い返す。
けれど、私の声は届かず、父の目はだんだん失望の色へと染まっていく。
……やつの記憶はリセットされ、また新たな人格を形成し、第2の人生を歩ませる。
それを観測することの重要さが、なぜお前には分からない?
そんなにも、『未知の幸せ』が大事か?
父は、私の愚かな行いを理解できないといった風に厳しい目を向ける。
それに比べて兄はどうだ?自分に課せられた使命を理解し、己の責務を果たそうとしているではないか!
なぜ兄に出来て、お前に出来ない!
不出来な私を叱りつける父は、よく出来た兄を引き合いに出し、私に強い劣等感と、激しい罪悪感を与える。
たかが『造り物』ごときに、要らぬ劣情を抱くな!貴様に課せられた使命を思い出せ!さもなくば、かつての兄のように、お前を【博士】の元へ突き出すぞ!
…………ごめんなさい。……ちゃんとします。
私は、これ以上の返す言葉を見つけられず、唾を撒き散らして叫ぶ父に、従うように頭を下げる。
……ふん、そうするなら、初めからそうしておけばいいものを!
頭を垂れる私の元まで近寄ってきた父は、そのまま私の頭を上から勢いよく踏み付ける。
ご、ごめんなさい。本当にごめんなさい。
私はただ、なされるがままに。
怯え、震えながら許しを乞うた。
朝、目が覚めた時、あいつは隣に居なかった。
……帰ったのか。
昨夜まで、すぐそこにあったはずの銀色の姿が、ベッドから消えて、傍にあった温もりも感じられなくて、何だか寂しさのような感情が湧いてくる。
モヤッとした気持ちを抱えながらも、やがて、窓から差し込む優しい朝の光に照らされながら、俺はベッドの上で体を起こした。
……昨日の夜、結局どうなったんだっけ。
ポカポカと暖かい光に頭を包まれながら、俺はぼんやりと昨夜あったことを思い出す。
……色々と刺激的だったというか、なんと言うか。
小説や漫画でしか見たことないようなことを、俺は恐らく経験した。
恐らくというのは、あまりにショッキングなことだったためか、脳のキャパシティを超え、途中で意識が朦朧とし始め、記憶が曖昧だからである。
まぁ、そんなことは置いておいて……
初めてのキスはレモンの味だとか、イチゴの味だとかいう話をよく聞くが、そんなことを考える間もなく、気付けば全てが終わっていた。
なんと言うか……実感がないまま大人への階段を1段登ってしまったと言うか、そんな気分。
まるで、他人の経験したことを不透明な解像度で想像しているかのようだ。
……何やってんだよ、俺も。
頭を垂れながら、重いため息を吐く。
誘われて、それに抵抗できずに雰囲気に流されるなんて、そんなの……なんか違うだろ。
俺は、自分が思っているよりも情けなくて、弱いやつなのかもしれない。
そんな言い訳じみた考えが脳を支配し、俺は再びため息を吐く。
そもそも、何で心音は、いきなり俺を誘ってきたのだろうか。
告白した時は、振られたのに……
だって、ああいうのって好きな人同士でやるもんだろ?
俺は、昨夜の心音の行動の真意を理解できず、心に霧のようなモヤがかかっているのを感じながら、いつまでも悶々とする思いを抱える。
……というか次、心音と会った時はどんな顔してりゃ良いんだよ。
色々と考えることが多くて、俺はただ頭を抱えて悩むだけ。
……ほんと、何やってんだろ。
俺が昨日感じたものは、俺の求めていたものと、遠くかけ離れたもののようにも感じるし、とてつもなく近い何かのようにも感じる。
……案外、あんなものなのかもしれないな。
少しの憧れを抱いていた『性』というものが、漠然とした凄いイメージがあっただけ、その実の片鱗を覗いてしまった今となっては、この世の全てを知ってしまった賢者のように、謎の脱力感に苛まれる。
あれ?そう言えば、今って何時だ?
早朝の空気が外から感じられなかったからか、そこでふと、そう思い立った。
窓から差し込む暖かい光は、随分と高い場所からこちらを照らしているようにも感じる。
嫌な予感を抱きながら、俺は柱に掛けてあるアナログ時計を恐る恐る、覗き見た。
「……遅…刻、、」
やがて、頬を引き攣らせながらそう呟き、俺はその場から走り出す。
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