第45話 相合傘

「せんぱい、せんぱい。これって所謂、『相合傘』ってやつですよね?」


「……あぁ、まぁ、そうだな。」


「せんぱい、ボクたちラブラブですね♡」


「……だから、それやめろって。」


止まず降り注ぐ雨粒が、右手に持つ小さな傘に微かな振動を伝える。


雨の降る空の下、1つの小さな傘の中に、身を寄せあう男女2人の姿が、そこにはあった。


傍から見れば、お熱いカップルにでも見えるのかもしれない。


銀髪の可愛らしい少女が、無愛想な表情を浮かべる男に、限界まで体を預けているその様は、見るものが見れば、羨ましさと嫉妬心で爆発してしまうかもしれない。


しかし前述の通り、俺は今、極限まで表情を無にしている。


なんなら、少し嫌そうな顔をしていることだろう。


これでは、とてもじゃないが、『仲満悦の恋人同士』と言い切るのは難しいところだ。


……まぁ、この際、傍目から俺たちがどう見えているかは、置いておくことにして。


心の中で、はぁ、と息を吐き、今も右半身にピッタリとくっ付いて離れない感触の方へと目を向ける。


「……どうかしました?」


すぐ横から向けられる視線に気付いたのか、ほぼ同時に、彼女も俺の顔を不思議そうな表情で見上げてきた。


「…………」


宝石のように輝いて、中身の透き通った真ん丸で大きな碧色の瞳。


精巧に造られた人形のように、綺麗な筋の通った鼻に、薄くピンクに染まった小さな唇。


触れることすら烏滸おこがましく感じてしまう程、整った容姿を間近で直視した俺は、何だかいたたまれない気持ちになり、そっと目線を外に逸らした。


「あっ!せんぱい!どうして目を逸らすんですか!!」


心音が、不満そうにムッと頬を膨らませながら、そう声を上げる。


いや、俺だって別にわざとじゃないんだが、謎に変に意識してしまったみたいだ。


そりゃ考えてもみろ。絶世の美少女が、同じ傘の元、その柔らかい体を、これでもかというほど押し付けてきているんだぞ。


これで意識しない男児が、この世に一体、何人存在するのか。


きっと、『何も感じない』という人間を数えた方が早いのは、間違いないだろう。


俺だって、理性を食い止めるために、何ともない風を装ってはいるが、正直、今にもその箍は外れてしまいそうだった。


というか、幼馴染である貴音を除いて、女子と関わる機会が全くと言っていいほど無かった俺からすると、美少女に柔らかい体を押し付けられるなんて、刺激が強すぎて死にそうだった。


……あれ?というか俺って今、めちゃくちゃキモイな。


ふと冷静になって、自分の脳内での声を振り返ってみると、なかなかに気持ち悪いことばかり考えている。


……おいおいどうした黒池晋道。お前はそんなキャラじゃないだろ。もっとクールに振舞っていけ。


俺は、自分自身にそう言い聞かせ、少し落ち着いてから再び心音の方へと視線を戻した。


「すまんすまん、お前があまりにも可愛すぎたもんで、直視するに耐えられなかったんだ。」


「……まぁ、せんぱい。口が上手ですね♡それは告白と受け取っても?」


「……何故そうなる。」


ダメだ。こいつには勝てない。


俺は瞬時にそう察し、一瞬で素の状態に戻ってしまう。


というか、告白で思い出したが、俺って1度心音に告白したんだったな。


あれは、少し前の金曜日。


放課後のボロ公園での1幕を、俺は思い出していた。


もちろん、本心からの告白ではなかったが、それでもかなり本気っぽい雰囲気を出していたと思う。


……断られたってことは、恋愛対象としては見られていないってことだよな。


それが果たして、嬉しいことなのか悲しむべきことなのかは微妙だが、まぁ、難しいことは考えずにいるべきだな。


あとは……あれだな。


小林が俺にした忠告。


……【白雲心音】は普通じゃない。


それが一体どういうことを意味するのか、俺にはよく分からないが、親友である小林の言葉だ。


きっと、小林なりの考えがあってのものなのだろう。


かと言って、その言葉だけを鵜呑みにして心音を拒絶するのも何だか違う気がするし……


一体、俺はどうすれば良いんだ?


「……せんぱい?何かお悩みですか?」


俺が、そう頭の中で考えていると、それに気付いた心音が、心配そうな声色で声を掛けてきた。


「……あぁ、いや、うん。別にどうともないな。」


「……本当ですか?とても暗い顔をしているように見えたんですが……」


「それは……ほら、あれだよ。あれ。逆光だ。」


「……夕陽は雲で隠れてるんですけど……」


「……もう何でも良いだろ。そもそも、お前に心配される謂れはねぇし。」


俺は適当な言葉で、そう心音をあしらう。


「……うーん。」


すると、心音は唇に指を添え、何かを考える素振りを見せ始めた。


「…………」


その様子に少し疑問を抱きながらも、これで、心音も余計なことは言ってこないだろうと思っていた、その瞬間、


「……今日、ボクせんぱいの家に行きます。」


心音の口から、そんな言葉が吐き出された。


「……は?」


色々と聞き間違えたのかと思い、単語1文字でそう返す。


しかし、俺の耳は何も間違っておらず、心音は再び同じようなことを口にした。


「ボクがせんぱいの家に行って、その場で料理を作ります。」


「……意味が分からないんだが?何故そうなった?」


「だって……何だか、今日のせんぱいは元気がないですし、よく見ると、顔の血色もあまり良いとは言えません。なので、ボクが今日、せんぱいの家で手料理を振る舞います。」


「いや、待て待て。色々とツッコミたいところが多すぎる。まず、俺はいつも通りのデフォルトだし、飯もしっかり食べてる。あと、料理も面倒だと思ってるだけで、やろうと思えば全然……」


苦労せずに作れる。そう言いかけたその時、心音はいきなり、右半身を引きちぎるくらい強い力で、俺の右腕を掴んできた。


「いいえ!これはもう決定事項です!ボクは今日、せんぱいの家に料理を作りに行きます!」


「いっっ!?きゅ、急に大声を出すな!あと、痛いから離せ!」


心音の細腕から伝わってくる意外な馬鹿力に驚きながらも、俺は心音を引き剥がそうと悪戦苦闘する。


隣をすれ違ったおばさん2人に、お熱いわねぇ。

なんていう言葉と、微笑ましいものを見る優しい眼差しを背に向けられながらも、2人もつれ合い、俺たちは帰路を辿るのだった。

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