二つの伝説、唯一の結末

 シム族のアメアは、変わった女性だった。

 そういう人がいるという話を、風のうわさでリュカも聞いたことがある。

 曰く、石にしか心を開かないのだとか。年の頃を過ぎても嫁に行かず、日がな一日鉱山の奥底を流離さすらっている。ほとんど日の当たる場所には現れず、ちょっとした怪奇譚かいきたんたぐいになっているのだ。

 そのアメアが、マヨルを見詰めて目を細める。


「……伝説の御子みこ、的な? あの話、ほんとだったんだねえ。教会、どうやったのかなあ」


 先程までは、屈託くったくない幼子のような表情だった。

 そのアメアが今は、猜疑心さいぎしんを忍ばせた老婆のように見える。

 それほどまでに、マヨルのいでたちは目立っているのだ。

 この大陸の人間は、皆が金髪だ。肌だって、マヨルほど白くはない。着衣も、この世界では見たこともないものである。

 なにより、彼女の黒髪と黒い瞳は、伝説にうたわれた光の御子そのものに思えた。


「あ、あのう……わたし、やっぱまずい感じですか?」

「うんにゃ? 私は外の世界の話は興味ないんだ。ただ」

「ただ?」

「……その、眼鏡めがねっての、エヘヘ……触ってもいい?」


 まばたきを繰り返して、マヨルは黙った。けど、すぐに眼鏡を外すと手渡してやる。彼女はさして慎重に扱ってる風でもなかったが、おずおずと手を伸べるアメアの指は震えていた。

 そして、リュカはとなりにマヨルを見下ろす。

 やはり、眼鏡のない彼女は空虚な視線でおぼろげな雰囲気だった。

 アメアはぎこちない手付きで、眼鏡を自分にかけてみる。


「ぐっ、ふがっ! 目、目がああああっ!」

「あー、度が合わないんじゃないかな」

「なにこれ! なにこれ、なにこれっ! ……あ、待って! 頭がジンジンする」


 すぐにアメアは眼鏡を外した。

 そして、ぷるぷると弱々しく震えながらそれを返却する。

 リュカの耳元に、全てを黙って見ていたヤリクが小さくささやいた。


「な、なあ……こいつ、大丈夫か? さっさと先を急いだほうが」

「いや、もしかしたら道案内を頼めるかもしれない。話によれば、昔からこの坑道を寝床に生きてるんだ。最短で向こう側に出る道を知ってるかも」

「なるほど、あと……眼鏡? だっけ? それさあ」


 ヤリクは無造作に手を伸ばす。

 そして、元通りにかけ直そうとしてマヨルの手を握った。

 突然のことで、マヨルは「ひゃうっ!?」と気の抜けた声をあげる。


「おーい、御子様よう。マヨルって呼んでいいか?」

「う、うんっ。君は確か、ヤリク君?」

「ああ。でさ、それちょっと俺にも……つーか、ナーダにも貸してみてくれよ」

「いい、けど。あの、ナーダさんって」

「なんとなくだけどさ、こいつは目が見えるようになる道具なんじゃないか?」


 ずけずけと図々ずうずうしいのも、もってまわらない実直さと思えば誠実だ。そう思うことで、この御曹司おんぞうしとリュカとは長らく腐れ縁を育んできたのである。実際、明朗で快活な物言いはいつだってヤリクを頼れる相棒にしてくれていた。

 そのヤリクを、やんわりとナーダが止める。


「ちょっと、ヤリク! ごめんなさいね、マヨルさん。この人、馬鹿だから」

「おいおい、誰がだよ、誰が」

「ヤリク以外にいないでしょう? ……いいのよ。いつもなんでも見えてるから」

「けどさあ」

「いいの。それより今は先に進まなきゃ」


 ナーダが小さく微笑ほほえんだ。

 その穏やかな笑みを、いつもリュカたちは見てきた。諦観ていかんまで行き着いた者の、その先へと歩む意思……そうしたものをナーダは黙して語らないが、いつも仲間たちは感じていた。

 そのナーダが、改めて一歩前に出る。


「あの、アメアさん。不躾ぶしつけなお話ですが」

「んー? ああ、いいよ」

「はあ。あの、まだなにも」

「なんだか今夜は、嫌な胸騒ぎがしてね。それで、こんな浅いところに上がってきてみたら……いやあ、凄い! 光の御子! 伝説の再来だねえ」


 アメアの目が少し、リュカには恐ろしかった。

 この薄闇の中でも、けいと輝いている。そこに揺れる光は、どこか獰猛で無遠慮な輝きだった。まるで、獲物を前に舌なめずりしているような、それでいて奇妙に澄んで透き通っている。

 胡散臭うさんくさくて信用ならない反面、悪意も害意も感じなかった。


「まあ、ほら、あれだよ、子供たち。いいもん見せてもらったし、訳ありでしょ? いーよ、好きな出口まで案内したげる」

「ありがとうございます。なにかお礼を差し上げたいのですが」


 リュカは慎重だった。

 行き当たりばったりで善意に甘えられるなんて、そんな都合のよさには警戒が必要だ。

 だが、そんな少年を見透かすようにアメアは笑顔を見せた。


「私はここで静かに暮らしたいんだ。君たちみたいな騒がしい子供には、すぐにでも出ていってほしい。だから、一番いい道から追い出そうって訳。どう?」

「なら、ありがたいです」

「うんうん、ほいじゃ行こうか! はは、それにしても久しぶりだなあ! 他人と話すなんて」


 アメアは迷いなく来た道を引き返し始めた。

 そしてすぐ、十字路を直進して次の角を曲がる。

 黙って付いてゆく身としては、不安ばかり静かに膨らみ続けていった。

 一同が黙りこくるなかで、アメアは上機嫌なのかずっと喋り続けている。


「光の御子、再臨かあ……なんか、突然石炭が掘り出されてからこっち、騒がしいもんだね」

「あ、あのっ! その、昔の御子って……どんな人だったんですか?」

「うんー? それを御子本人に聞かれちゃうかあ。まあ、そうだねえ」


 マヨルの目は真剣だった。

 彼女は白夜草びゃくやそうのほのかな明かりに、漆黒の瞳をうるませている。

 眼鏡の奥に、無限の星空が広がっているかのような眩しさだった。

 先を歩くアメアは、振り返ることなく言葉を続ける。


「もう何百年も前の話さ。半分は神話で、もう半分はおとぎ話。正確な伝承なんざ残っちゃいないよ。でも、魔族は親から子へと、その伝説を継承してきたのさ」


 遙か昔、光の御子によってこの大陸が暗黒時代を抜け出した。

 御子は選ばれし十二の魔獣を引き連れ、新たな土地を求めて旅立ったのである。そして、それが後に十二の氏族となり、今の魔族たちの暮らす生活圏を生み出した。

 しかし、人間の世界でここ最近、教会が広めている教えは少し違うらしい。


「あの、それ」

「ああ、うん。マヨル、君が教会で聞いた話とは食い違うんだろうねえ」

「はい……アシュラムさんたちは、光の御子が十二の魔獣を退治して、人々に平和をもたらしたって」

「それもまた一つの見方じゃないかなあ? 私たちは石と違って、せいぜい五十年しか生きない訳だし? 物事は世代を超えて語り継がれる都度つど、磨かれ削れてほつれるものさ」


 ありきたりな話だが、真理だ。

 リュカが感心していると、突然アメアが振り返ってマヨルを指差す。


「そのっ、レンズのようにね!」

「レンズ……ああ、眼鏡」

「人間も最近、作ってるらしいんだけど……そんな薄くて軽いものは初めて見るよ」

「昔はガラスだったんですけど」

硝子ガラス! ぐあーっ、硝子! いいよね硝子! 作りたーい! けど無理ー!」

「えっ、なんでですか? んと、ガラスの作り方って確か」


 硝子を焼成しょうせいするには、高温の炎が必要になる。

 そして、魔族は基本的に火を禁忌として暮らしてきた。

 世俗を離れて暮らすアメアですら、そのおきてを守って生きているのである。

 彼女は興奮してる自分を思い出し、ゴホン! と咳払いを一つ。そして、前を向いて歩き出した。

 心なしか、足元の傾斜がゆるくなり、そして平坦な場所に出る。

 恐らく、ここが鉱山で一番の最深部なのかもしれない。


「教会の教えでは、光の御子は救世主、勇者……そして戦士だねえ。忌まわしき白邪はくじゃと戦い、十二の魔獣を打ち倒した英雄ってことさ」

「物の見方……見る角度が違えば、こうなるってことかな」

「そうだね。そして……奇妙なことに、最後だけは人間も魔族も同じ結末を伝えているんだよん?」


 ――

 その結末まで知っている者は、恐らくそう多くはないだろう。教会にとって光の御子は、英雄にして殉教者じゅんきょうしゃ、聖人だ。魔族にとっても創世神話の偉人であり、謎多き民族の起源に根ざした存在である。

 人間と魔族、相容れぬ文明圏で大陸を二分する異民族同士。

 両極より見た光の御子は、その最後だけは同じなのだ。


「光の御子はねえ、マヨル。最後、十二の獣に楽土を与えて……北へと旅立った。遙か北の果てに、御子との世界を繋ぐゲートがあると言われてるのさ」

「……教会の教えも一緒だった。役目を終えた御子は、北へと消えて……元の世界へと召されたって」


 マヨルの言葉は、自分に言い聞かせるような響きだった。

 そして、リュカにもぼんやりと見え始める。

 どうやら長い旅路になりそうだし、その先にあるものはまだわからない。けど、とりあえずは方角が見定まったように思えて、安心感が込み上げる。

 それは仲間たちも同じようで、ヤリクなナーダ、ヨギも顔を見合わせ笑みを浮かべていた。


「じゃあ、マヨル。北へ行ってみるかい? 過酷な旅になるけど」

「えっと、リュカ君……電車とかバスとか、ないんだよね? うーん」

「デンシャ? バス? 乗り物の類かな。どっちにしろ、厳しい旅路にはなるだろうね。なにせ、北は人間にとっても魔族にとっても禁地だ。誰も脚を踏み入れない」


 曖昧にはにかみながらも、マヨルはこくりと小さく頷く。

 そして、気付けば暗い坑道は上り坂になって、徐々に周囲も狭くなってゆくのだった。

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