白邪と呼ばれし子らの力
もはや迷っている時間はなかった。
それだけじゃない、選択肢すらなかった。
この隠れ家が、早速
すぐに、騎馬兵の集団が現れた。
数は全部で三十人、数えられたのはそこまでだった。
「見つけたぞ!
「
「いたぞ、あそこに! 皆の者、光の御子は健在! 無事だぁ!」
「くっ、奴ら! 御子様になにを!」
もう一度だけ、リュカは隣のミサネを見上げた。
彼女も、リュカの視線に無言の頷きを返してくる。
そこには、絶大なる信頼が行き来していた。リュカは、先程の言葉をミサネが完全に体現してくれると確信していた。そう、彼女は不器用だが、無知でも無能でもない。ましてや、狂奔に荒れ狂う猪武者でもないのだ。
そのミサネが、背負った雌雄一対の
槍のように柄が長く、戦端は巨石を研ぎ澄ました
「ミサネ、頼む。僕が背中は守るから、振り向かなくても大丈夫だ」
「わかった。いつも通り……前だけ見て、片付けるっ!」
不意にミサネは、両手に携えた得物の片方……左手の武器を背後に投げ出した。
ドンッ! と勢いよく、小屋の壁に戦斧が突き立つ。
リュカには、それが手加減して軽く放ったように見えた。
だが、人間の騎士たちは突然の奇行に目を奪われた。
文字通り、突然捨てられた武器ばかりを皆が見ていた。
その時にはもう、ミサネは
「……はっ! し、しまった!」
「こいつ、どこかで見覚えが、グッ! ガアアアッ!」
「ええい、
「し、しかし、隊長! こいつはっ!」
ミサネは一瞬の隙を衝いた。
その隙すら、自分で作り出したのだ。
武器の片方を突然捨てた、それを人間たちは自然と目で追ってしまった。そして、騎馬兵たちとの距離は僅かに数十歩。それは、ミサネなら一息の踏み込みで殺せる距離だった。
あっという間にミサネは、相手の
高さのある騎馬兵に対して、長柄の武器を地面に突き立ててバネにする。宙を舞った彼女は、あっという間に数人の男たちを落馬させた。
「よしっ! ミサネ、決して殺さないでくれ! 難しいだろうが、頼むっ!」
先程、リュカは頼んだ。
ミサネの
――決して殺さないでくれ。
人間たちは魔族の敵で、そうと望まぬ者たちをも戦いに巻き込んだ。そして、人間側から見れば魔族こそが侵略者として認識されているだろう。
それでも、命を奪う必要性は今はない。
今は戦争ではないし、リュカたちに戦う必要はないからだ。
「おいリュカ! 俺も援護していいよな? 殺すなって感じだろ、多分っ!」
すぐにヤリクが弓を構える。
どうやら寝る前に、警戒心が
その時にはもう、ミサネは竜巻と化していた。
振り回す戦斧がしなって唸る、烈風の
バタバタと人間たちは無力化されていった。
「……よし。リュカ、これでいいだろう? 殺せるけど、殺さない。リュカが言うなら、それはいいことだぞ」
フンス! と鼻息も荒くミサネが振り返る。
そこには、得意満面な子供の笑みがあった。
だが、人間たちにとっては恐ろしかっただろう。ミサネはたった一人で、刃を血に濡らすことなく……押し寄せた騎士たちの全員をやっつけてしまったのだ。それも、誰一人殺さずに。
激痛に呻く声の連鎖は、彼女の絶妙な加減を耳元に物語る。
すぐにリュカも、石剣を手に周囲を見渡した。
「ヤリク! 周囲を警戒してくれ! 風に聴けば、後続が知れる。ナーダはマヨルを、とにかく服を着てもらってくれ。ヨギ、鳥走竜の準備を!」
思うことだけ叫んだし、それ以外は考えられなかった。
一刻も早く、この場所を去る。
万全の準備を欲して望んでても、このまま北へ旅立つしかないと思えた。
そのことを考えて疑念を逃がす。
どうしても考えたくないことを頭の中から追い出そうとした。
だが、リュカはこの場所が襲われた原因をついつい知ろうとしてしまう。
「ちょ、ちょっと、リュカ君!」
「いいから服を着てくれ、マヨル! ……くっ、次が来るか」
ミサネはすぐに、人間たちが乗ってきた馬の尻を次々と叩く。魔族の地域では馬は飼育していないし、得られれば食肉として加工してしまう。魔族が騎馬として乗るのは、
次々といななきが連鎖して、馬は四方八方へと走り去ってゆく。
だが、後続の敵がすぐに来る気配がして、リュカは焦りを募らせた。
反面、ヤリクは落ち着いて仲間たちの行動をフォローする。
「おーい、ミサネ。ほらよっ! お前なあ、ブン投げるなら一声かけろよな」
「ご、ごめん。すまない。誰もいないとこに投げたし、小屋も壊してない」
「わかってるよ。それで? ずらかるんならもう一働きだな」
「うんっ! リュカ、あたしに命令してくれ。次はどうする? 次は
ミサネの目は、輝いていた。
それがまた、際どい美しさにぎらついている。彼女にとって戦いは
ヤリクから先程投げた戦斧を受け取ると、ミサネは
だが、リュカはそんな彼女の腕を抱き寄せた。
「ミサネ、このまま殺さず次もやっつけられないか?」
「むむ? むう……難しい、けど、できるぞ」
「なら、頼む。でも、お前は絶対に死ぬなよ」
「はは、それは当たり前だ。あたしは死なないし、死にたくないぞ」
「なら、僕たちみんなで生き残る。逃げ切るぞ!」
「おうっ! なら、あたしが
その時だった。
空気が鳴いて、切り裂かれた。
同時に、よろりとよろけたミサネが大地を踏み締める。僅かに膝を落としたが、彼女は決して屈することはなかった。そして、悲鳴さえも噛み殺す。
ミサネの肩に突然、矢が生えていた。
そのことに自分でも気付いて、ミサネは目を丸くする。
「お、おお……いたたー、痛いぞリュカ。凄く、痛い」
「ミサネッ!」
「痛いのは、生きてるってことだ。まだ死んでないぞ」
すぐにリュカは前に出た。
そして、二射目の矢を切り払う。
石の刃が唸って振るわれ、高速で飛来した矢を叩き落とした。これは人間には難しいらしく、身体能力に秀でた魔族だけの芸当とされている。
だが、手応えを手の痺れに感じて、リュカは奥歯を噛み締めた。
「この矢……来たっ! ミサネは下がってくれ! ここは僕が!」
すぐに次の騎馬兵が来た。
そして、今までの兵士たちとは違うとすぐに知れる。
その先頭に立っているのが、アシュラムだからだ。彼が連れる騎士たちは皆、教会の紋章が入った純白のマントをなびかせていた。
その手に握られているのは、機械式の
人間が手で弓を引き絞るよりも、何倍もの力で発射される装置である。
アシュラムはそっと手を上げ、後続の射撃を一時的にやめさせた。
「リュカ君、だったな。なるほど、情報通りにここにいたか。光の御子を返してもらう」
「アシュラムッ! ……その前に聞かせてほしい。
リュカの言葉に、アシュラムは
それは暗に、何の話だと質問を返してくるようにも見える。
同時に、後続の騎士たちも顔を見合わせていた。
やはりかと、不安がよぎる。
そして、まさかとも思えるし、疑念は渦巻き高まっていった。
「リュカ君! 君たち白邪は、敗戦後も交渉を持とうとした御子の意思を汚した。彼女の純真な想いを踏みにじり、あまつさえ御子を誘拐したのだ」
「あのままだったらマヨルが殺されてた、僕はちょっと前までそう思ってた」
「どうして我らが、光の御子を殺す? 彼女は救世主、異世界より降臨された神の使徒なのだ!」
リュカは一瞬を永遠にも感じた。
アシュラムとの問答の中で、繰り返し何度も自分の中に確認した。本当に自分がしたいこと、その根っこになる気持ちと考えとを整理する。
魔族と人間、果てることなき争いの日々。
だが、それよりも彼にはマヨルの言葉が刺さっていた。
あの時確かに、涙を見た。
その前に、この世界には存在しない
リュカは一度深呼吸して、石剣を下ろす。
「そんなの関係ないっ! マヨルは帰りたいって言ったんだ。僕はそれを聞いた! 彼女は救世主でも光の御子でもない……ただ家に帰りたいだけの女の子だ!」
剣を握った右手とは逆の、左手を持ち上げアシュラムにかざす。
リュカの手に、燃え盛る紅蓮の炎が隆起して跳ね上がった。
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