第3話 彼の隣
……あの女、誰だろう。
曇り空の下、鬱陶しいほど明るい声が辺りで賑わう中、ボクは談笑しながら前を歩くある生徒2人組を、一定の距離を保って観察していた。
1人は男、もう1人は女。これだけで、最近の若い人は結論を出しがちだ。
ボクも恋人?という考えが、一瞬脳裏にチラついたけど、まぁ、そんなことはもうどうでもいい。
……どうせ彼はボクだけのものになるんだから。
「……ふふっ。」
思わずニヤけてしまう口元を手で覆い隠す。
あの女が彼の恋人であろうが、そうでなかろうが別にどうだっていい。
確かに今、彼の隣に立っているあの女は死ぬほど気に食わないけど、ボクの視界に彼が映っているということだけで、ボクの心は満たされていた。
あの女は、せいぜい今の幸せを噛み締めているといい。
……彼の隣は絶対にボクが貰うから。
やがて、そうこうしているうちに、学校の門の前へと辿り着き、彼とその女は、門の内側へと入っていった。
ボクも、その少し後に学校の門を潜り、今まさに校舎の中へと入っていこうとしていた、あの忌まわしい女を睨みつけながらボクは教室へと向かうのだった。
「えぇー!?好きな人ができた!?」
「……声が大きいよ真奈。」
現在、まだボクたち以外の人が教室に存在しない中、ボクは友人の【
それはもちろん、ボクに好きな人ができたということである。
真奈は、信じられないといった表情で、ボクの顔をまじまじと見つめ、やがて口を開き、
「……あの『絶対に堕とせない女子』不動の1位の心音が、まさか恋なんて……」
と、呟いた。
……そんなランキングに入れられてたなんて知らなかったけど、正直、彼以外の評価なんてちっとも嬉しくないので、なんと言われていようと構わない。
「ち、ちなみに!だ、誰なの?」
真奈は興奮を抑えるかのような口振りでボクに、彼の名前を言えと、そう催促する。
「……えーと、【黒池晋道】だったかな。」
昨日、必死になって聞き回って、やっとありつけた彼の名前を口にする。
すると、それだけで全身がどうしようもなく熱くなっていくのを感じた。
……えへへ、彼の名前、やっぱりボクの名前と似てる。
ボクの愛する彼の名前は【
それだけのことなのに、何故か嬉しさが止まらなくて、昨日の夜は全然眠れなかった。
ボクが表情を崩して、彼のことで頭をいっぱいにしていると、
「え?【黒池晋道】?……私、その人知ってるよ。」
と、ボクが聞き逃せないことを真奈は口にした。
「……え?」
真奈が彼を知ってる?
なんで?
もしかして、彼のこと好きなの?
ボクから彼を取ろうとしてる?
真奈がボクの邪魔になる?
……先に消した方がいい?
様々な考えが頭をよぎり、ボクは衝動に駆られるままに、鞄の中からよく研がれたハサミを取り出した。
教室の照明から発せられる光がハサミに反射し、鋭利な先端を光らせる。
そしてボクは表情を消して、真奈の方を向くと、スっと目を細めた。
「ちょっ、ちょっとタンマ!まずはその危ないの仕舞おう!違う!そういうことじゃない!その先輩のこと狙ってるわけじゃないから!」
真奈がボクに必死に何かを訴えている。
だけど、その言葉はボクの耳を通り過ぎて、全く頭に入ってこない。
フラフラと席から立ち上がり、その場で凍り付く真奈へと近付いて、ハサミを振り下ろそうとしたその時、
1年生の教室が並ぶ廊下が、もう随分と騒がしくなっていることに気付いた。
……さすがにここじゃ不味いか。
最後の理性が働いて、ボクの行動に待ったをかける。
……そういえば真奈から、ちゃんと理由も聞いてない。
ボクはハサミを持っていた腕を下げて、それを、怯える真奈の前で鞄の中へと仕舞う。
それとほぼ同時で、教室の扉が開かれた。
「チース、今日も一日頑張りま……は?」
扉を開けて入ってきたのは、このクラスのお調子者。【
ただ、未だこの2人しか居なかったこのクラスに先駆けるには荷が重かった。
片や学校でも知らない人間などいない、銀髪碧眼の超絶美少女。
もう片や栗色の大きな瞳に、ウェーブがかった茶色のショートボブの、今は何故か暗い顔をしているが、普段は明るそうな雰囲気を纏ったこちらもまた相当の美少女。
この2人の作り出す領域に踏み込むには、山田の顔面偏差値が圧倒的に足りなかったのである。
「お、おう、お取り込み中か……これは失礼した。」
そう言いながら、山田は登校して早々に教室から出ていった。
いや、そうするしかなかった。
一見すれば、それは見目麗しい少女2人が、楽しく談笑していたようにも見えたであろう。
しかし、当の本人たちは楽しい談笑など、とうにしておらず、一瞬前など事件が起こりそうな予感すらあったのだ。
「……ごめんね、いきなり。」
「……いや、普通に殺されるかと思った……」
ボクはとりあえずで彼女に謝る。
彼女は未だ怯えながらもそう返事した。
「……そういえば、さっき彼のこと知ってるって言ってたよね。なんで知ってるの?」
「……この空気でよく私と話そうと思えるよね。」
真奈は、引き攣った笑みを浮かべながらボクの方を見る。
……そんなの当たり前だよ。
彼の情報収集は欠かしてはならない。
彼にボクを知ってもらうには、先ずはボクが彼を知らないとね。
そんなボクの様子を見て、ため息を吐いた彼女は、「まぁ言いけどさ。」と呟いて語り始めた。
「いや、その先輩。なんか昔から喧嘩がちょー強くて【無敗の男】なんて称号が付けられてるって話があってね、この話を部活の先輩からこの前、聞かされたってだけ。」
……喧嘩。
そう聞いて、思い出すのは昨日の1件。
昼休み、屋上の前で、あの気持ちの悪い害虫からボクを彼が助けてくれた、あの1幕である。
あの時は、喧嘩にすらなっていなかったけど、彼の動きを見たら分かる。
彼はその噂に負けない程の強さを持ってる。
……素敵♡
カッコよくて、優しくて、しかも強いなんて……
「……あはっ。」
自然と口から笑みが溢れる。
やっぱり好き。どうしようもなく好き。早くボクのものになって欲しい。
……でも。
「……でも、我慢。」
今は、まだダメ。
一方的に愛を伝えたって彼は絶対に振り向いてくれないし、彼に迷惑だ。
そんなことしたら逆に嫌われちゃう。
そんなの嫌だ。彼に嫌われるくらいなら死んだほうがマシ。
だから……
……彼をちゃんとボクに依存させないと。
その為には準備がいる。
それまで彼のことを、もっと知らないと。
「……なんだか、心音に目を付けられた先輩が可哀想に思えてきた。」
真奈は、どこか諦めたかのように呟いたが、当然それはボクの耳には届かず、暗い曇り空からは、ポツリ、ポツリと雨が降り始めるのだった。
……ちなみにこのクラスの前では、誰が1番最初に教室の中に入るのかという問答が、山田を筆頭に10分程度行われていたのだが、それはまた別のお話。
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