第44話 ナンセンス
「あっ、せんぱーい!」
シトシトと、子気味よい音を奏でながら地へと降り注ぐ雨を眺めていると、不意に背後から大きな声が聞こえてくる。
少し前の俺ならば、自分とは無関係だと決めつけて、この声に一切の反応も示さなかっただろうが、何故か自分でも驚くほど自然な動きで、俺は後ろを振り向いた。
「……白雲か。」
「心音って呼んでくれても良いんですよ?」
「アホ言え。そこまで親しい間柄じゃないだろ。」
「ボクは名前で呼び合えるくらい、せんぱいと仲良くなりたいと思ってます。」
「……そうかよ。」
銀髪碧眼の美少女。白雲心音は、俺の隣へと並びニコッと微笑む。
……本当に一人称を『僕』にするとかいうやつを実行してるんだな。
そんな心音の横顔を眺めながら、俺はふと思い出す。
先日、フランス料理店で心音が宣言した一人称変更のくだりは、その場限りの例えか何かだと思っていたのだが、どうやら心音はそのつもりではなかったらしい。
……あるいは、元々の一人称がそうだったのかもしれないが。
心音があの時、一人称の話を持ち出したのは、もしかすると、俺と話す時にわざわざ自分の一人称を気にすることが面倒になったとか、そんな理由があったんじゃないかと思っている。
まぁ、どちらにせよ心音との距離感は少しだけ縮まった気がしている。
……それが果たして、良い事なのか、悪いことなのかはおいといてな。
「……どうしました?もしかして、やっぱり変ですかね?ボクって言うの。」
俺が心音の顔をじっと見ていると、心音は少し、不安そうな表情で俺へとそう尋ねてくる。
「……いや、良いんじゃないか?ボクっ子。萌えるだろ?」
「……せんぱいってそんなこと言うキャラでしたっけ?」
「俺は案外平気でそういうこと言うぞ。」
そんなこんなで軽口を交わしていた俺たちだったが、話が一段落落ち着くと、心音は思い出したかのように再び口を開く。
「ところで、せんぱいはここで何をしていたんですか?」
「……見ての通り、雨の勢いが弱まる瞬間を待ってた。」
「もしかして、走って帰るつもりですか?」
「……生憎、今日は傘を持ってきていないもんでな。」
俺は、肩を竦めながらそう言葉を零す。
今の時刻は午後4時過ぎ頃。
今日の授業は全て終わり、帰宅部の俺はさっさとお家に帰る時間である。
……そういや、興味ある部活探しとくとか小林に言っておきながら、部活のこと全く考えてないわ。
先週の金曜日、放課後の小林との会話の中で、部活動について話していたような気がする。
……小林がやけに部活動を勧めてきて、小林の厚意を無下にするのもどうかと考えた俺は、確かに部活動を考えておくとか抜かしていた。
結果、この有様だが。
……それはそうと、そういえば、今日は心音との関係性を誰にも問い詰められなかったな。
俺はふと、今日1日を振り返り、とてつもなく平和だったことに疑問を抱いた。
先週の金曜日を思い出したことで、ちょうどその日に起こった、学校中の男子という男子から質問攻めに遭うという、あの地獄のような光景が脳裏に浮かんでくる。
あれら全てが女の子だったら全然構わないんだが……いや、それでも怖いが、正直言って、週明けの今日も、同じようになるんじゃないかと危惧していた。
ところがどっこい、そんなことはなく、初めからそんな話題などなかったかのように、今日という日が終わったのだ。
……受け入れてくれた。ってことで良いのだろうか?
俺は、頭を捻りながら、うーん。と唸る。
いや、そもそも俺と心音は決してそういう関係ではないのだが、誰も話題にしなくなった。ってことはそういうことだよな?
それか、俺が頑なに同じようなことしか言わないから諦めたか……
と言っても、俺がいくら考えたところで答えが出ないことなので、最終的に話題にされなくなったならそれで良いや。と考え、俺は、この思考に蓋をした。
「せんぱーい?おーい、せんぱーい?」
「……え?あぁ、どうした?」
「あ、やっと反応した。せんぱい、心ここに在らず状態でしたよ?」
こうして、思考の海から戻ってきた俺だったが、すぐ横の心音は当然、いきなり黙った俺の様子にさも疑問を抱いたことだろう。
「呼びかけても全然反応しないんで、ボクってきり嫌われちゃったのかと心配になりました。」
「あー、すまん。ちょっと考えごとしてた。」
「……こんなに可愛い後輩が傍にいながら、妄想にうつつを抜かすなんて、これは後でお仕置が必要ですね♡」
「いや、妄想じゃねぇし。考えごとって言っただろ。あと、なんで最後の語尾を変な感じに言うんだ?なんか気持ち悪いぞ。」
「……それは流石に言い過ぎってものですよせんぱい!ボクも普通に傷つきます!」
「……あー、確かに今のは言い過ぎたかも。」
その後、心音から女の子に対しての言葉遣いについて説教を受け、半分くらい聞き流しながらも、10数分後、やっとのことで俺は帰路に着くのだった。
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