4.決めた、誓った、だから

束の間の平穏

 とりあえず、リュカたちはミサネの言う隠れ家へと移動した。

 そして、リュカは知る……自分が思っていたよりも、伯父おじが用心深い男だということを。ワコ族の族長アガンテは、戦争の勃発ぼっぱつ以前からこうした場所を複数用意していたらしい。

 全ては、撤退する魔族が一人でも多く、故郷へ帰れるように。

 負けるつもりはなくても、敗退と潰走に心を砕いていたのだ。


伯父貴おじき、やるじゃないか……僕は、やっぱり助けられた)


 リュカはまどろみの中で夢を見ていた。

 川沿いで水車を回す、小さな山小屋に辿り着いてどれくらい経っただろう? 到着と同時に皆、泥のように眠った。なにせ、一晩中歩き詰めだったのだ。

 自分くらいは見張りに立とうと思ったが、リュカも睡魔に屈したのだ。

 そして今、去りし日の追憶がおぼろげに浮かび上がる。


(あれは……僕だ。どうしてこんな、今更になって)


 小さな男の子が泣いていた。

 それは、まだ幼かった頃のリュカだった。

 あの時分、いつも泣いてたのをよく覚えている。

 分別が曖昧あいまいな子供たちはいつも、角がない銀髪のリュカをからかった。人間との混血児という事情は、まだまだ未成熟な心には響かない言葉だった。

 だから多分、あの日もリュカは泣きながら家路を歩いていた。

 恰幅かっぷくのいい伯父が出迎えてくれたのは、彼がたまたま仕事で自宅にいたからだ。


『なんだ、リュカ。お前はまた泣いているのか』

『だって……だって、僕には角がないから』

『泣いても角は生えてこんぞ? 全く、誰に似てこうもメソメソと』

『ごめん、なさい……』

『責めとりゃせん! だから、謝るんじゃない。フン!』


 伯父は、その頃は族長になってまもなかったと思う。

 多忙な上に、大変な立場でもあったと今は理解している。

 伯父の兄、つまりリュカの父親は人間を妻に娶った。よく覚えていないが、とても美しい女性だったとは聞いている。

 そして、リュカの両親は戦火の中で命を落とした。

 魔族は絶えず、戦争と戦争の合間にしか生きていけなかったのだ。


(確か、教会が人間の社会で台頭してきたのも、この頃だったっけ……?)


 記憶は曖昧だが、不思議と眼の前の光景には覚えがある。

 アガンテはやれやれと大きく溜息を零し、周囲を見渡した。ワコ族の集落は小規模ながら、水場を中心に広がる豊かな土地だった。他の氏族も多く出入りする、ちょっとした交易都市である。

 樹と藁で作った家屋が並ぶ中、族長アガンテとリュカの屋敷だけが石造りだった。


『もう泣き止みなさい、リュカ。くそっ、本当に兄上も困ったもんを残してくれた』


 ワシワシとリュカの頭を乱暴に撫でてから、アガンテはひょいとリュカを抱き上げた。肥満気味の小男だが、伯父の肩に載せられれば景色が一変した。窓から見下ろす光景が、広く遠くまでよく見えたのを覚えている。

 リュカは生涯、忘れはしないだろう。

 豊かな土地と、束の間の平和……伯父が必死で治める町の光景を。

 それは徐々に色あせて、遠く霞んでゆく。

 再び思い出を胸の奥にしまって、そうしてリュカは覚醒した。


「ん、あ……ふう。どれくらい寝てたんだ? みんなは、ッガ!」


 脳天に衝撃を受けた。

 雑魚寝さこねだったからだ。

 藁を敷き詰めた、極めて簡素な納屋のような小屋だ。外で回る水車の音だけが、連なり重なる寝息に入り交じる。見れば、すぐ近くにヤリクやナーダ、ヨギも寝ていた。

 寝相の悪さで頭を蹴っ飛ばしてくれたミサネも、逆さまになって眠っている。

 外から差し込む光は、太陽が既に一日を折り返したことを告げていた。


「随分寝たな……それより。あ、あれ? マヨル……マヨル?」


 一つしかない部屋の中に、黒髪の少女が見当たらない。

 確かにここに到着した時は、いの一番に倒れ込んだのが彼女だ。ここまではミサネが連れてきた鳥走竜ケッツァに乗ってもらったが、ずっとお尻が痛いとぼやいていたマヨル。その姿は、どこにもいなかった。

 慌てて飛び起き、リュカは腰に剣を帯びる。

 外に出れば、重い瞼に日差しが痛い。


「マヨル? いるんだろ、マヨルッ!」


 幸い、周囲に人の気配はない。それくらいは、リュカでもわかる。悲しいかな、何度か軍事教練ぐんじきょうれんに参加だけでそんな感覚だけが鋭敏になってしまった。

 少し歩けば街道沿いだが、そんなとこに一人で行く筈もない。

 さてと弱った、その時だった。


「あ、リュカ君。おはよー」


 気の抜けた声が背後でして、振り向けばそこにマヨルの姿があった。

 彼女は、清水しみずが流れる川の浅瀬に立っている。

 裸だ。

 黒い髪と白い肌が、強烈な印象をリュカの脳裏に刻みつけてきた。

 思わず呆然ぼうぜんとしてしまったので、マヨルもふと我に返って頬を赤らめる。


「ぶ、無事でよかった……水浴びか?」

「そ、そだよ。汗かいたもん。……スケベ」

「すまない! 戻ってる!」

「あ、待って。ゴメン、見ないで。でも、その……そこに、いて」


 異国の言葉だが、スケベというのは褒め言葉ではなさそうだ。なんとなく、破廉恥はれんちな自分を咎められた気がするし、そういう気持ちが励起しなかったといえばそれは嘘だ。

 率直に言って、ときめく程に魅力的だった。

 幼い頃はミサネやナーダの裸体に見飽きていたが、節度を持つ歳になってからはお互いわきまえている。そういう育ちを終えた今だからこそ、十分に刺激的だった。


「あのね、リュカ君。勝手に、外に出て、ゴメン」

「……いや、謝らなくていい。悪いことしてる訳じゃないんだし」

「でもほら、団体行動? 協調性は大事だし。でもさ、なんだか肌がベトベトして」

「ああ、しかたない。僕たちは体質的に気にならないけど、マヨルは人間だものな」


 それは方便で、魔族だって汗をかくし身体は汚れてゆく。

 でも、そこまで過敏になるのは人間くらいのものだ。

 思わずリュカは、自分の手の甲を鼻に当てる。許容範囲内だと思うが、ミサネはともかくナーダは気にするかもしれないと思った。

 マヨルに背を向け、水面に肌が弾ける音を聴く。

 こうしていると、戦争も逃避行も忘れてしまえそうだった。


「あのさ、リュカ君」

「ん? どうしたマヨル」

「だから、こっち向くなっての! ホント、そゆとこ! そゆとこなんだからね!」


 思わず振り返って、水をぶっかけられてしまった。

 濡れた顔を手で拭いつつ、気持ちが弛緩しかんしてゆく暖かさに抗えない。

 緊張の糸が切れかけていたが、リュカはそんな自分を無言で叱咤しったした。

 同時に、マヨルの声に耳を傾ける。


「なんだっけ、鳥走竜ケッツァ? あの恐竜さんにはさ、ナーダちゃんに乗ってもらおうよ」

「ナーダの足腰は強いぞ。魔族の娘はみんなたくましい」

「それでも、なの! ……わたし、乗り慣れてないからお尻が痛いの。それに、頑張って歩くから」

「……わかった。気を遣ってくれてるな、ありがとう」

「ううん。目が不自由だって、大変だと思う」

「わかるよ。見えてる以上でも、見えないって大変だよな」


 時々姉貴あねきぶるナーダには、いつも助けられている。

 リュカには半端者の寄せ集めという自覚があったが、仲間たちが自分と同じ劣等感をこじらせていないことはわかっていた。己もそうありたいと思うが、なかなかこれが難しい。

 それでも、敵対勢力の人間がナーダを気遣ってくれるのは嬉しかった。


「なあ、マヨル」

「んー? なぁに?」

「僕は、必ず……とは確約できないけど、お前を元の世界に帰してやりたい。それだけは約束する」

「……ありがとね。でも、無理は――」

「無理じゃない。多少の無茶はするし、それを無駄だとは思わない」

「にはは、マジかー。格好いいじゃん。じゃあ、うん」


 岸へと上がる足音が聴こえた。

 着衣も空気も、生まれたままのマヨルと自分とを隔てている気がしない。

 変に意識してしまって、正直リュカは自分が情けなかった。

 顔が熱いのは、そういう恥ずかしさだと自分に言い聞かせた。

 だが、そんなうぶ痒い時間が唐突に終わりを告げる。

 突然、バン! と小屋の扉が蹴り開けられた。


「リュカ、追手だ! ひづめの音が聴こえるってさ! 俺にも、この距離だとわかる!」

「数は十や二十じゃないですね。……って、リュカ!? なっ、ななな、なにを――マヨルさんになにを!? 水が教えてくれるのは、裸じゃないですかっ!」

「ナーダさん、落ち着いてください。あと、リュカさんはあっちです」


 仲間たちも目を覚ましたみたいで、しかし挨拶も朝食も今は贅沢に過ぎた。楽しむ余裕がないし、永遠に楽しめなくなるかもしれない。

 リュカがほおを叩いて空気を変えると、すぐに殺気が感じられた。

 集団で騎馬にのって、整然と近付いてくる。

 地面がとどろく、その揺れさえも感じられた。


「みんな、マヨルを守ってやってくれ!」


 リュカは腰の石剣せきけんを抜刀する。

 多勢に無勢はわかっているが、約束したのだ。

 マヨルを必ず、もといた世界に帰してやると。

 自分を奮い立たせれば、その横にぬぼーっと細長い影が立った。見上げれば、まだ夢うつつといった雰囲気で、眠い目をしょぼしょぼさせてるミサネの姿があった。


「リュカ、おはよ……眠い。お腹も、減ってる、気がする」

「ミサネ! 悪い、頼めるか?」

「ん、いいぞ。あたしが片付けるから、リュカはみんなを守って」

「それと、もう一つだけ! お前の強さを見込んで、この通りだ」


 自分でも、甘いことを言っていると確信していた。そして、その気持ちをミサネに押し付けている自覚もある。

 それでも、驚いたように目を見開いたミサネは……大きく頼もしくうなずくのだった。

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