照らす朝日がもたらすもの

 絶壁、という程の岩盤ではなかった。

 ただ、アメアが言うように……それは大地の裂け目、亀裂でしかない。前後から来る圧迫感の中で、リュカは上だけを見て手を伸ばす。

 すでにもう、先に登ったヤリクがロープを下ろしていた。

 これはマヨル用で、ナーダにも使ってもらうことにした。

 そして、リュカには頼れる友人の案内があった。


「リュカさん、そこの黒い岩を右手で。崩れる心配はないので、体重をかけても大丈夫です」

「ああ、助かる。ヨギ、周囲に人の気配はないか?」

「足音は聴こえてきませんね。さっき、ヤリクさんも心配ないと言ってました」

「とんだ大事に巻き込んでしまったな。すまない」


 ヨギの象精アーズは、土だ。対となる樹の力も借り受けることで、地面に関わる物事に対して鋭敏な感覚を得られる。一族の間でも、土の象精は広く求められる最も一般的な力だった。

 魔族や人間の別なく、人は皆がこの大地に根ざしている。

 必定、風や水も全て自然界では大地の上を流れるものなのだ。


「リュカさん、あの」

「うん?」

「さっき、なんだか難しい話をしてたみたいで、その」

「ああ、独り言さ。光の御子みこが昨日の会談で、とんでもないことを言い放ったからな」


 もう既に、空は白み始めているらしい。

 そして、見下ろすヤリクの顔も見えた。

 アメアが案内してくれた通り、最後こそ難儀なものの無事に坑道を通過したようだ。ほぼ垂直に登ってまもなく、外の風さえも感じられるようになる。

 ヨギのお陰で無駄な体力が消費されなかった分、自然とリュカは多弁になった。


「信じられるか、ヨギ……マヨルの世界では、話し合いと多数決で誰でも族長になれるらしいよ」

「へっ? それ、まずいじゃないですか」

「まずい、かな」

「まずいですよ、だって誰でもって……こ、怖い人がなったら、困るじゃないですか」


 意外だなと思ったが、リュカはそれをおかしいとは思わなかった。

 ヨギは一族の中でも発言力が弱い。父親が商売をやっており、人間とも手広く交易を行っているからだ。そのせいか、あまりいいうわさを聞かない。そのことで後ろめたいのか、ヨギは地域の中でも隅で小さくなって消極的に過ごしていた。

 勿論もちろん、そんなことはリュカには関係ない。

 親のことを誇れたなら、それはいい。

 でも、そうじゃなくたって胸を張ればいいのだ。

 そのことはリュカ自身が、嫌というほど自分に言い聞かせていた。


「ヨギだって族長になれるってことだよ。マヨルの世界じゃ」

「いやあ……自分には無理ですよ。それに、そういうのってやっぱり正当な資格のある人じゃないと」

「やっぱ、そうか。血縁……大事か?」

「子は親を見て育ちますからね。立派な族長の子は、将来は立派になるんじゃないですか?」


 違和感がある。

 しかし、それを言語化できないし、ヨギの言ってることは当たり前のことだ。そういう認識が一般的で、十二氏族の全てがほぼそうやって世襲で族長を選出している。

 そのことに不満を感じたことはない。

 リュカは族長であるアガンテのおいだ。

 だが、複雑な生まれ故に族長を継ぐことはないだろう。

 なりたいとも思わないが、自分がもしアガンテの直接の子だったらどうか? 血の半分が人間でも、角がなくても族長になれるのだろうか。

 そんなことを考えていると、あっという間に登りきってしまった。


「ふう、やっぱり少しキツいな。ヨギ、手を」


 這い上がって身を反らし、立ち上がる。

 狭い中を単調な動きで上がってきたから、身体が強張ってしまった。それを伸ばしてやると、気持ちのいい風が肌をくすぐる。

 すぐに振り向き、まだ闇の底にいるヨギに手を伸べた。


「だ、大丈夫です! あと少しですから」

「おう。なら、頑張れ」

「はいっ!」


 自分の虚弱さを棚に上げての話だが、ヨギは体力が弱い。

 ただ、彼と比較することで自分はまだましだとか、そういう気持ちはリュカにはなかった。昔はあって、それが態度に出てしまったこともあるだろう。今は自分に戒めている。

 それに、何かと理屈っぽくなる自分より、ヨギの方が明朗で聡いこともあった。

 そのヨギが、ようやくといった感じで上体を空気に晒す。そのまま最後の力で自分を持ち上げて、彼はばたりと大地に突っ伏した。


「はあ、はあ……登ったあ」

「お疲れさん、ヨギ」

「……さっきの、話です、けど……リュカさん」

「ああ、あれかい? なんだっけ、ミンシュシュギ? とかいうらしい」

「それって……今度の戦争で人間がそういう理屈を押し付けてくるって話ですか?」

「いや? なんていうか、マヨル自身も人間の反応に戸惑ってたよ」


 そのマヨルが、ヤリクの保持するロープを使って上がってきた。

 ぷはーっ! と大きく息を吐いて、彼女はふらふらと地表に立つ。

 黒い髪が風になびいて、まるで夜空の最後の暗さに溶け入るようだった。


「ヤリク君、ありがとっ。わたしもロープ持つね」

「おいおい、無理すんなよマヨル」

「まだナーダちゃんが上がってくるから」

「女の子がやるような仕事じゃないぜ?」

「男女同権、っていうより、わたしもなにかしたいの。……わたしのせいで、こんな大冒険に巻き込んだんだから」


 そこまで言われると、ヤリクも黙ってロープの端を持たせてやるしかない。実際、もうへとへとだが……旅は今まさに、ここからはじまるかもしれないのだ。

 北の大地は、魔族にとっても未知の領域だ。

 何故なぜなら、深い森で閉ざされた土地だからだ。

 人間も鉄と炎でその地域を切り開こうとしたが、何度も失敗している。

 その先へ、先代の御子は帰っていったという。元の世界に戻ったのか、教会のいう神様のもとに召されたのか、それはわからない。けど、行けばなにかが必ずある気がした。


「ヤリク、ナーダが上がってきたら全員に水を。僕は少しそこいらを回ってくる」

「おう! あんま一人で遠くに行くなよ」

「子供じゃないんだ、すぐ戻るよ」


 現在地は丁度、鉱山都市ワスペルの裏側だ。巨大な山を挟んで、向こう側に都市部が広がっている。真っ直ぐ山の下を貫いて突き抜けたことになるが、果たして追手は来ているだろうか?

 この辺はなだらかな草原が広がってて、身を隠す場所も少ない。

 北に進むにしても、しばらくは街道沿いに移動することになるだろう。


「……みんなに話さなきゃな。最悪、僕一人で……は、無理かな」


 リュカは、自分に特別な力があると思ったことはない。特殊ではあるが、先程のやり取りに反してまだ子供だし、子供でだけはいられない程度の男でしかない。

 そして多分、それはマヨルも同じではないかと思う。

 光の御子などと言われていても、戦いの術も知らなければ体力も弱い。本当に、見た目が違うだけで普通の少女なのだ。そんな人間を御旗みはたと仰いでまで、人間は戦争がやりたかったらしい。

 そのことにたいする忸怩じくじたる想いが今、マヨルの涙を思い出させる。

 どうしても彼女を、元の世界に帰してやりたかった。


「……夜が明ける、な」


 東の空が燃え始めた。

 ひんやりとした夜気を払って、陽の光が昇り始める。

 新しい朝の始まりに、自然とリュカは目を細めた。

 このあと、もう少し歩いて安全な場所を探そう。そして、そこで改めて話がしたい。自分はマヨルを北に連れて行くつもりだが、みんなを巻き込むつもりはないんだと。

 仲間で友達、小さな頃からの幼馴染おさななじみばかりだ。

 皆、自分の生活があるし、どの家にも必要な子供なのだ。


「そういや、ミサネも一緒だったらよかったのにな。頼もしいことこのうえない……けど、やっぱり駄目だ、ミサネは駄目だな」


 一人の少女を思い出した。

 長身の、すらりとしなやかな獰猛美グラマッシブ。その容姿に反して、酷くぼんやりと希薄な自我しかない少女だ。人間からは一角獣いっぽんづのと恐れられる、魔族最強の戦士……ミサネは今、どこでなにをしているだろうか。

 まだ寝てるのなら、夢にでも自分を思ってくれればいい。

 そこで別れを言えたならと、それこそ夢のようなことを考えてしまった。

 だが、現実は不意にそうした空想を用意に実現させてしまう。


「ん、誰か来る……? 鳥走竜ケッツァが一騎、あれは」


 風だけが鳴き響く中で、鉤爪かぎづめの音が近付いてくる。

 すぐにリュカには、追手だとわかった。

 だが、一人だけというのは妙だ。

 勿論、斥候せっこうという可能性もあるが、だとしたら大事である。既に魔族の一部が、組織だった追跡を始めていると考えたら恐ろしかった。

 同時に、人間じゃないことだけは知れて安堵も感じている。

 そして、すぐに小さな影は目の前にやってきた。


「リュカ、無事か! 無事だな? 無事だ、うん!」

「ミサネ……どうしてここに」


 やってきたのは、ミサネだ。彼女は手綱で鳥走竜を減速させつつ、止まるより先に飛び降りた。そして、まるで転げるようにリュカへ駆け寄ってくる。

 まるで、はぐれた親を見つけた幼子のようだ。

 そういえばと、リュカは思い出す。

 どういう訳か、ミサネにもの凄く懐かれてると周囲に言われるのだ。ヤリクに呆れたようににやけられ、ナーダに生暖かい視線があるかのように、そしてヨギに羨望のような響きの小声で。


「話は聞いたぞ、リュカ」

「あ、うん」

「あたしには、わからない。話がわからない、さっぱりだ! どうして!」

「いや、えっと……参ったな。誰から聞いたんだ? それと、よくここがわかったね」

「大人たちはみんな、騒いでる。大騒ぎで、人間たちも怒ってた。あと、鉱山の裏側を手当たり次第」

「わかった、わかったよ。えっと、ありがとう?」


 どうして疑問形になるのか、自分でもわからなかった。

 だが、そんな不完全な言葉にもミサネは、顔をクシャクシャにして笑うのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る