闇に思い浮かべるは御子のいた世界

 夜通し歩いての強行軍で、時間の感覚が遠ざかってゆく。

 恐らく、日付をまたいでから数時間は経過しただろう。

 疲労と眠気もあったが、奇妙な興奮が全員を支配していた。リュカはそのことに気付いてから、休息のタイミングを考えることをやめている。

 それに、祭の夜のような高揚感も無視しがたかった。


「おーい、リュカァ……まだか、まだなのかー?」

「そうだよぉー、リュカくーん! もう、疲れたあ」


 いつのまにやら打ち解けて、ヤリクとマヨルが同時に不満を口にする。その間も一同は、少し歩調が落ちた程度の速度で歩いていた。

 勿論もちろん、先を歩くアメアは疲れ知らずだ。

 そして、ずっと喋り続けている。


「子供たち、もうすぐだ! それでだね、例の石炭とは別の坑道から……って、おーい?」

「アメアさーん。その、もうすぐだ、っての何回目ですかー」

「はっはっは、マヨル。光の御子みこともあろうものが、体力がないなあ」

「現代っ子だしー、脚が棒だよぅ~」


 脚が棒、ようするに曲がらないし動かないほど疲れたという比喩ひゆか。

 マヨルは時々、リュカたち魔族は勿論、人間も知らないようなことを口にする。その都度つど、生まれて育った世界の違いが際立った。

 いわく、戦争のない世界。

 曰く、科学とかいう術の満ちた世界。

 曰く……無数の国がひしめき合う世界。

 民主主義や選挙といった価値観も、そこから恐らく生まれたものなのだろう。リュカには想像すらできないが、そんな絵空事のような理想論がまかり通るのだろうか。


「……そうか。きっとりてる世界なんだな。戦いで奪い合うことに懲り懲りだから、そういう制度が生まれた。その制度を使わないと行けないほどに疲弊して――」

「リュカ? どうしたんですか、さっきからブツブツと」

「あ、いや、ナーダ。なんでもないんだ」


 ちらりと見やれば、まだまだナーダは体力に余裕がありそうだ。

 盲目の術師といっても、普段は一家の一員として働いているのだ。基本は肉体労働だし、その合間には小さな子供たちの面倒も見たりしている。意外とタフネスなその表情は、いつもと変わらず穏やかだった。

 だが、そうでない者もいてリュカは脚を止める。

 振り返れば、最後尾を歩くヨギが息を切らしていた。


「ヨギ、荷物を。僕が全部持とう」

「いや、リュカさん、大丈夫、です。まだ」

「適度に頼ってよ、ヨギ。かなり消耗しているように見えるしさ」


 リュカとて、体力に自信がある方ではない。それどころか、剣術や体術のたぐいではヤリクにまったく及ばない。ひょっとしたら、ナーダにすら劣るかもしれなかった。

 ただ、見たままに細身で矮躯なヨギは、そんな自分にも増して貧弱だった。

 そっと荷物に手をかけ、優しくヨギから引き剥がしてやる。

 自分で分担した分の革袋だって軽くないが、まだまだリュカには余裕があった。


「すみません、リュカさん。自分は」

「いいさ、気にするなって。それに」

「そ、それに?」

「本当にもうすぐだと思う。ほら、さっき巨大な縦坑たてこうの上を渡ったろ?」

「あれは……脚がすくみました。もし落ちたら」

「うん、助からないね」


 ワスペルの鉱山では昔から、大規模な採掘が行われていた。その名残は、そこかしこで縦横無尽に坑道を走らせている。先程も、奈落のように巨大な穴の上を通り抜けた。渡された橋も古いもので、声にこそ出さなかったがリュカも肝が冷えた。

 鉱石は、魔族の生活にとって欠かせぬものである。

 日々の暮らしから戦いまで、石と樹と骨が道具の源である。

 象術しょうじゅつも便利だが、それだけでは生きてはいけないのだった。

 そのことを思い出していると、アメアが朗々と語り出す。


「さっきのデカい穴かい? あれねー、二百年くらい前のものだと思うよん? 鉄鉱石の鉱脈が当たって、根こそぎ底まで掘り尽くした時代のものさね」

「かなり大規模な採掘だったんですね」

「ああ、そうさ。人間が大量に出入りして、手を貸してくれてたからね」

「なんで仲良くできないんですかね、常に」

「向こうもそう思ってたらいいんだけどねー」


 アメアの言う通りだ。

 無益な上に無意味、そう思える戦争にリュカも何度も参加してきた。

 その都度、魔族は土地を奪われてきたのだ。

 人間の生活圏は広がり続け、その隅へと魔族は追いやられてゆく。

 ヤリクやナーダも思うところがあるらしく、話の輪に加わってきた。


「あいつらさー、火を使うけど自分で出せる訳じゃないからさ。燃やすまきのために木を切るんだよな。ちょっとならいいけど、バッサバッサいくからよ」

「そうよね。山が丸裸になってしまいます。あと、人間の火は煙いんですよ」

「まー、鉄の道具はちょっと魅力的なんだけどな。頑丈だし、種類も豊富だし」

「私はそうは思わないわ、ヤリク。鉄って、重くて冷たいもの」


 話題の盛り上がりを高めるように、僅かに歩調が強まる。冷えた汗を拭えば、徐々に疲れた身体が熱くなってきた。本当にもう少しと思うと、最後の力が湧き上がってくる。

 ヤリクは常に思ったことを口にするたちだが、ナーダは少し珍しい。

 また、こんな時もヨギは黙ってあとをついてくるだけだった。


「二人共、あまり興奮しても疲れるだけだよ。あと、ヤリク」

「ああ、すまん。俺もヨギの荷物を手伝おう」

「仕分けして分配する時間も惜しい。僕がへばったら続きを頼むよ」

「わかった、任せておけ」


 ひんやり肌寒い空気が、僅かに湿り気を帯びてゆく。

 ヤリクが言うには、外からの空気がまじり始めているという。いよいよ地の底の行軍ともおさらばかと思うと、気持ちが明るく上向いた。

 同時に、地上に出てからがようやく始まりだと自分に言い聞かせた。

 そこで一度、突発的に起こってしまったを考えなければいけない。一族を、魔族を救うために行動した結果、最悪の形で裏目に出てしまった事実もある。なにより、北へと向かうならばそれは……危険な旅になるだろう。


「ほらほら、子供たち! あと少しだ! この先で細くなっていくけど、一番目立たない出口がある。出口というか、まあ……亀裂? 這い出ていけば地上だよ」


 アメアは逆に、なんだか地表が近付くにつれて静かになっていった。時折自分自身を抱くようにして、凍えたみたいに震えている。

 そんな彼女を気遣うマヨルもまた、目に見えて疲労していた。

 だが、溌剌はつらつとした笑顔で彼女は元気よく歩く。


「アメアさんっ、大丈夫ですか?」

「ああ、外の世界に近付くとちょっとね。あまりいい思い出がないからかなー?」

「そ、そうなんですか……やっぱり、人間と魔族って仲が悪いんだ」

穴蔵あなぐらで暮らしてると、人間も魔族も関係ないもんだよ。意地の悪い奴もいれば、親切な奴もいる。そこらへん、私みたいなはみ出しものには関係ないんだよねえ」

「わたしのいた場所もそうかなあ。ヤな奴ばっかり思い出せちゃうんだけど」

「どこも一緒、一緒だよ。そう思うとあれさ、嫌な奴にもいいとこがあるかもしれない。逆もしかり、ってね」


 アメアの今までに、なにがあったかはわからない。

 リュカは、そこまで踏み込んでいいとは思えなかった。へらりと笑う彼女の言葉に、しっかりとした重みだけが確かだ。それは、まだまだ子供なリュカたちが無遠慮に触れていいとは思えない。

 ただ、アメアは不意に視界が開かれた広間で振り返る。

 どうやら、彼女の案内はここまでのようだった。


「誰とだって、挨拶を交わす程度の仲でいい。私はそうやって暮らしてるし、気の合わない奴だってそれくらいはと思ってる。そこから先はお互い次第、ってね。さ、到着だよ!」

「はあ……到着、っていうと」

「ここの広場から壁を這い登るんだ。上が地面の裂け目でね、すぐに外に出られる」


 アメアが指差す先に、微かに風が揺れている。それがヤリクには感じられるらしい。それに、ナーダも壁に手で触れて、見えぬ目を天井へと向けた。

 確かに、登って登れない険しさではない。

 その傾きと角度を、ナーダ自身の水の象精アーズが確かめてくれた。


「私たちなら登れますね。マヨルさんは……どうでしょう」

「外の空気までは、そう高さはないな。どうしてもっていうなら俺が背負うぜ?」

「それは駄目よ、ヤリク。……なんだか不安、身の危険っていうか」

「おいおい、俺はそこまで不埒ふらちじゃないぜ? まあ、尻くらい触るだろうけどさ」


 ひとまずの到達点を前にして、徐々に皆の気持ちが晴れてきたらしい。冗談も口をついて出るし、なによりもう一息という達成感の前借りが気持ちをほぐしてくれる。

 やれやれとリュカも手の甲で汗を拭った。

 そして、まだ暗くて見えない外を見上げる。

 その横で、うーんと腕組み唸りながらマヨルが並んだ。


「アスレチックか、はたまたボルダリングかって感じかな? 登れるかなあ……登らなきゃだよね」

「僕たちは問題ないけど、マヨルにはロープを使おうか? 命綱を上から垂らすから、それを使って登ればいい。先にヤリクを行かせよう」

「もー、リュカ君さあ……そういうとこだぞ?」

「は? いや、そういうもどういうもないだろう」

「んーん! そゆとこ! ま、リュカ君ってあんまし体育会系って感じじゃないし。体力なさそうだし」


 ないわけではないが、豊富かと言われれば違うだろうし、その自覚はある。

 でも、ヨギが頑張っているのだから自分も気合を入れなければいけない。

 そしてふと、妙なひらめきを感じた。

 それを思わず呟けば、マヨルが小首を傾げて顔を覗き込んでくる。


「そうか。誰にでも得手不得手があるから、普段助け合ってることを制度にしてるのか? ……何故なぜ、そんな当たり前のことがしきたりやおきてのように定められてるのか……」

「おーい、リュカ君? ありゃ、傷付いた? 言い過ぎたかなあ」

「ん、そうじゃないんだ。とりあえず登ろう」


 考えれば考える程に、謎が深まる。それがマヨルのいた世界だ。特に、その世界を統治している制度に興味を惹かれる。だが、まだまだわからないことが多過ぎた。

 もっと知りたい、マヨルの話を聞きたい。

 けど、今は一族のためにも彼女の安全を第一に考える時だった。

 一同はアメアに礼を言って、別れの時を迎える。

 せいせいすると笑いつつ……アメアはリュカたちがどうにか傾斜を岩から岩に登る姿を、いつまでも見守ってくれるのだった。

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