二つの伝説、唯一の結末
シム族のアメアは、変わった女性だった。
そういう人がいるという話を、風の
曰く、石にしか心を開かないのだとか。年の頃を過ぎても嫁に行かず、日がな一日鉱山の奥底を
そのアメアが、マヨルを見詰めて目を細める。
「……伝説の
先程までは、
そのアメアが今は、
それほどまでに、マヨルのいでたちは目立っているのだ。
この大陸の人間は、皆が金髪だ。肌だって、マヨルほど白くはない。着衣も、この世界では見たこともないものである。
なにより、彼女の黒髪と黒い瞳は、伝説に
「あ、あのう……わたし、やっぱまずい感じですか?」
「うんにゃ? 私は外の世界の話は興味ないんだ。ただ」
「ただ?」
「……その、
そして、リュカは
やはり、眼鏡のない彼女は空虚な視線でおぼろげな雰囲気だった。
アメアはぎこちない手付きで、眼鏡を自分にかけてみる。
「ぐっ、ふがっ! 目、目がああああっ!」
「あー、度が合わないんじゃないかな」
「なにこれ! なにこれ、なにこれっ! ……あ、待って! 頭がジンジンする」
すぐにアメアは眼鏡を外した。
そして、ぷるぷると弱々しく震えながらそれを返却する。
リュカの耳元に、全てを黙って見ていたヤリクが小さく
「な、なあ……こいつ、大丈夫か? さっさと先を急いだほうが」
「いや、もしかしたら道案内を頼めるかもしれない。話によれば、昔からこの坑道を寝床に生きてるんだ。最短で向こう側に出る道を知ってるかも」
「なるほど、あと……眼鏡? だっけ? それさあ」
ヤリクは無造作に手を伸ばす。
そして、元通りにかけ直そうとしてマヨルの手を握った。
突然のことで、マヨルは「ひゃうっ!?」と気の抜けた声をあげる。
「おーい、御子様よう。マヨルって呼んでいいか?」
「う、うんっ。君は確か、ヤリク君?」
「ああ。でさ、それちょっと俺にも……つーか、ナーダにも貸してみてくれよ」
「いい、けど。あの、ナーダさんって」
「なんとなくだけどさ、こいつは目が見えるようになる道具なんじゃないか?」
ずけずけと
そのヤリクを、やんわりとナーダが止める。
「ちょっと、ヤリク! ごめんなさいね、マヨルさん。この人、馬鹿だから」
「おいおい、誰がだよ、誰が」
「ヤリク以外にいないでしょう? ……いいのよ。いつもなんでも見えてるから」
「けどさあ」
「いいの。それより今は先に進まなきゃ」
ナーダが小さく
その穏やかな笑みを、いつもリュカたちは見てきた。
そのナーダが、改めて一歩前に出る。
「あの、アメアさん。
「んー? ああ、いいよ」
「はあ。あの、まだなにも」
「なんだか今夜は、嫌な胸騒ぎがしてね。それで、こんな浅いところに上がってきてみたら……いやあ、凄い! 光の御子! 伝説の再来だねえ」
アメアの目が少し、リュカには恐ろしかった。
この薄闇の中でも、
「まあ、ほら、あれだよ、子供たち。いいもん見せてもらったし、訳ありでしょ? いーよ、好きな出口まで案内したげる」
「ありがとうございます。なにかお礼を差し上げたいのですが」
リュカは慎重だった。
行き当たりばったりで善意に甘えられるなんて、そんな都合のよさには警戒が必要だ。
だが、そんな少年を見透かすようにアメアは笑顔を見せた。
「私はここで静かに暮らしたいんだ。君たちみたいな騒がしい子供には、すぐにでも出ていってほしい。だから、一番いい道から追い出そうって訳。どう?」
「なら、ありがたいです」
「うんうん、ほいじゃ行こうか! はは、それにしても久しぶりだなあ! 他人と話すなんて」
アメアは迷いなく来た道を引き返し始めた。
そしてすぐ、十字路を直進して次の角を曲がる。
黙って付いてゆく身としては、不安ばかり静かに膨らみ続けていった。
一同が黙りこくるなかで、アメアは上機嫌なのかずっと喋り続けている。
「光の御子、再臨かあ……なんか、突然石炭が掘り出されてからこっち、騒がしいもんだね」
「あ、あのっ! その、昔の御子って……どんな人だったんですか?」
「うんー? それを御子本人に聞かれちゃうかあ。まあ、そうだねえ」
マヨルの目は真剣だった。
彼女は
眼鏡の奥に、無限の星空が広がっているかのような眩しさだった。
先を歩くアメアは、振り返ることなく言葉を続ける。
「もう何百年も前の話さ。半分は神話で、もう半分はおとぎ話。正確な伝承なんざ残っちゃいないよ。でも、魔族は親から子へと、その伝説を継承してきたのさ」
遙か昔、光の御子によってこの大陸が暗黒時代を抜け出した。
御子は選ばれし十二の魔獣を引き連れ、新たな土地を求めて旅立ったのである。そして、それが後に十二の氏族となり、今の魔族たちの暮らす生活圏を生み出した。
しかし、人間の世界でここ最近、教会が広めている教えは少し違うらしい。
「あの、それ」
「ああ、うん。マヨル、君が教会で聞いた話とは食い違うんだろうねえ」
「はい……アシュラムさんたちは、光の御子が十二の魔獣を退治して、人々に平和をもたらしたって」
「それもまた一つの見方じゃないかなあ? 私たちは石と違って、せいぜい五十年しか生きない訳だし? 物事は世代を超えて語り継がれる
ありきたりな話だが、真理だ。
リュカが感心していると、突然アメアが振り返ってマヨルを指差す。
「そのっ、レンズのようにね!」
「レンズ……ああ、眼鏡」
「人間も最近、作ってるらしいんだけど……そんな薄くて軽いものは初めて見るよ」
「昔はガラスだったんですけど」
「
「えっ、なんでですか? んと、ガラスの作り方って確か」
硝子を
そして、魔族は基本的に火を禁忌として暮らしてきた。
世俗を離れて暮らすアメアですら、その
彼女は興奮してる自分を思い出し、ゴホン! と咳払いを一つ。そして、前を向いて歩き出した。
心なしか、足元の傾斜がゆるくなり、そして平坦な場所に出る。
恐らく、ここが鉱山で一番の最深部なのかもしれない。
「教会の教えでは、光の御子は救世主、勇者……そして戦士だねえ。忌まわしき
「物の見方……見る角度が違えば、こうなるってことかな」
「そうだね。そして……奇妙なことに、最後だけは人間も魔族も同じ結末を伝えているんだよん?」
――光の御子は全てを見終えて、北へと旅立った。
その結末まで知っている者は、恐らくそう多くはないだろう。教会にとって光の御子は、英雄にして
人間と魔族、相容れぬ文明圏で大陸を二分する異民族同士。
両極より見た光の御子は、その最後だけは同じなのだ。
「光の御子はねえ、マヨル。最後、十二の獣に楽土を与えて……北へと旅立った。遙か北の果てに、御子との世界を繋ぐ
「……教会の教えも一緒だった。役目を終えた御子は、北へと消えて……元の世界へと召されたって」
マヨルの言葉は、自分に言い聞かせるような響きだった。
そして、リュカにもぼんやりと見え始める。
どうやら長い旅路になりそうだし、その先にあるものはまだわからない。けど、とりあえずは方角が見定まったように思えて、安心感が込み上げる。
それは仲間たちも同じようで、ヤリクなナーダ、ヨギも顔を見合わせ笑みを浮かべていた。
「じゃあ、マヨル。北へ行ってみるかい? 過酷な旅になるけど」
「えっと、リュカ君……電車とかバスとか、ないんだよね? うーん」
「デンシャ? バス? 乗り物の類かな。どっちにしろ、厳しい旅路にはなるだろうね。なにせ、北は人間にとっても魔族にとっても禁地だ。誰も脚を踏み入れない」
曖昧にはにかみながらも、マヨルはこくりと小さく頷く。
そして、気付けば暗い坑道は上り坂になって、徐々に周囲も狭くなってゆくのだった。
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